このトピックは、ネットを探してもなかなか見つけられなかった。実際、流産をした人の苦しみって、子供が無事に生まれてくる瞬間まで続くと思う。

流産を経験した後、どんな風に自分を元気付けたらよいのかとか、正直考えられない気がする。他人や夫からかけられるどんな言葉もまやかしに聞こえてしまって、一人暗くて長いトンネルに入りこんでしまう。そんな体験談を誰かのためになるかもしれないと思って書くことにしました。

母親からの痛烈な一言

流産をした後、母親なら私の気持ちがわかってくれるかと思って実家に電話した。
「また、ダメだった……流産しちゃった」
と話す娘にすかさず母親は、

「なんて言っていいか、わからん!私にはわからん!」そう、あっけらかんと言い放たれた。その言葉はあまりに、私への気持ちの配慮など一切なく、面倒なことは引き受けたく無いよ、という風に聞こえた。

私が母親に電話することになったのも、そもそも夫が気持ちをわかってくれないからだった。今では事情を理解しているので、夫を責める気持ちはないのだけれども、夫にとって私はただの「子供を産むための機器」でしかすぎなかった。

子供を産むための機器になっていた

どちらかというと、子供が欲しいと思っていたのは夫からだ。私は実はそうでもない。でも、私たちの夫婦関係において子供が必要に感じた。夫は、心と心がつながるのが、あまり好きではないようだった。夫の心の中に私はいないのだな、と常日頃感じてさみしかった。こんな関係は、夫婦じゃないと、一人でそう感じていた。そしてどうにか夫婦であろうとし、私一人が抱え込み、夫に話しても話が通じない。それどころか、話を早く切り上げようとさえしてくる。
それでも、結婚したんだから、どうにかして絆を保っていく必要がある、と一人で悩み悶々としていた。

だから、その日が来れば子供をつくるためのことは一応する。子供を作る機器だと思われていることを感じながらも、ぐっと我慢して、その時間を終えた。今でも思い出すと、ひどいことをされていたのだなと思う。女性としてのアイデンティティが踏みにじられていると感じた。

私は「機器なのだから、心を入れる必要はない」自分にそう言い聞かせて。

すぐに妊娠した。ところが4度とも10週までに必ず流産をしてしまう。
流産をして、悲しいというよりも……妊娠をするために踏みにじられた女性としてのアイデンティティ、それを子供を出産することによって無意識に回復させようとしていたのかもしれないけれど、その機会が失われ、自分自身の精神がバラバラに砕け散る感じがした。

そして、流産後の手術を終え全身麻酔で眠っている私を見守っている。目が覚めると、彼は泣いていた。夫が子供が欲しいというから、無理して頑張って(無理をして子供を作るものでは無いとわかっていますが)妊娠して、流産手術が痛くて痛くて、泣くに泣けずにその痛みに耐えているのに、横で泣いている人がいる。

「泣きたいのはこっちだよ!」
先に泣かれたら、私は泣けないじゃないか。自分の身に起きていることをまだよく理解できていないのに、泣いている人がいて、そんな人を見たら私の悲しみはどこかへ行ってしまった。

「私のせいで夫が泣いている」
その夫を慰めるのに、どれだけ言葉を尽くしたことか。

そんな風にすればするほど、自分のために悲しむことができなくなっていった。

そして、4度の流産を経た後の海外赴任中に「子供が欲しい」と言われる。

「私の体のダメージは考えてくれないの?」
そう言うと、

「あれから何年か経っているからもう大丈夫かと思う」

唖然としました。どうしてそんなひどいことが言えるのだろう?
私の苦しみは私しか分からない。
流産するたびに、私より先に泣いたのは誰?
子供を産む機器に思えて悲しいよ!って言った時に、否定しなかったのは誰?

もう、機器にはなりたくない。

だって、愛されていないんだもん。

私には、私を女性として扱ってくれる人が必要だった。本能レベルでそれを欲していた。どうして、夫婦なのにそうできないんだろう……

ただ、ただそれが悲しかった。
もう、子供は産まないと決めた。





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