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理論は創造性を損なう?いや、勉強すればするほど、より自由になる。

最近、ほかの講師の先生と話す機会があり、「なんだか最近の学生は、理論的すぎるかも」という話題になりました。

たしかに、私も過去にそこの学生だったのですが、昔よりもブランディングやコピーライティングなどの授業が増えていて、正直うらやましいなと思っていました。
でも、言われてみれば、課題や期末審査でも、あまり尖った作品をそこまで見ないかも?私も授業の内容、結構理論が多いからもう少し自由度を高めた方がいいのかなと、その話をしながら考えていました。

そして、その直後にたまたまこのnoteの見出しにある「勉強すればするほど、より自由になる」と話す内容の興味深い動画に出会います。
私は「理論を減らす→自由度をあげる」という自分の考えが、いかに浅い考えだったかを気付かされました。

その動画の内容を紹介しつつ、思ったこと書いていきます。

理論はクリエイティビティを損なうのか?

今回紹介したいのは、音楽博士であるキャピタルさんが、日本の音楽について話している動画です。あれ、デザインじゃなくて音楽?と思われるかもしれませんが、話しを聞いていると、とても通ずるところがあったんです。

動画は冒頭から楽しい内容なのですが、私がとくに興味深かったのは36分あたりから。聞き手側のひとりであるアーロンさんがこんな質問をします。

「どのようにこの2つ(学問とクリエイティブ)の世界を調和させているんですか?」

この質問をしたアーロンさんのバンド仲間である友人が、音楽をとても熱心に学んだけど、大学に進学する以前と比べて曲を書くためのクリエイティブさが無くなってしまったのだそう。
どうすれば、キャピタルさんのように音楽を深く学んだ経験をクリエイティブへ活かせるのか?もしくは、どのようにクリエイティブな領域は学問への探究心に影響しましたか?と。

キャピタルさんは、「めちゃくちゃ深いしものすごい重要な質問」と言いつつ、手に持つギターのチューニングをばらばらにします。音を探し続けても、理論がないとなかなかチューニングもできない。「だからまずは何より初めに、音楽の知識は一定量必要である」と話します。

そして、キャピタルさんはある生徒の話を例に出します。

「僕が出会った生徒の中で『音楽理論は学びたくない!可能性が狭められるから!』。そういう子らの音楽は、蓋を開けると1つや2つの“やり方を知っているもの”でしかないのね。そしてものすごく限られたことをやってる

その限られたことは、音楽理論の1〜5ページ目くらいに書いてある量。
残りの600ページは知りたくないの?」とその生徒へ思ったそう。キャピタルさんは続けます。

「だから、僕の経験上…正しく教えたら、正しく練習したら、勉強すればするほど、より自由になる。

やー、おっしゃる通り・・・!ていうか、学びってそうでないとだ!!

動画でのキャピタルさんの話にもあったのですが、いわゆる感覚的な天才肌を持ってる人。学ばなくてもなんとなく作れてしまう人。言われなくても新しい探究をしている人。
私の学生時代も、そういう人が評価されやすかったように思います。理論ではなく、感覚でやる。デザインがそういう時代であったかもしれません。今ほど言語化が言われていない時期でした。

でも、昔も今も、学校だからこそ、むしろ「理論を学べる」場ではないのだろうかと思います。

守→破の練習をしつつ、探究心を刺激する

「守・破・離」という言葉があります。

“芸道における修行の過程を説明するのに「守・破・離」という言葉が使われることもあります。「守」とは師の教えを忠実に守ること、つまり基本の段階です。「破」とは自分で考え工夫すること、つまり自立の段階です。「離」とは独自の新しい世界を確立すること、つまり創造の段階を指しています。”

第十一話:守・破・離【会長 草原克豪】 - JKA 公益社団法人日本空手協会

先ほどの天才肌の人だと、感覚でいきなり「破」や「離」にいけますが、そんな人はほんの一握りです。むしろ、「守(基本)」→「破(創意工夫)」が難しいからこそ、学校があって学びにくる。

そして、アーロンさんの理詰めになってしまった友人は、きっと「守(基本)」に囚われ過ぎてしまったのかもしれません。だから、学校でも「守(基本)」→「破(創意工夫)」を繰り返し練習することが大事のように感じました。

「破(創意工夫)」は教える側から出すお題やプロセスも大事ですが、私は個々の探究心も刺激するのも大事なように思います。

“勉強すればするほど、より自由になる。”

これを感じられるのって、その人に探究心があってこそだと思うのです。

これが理解できたら、もしかしてこういうことも出来たり?あれ、もしかしてここに繋がっちゃう?と、広がっていくのがわくわくする気持ち。ここを楽しめないと、より自由になるとは感じられないのではないでしょうか。

そういえば、私は授業方針でも「可能性を広げるために」Webを学ぼうと説明していました。でも、この動画のキャピタルさんの話を通して、勉強と自由についての考え方がブラッシュアップされた気持ちです。

なんだか、私自身もたくさん学ぶこと、学べる機会がまだまだあることが、楽しみになってきました。

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ほか、気になったキャピタルさんの話メモ:

  • 自分よりも全然凄い人たちが「学びが足りない」と自信がないのはほんと勿体ない。自分は20代に全部学んだから、80歳、90歳、100歳になっても後悔は無いわけ。

  • 学ぶときに「これがルールです」とあったら、それはルールじゃなくて、「定義」と捉えること。辞書のようなもの。

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スズキアユミ(デザインメモ)
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