デザインの雑談04:システミックデザイン×コモンズ
RYU:南部隆一
MASA:武山政直
「システミックデザイン」の新規性
RYU:前回の雑談で、「コレクティブインパクト」と「システミックデザイン」がキーワードになりそうだ、という話がありました。ちょうど今年の5月に武山先生が監修した『システミックデザインの実践』が出版され、国内でも新たなデザインアプローチとして注目を集めそうな予感もあります。
僕らは、書籍の出版をきっかけに、日本でのシステミックデザインの展開を実践的に試していく会をつくろうとしています。ヨーロッパや北米で実践されているこのアプローチが本当に有効なものなのか、みんなで試しながら可能性を探っていくゼミみたいなものにしたい。そして、そのトライアルのテーマに設定しようとしているのが「コモンズ」です。
今回の雑談では、なぜ「システミックデザイン」なのか、「コモンズ」がどうして大事なのかといった、これから取り組もうとしていることの前提を共有できればいいなと思ってます。僕ら自身がまだぼんやりしていますからね。プロトタイピング的に整理整頓しましょう。
システミックデザインについては、今後のゼミでもご協力いただくDesign Rethinkersの皆さんの以下の記事にわかりやすくまとまっているので、ここでは、システミックデザインの何が新しいんでしたっけ?っていう振り返りから始めましょうか。
MASA:以前も話したように、システムを「中から変えていく」というのが特徴かと。それが「システム(自体の)デザイン」や「システマティック(なプロセスによる)デザイン」ではなく、「システミックデザイン」と呼ばれている理由じゃないかと思います。
つまり「システミック」という言葉がデザインに掛かっていて、デザインの活動、デザインされるもの、デザインする人を、それらが組み込まれているシステムのダイナミズムの中で捉え直そうと呼びかけている。國分功一郎さんの中動態の議論と関連づけてみると、「デザイン」という動詞が中動態で捉えられているとも言えそうです。システムを変えようとする当事者が、そのシステムの中に組み込まれていながら、自分自身が変わることによってシステムをどう変えていくかというスタンスです。
RYU:ただ単純に全体像をシステムとして捉えて、駒を動かすようにコントロールしようとするのではなくて、自分の立ち位置も駒のひとつとして変わる前提で何がデザインできるか。その部分にアプローチとしての新規性があるということですね。
MASA:はい。デザインする対象と自分が切れていないので、自分自身を変えないとデザインできない。そこが難しいところでもあって、自分で気づけない部分もあるし、システム(資本主義経済の生活)にどっぷり浸かっていて、その矛盾がわかったとしてもすぐに変えられるわけではないという壁がある。とはいえ、このまま放っておいたらまずい事態になってしまうという、ジレンマ状況に置かれています。そうした中で、小さいながらも他の人を巻き込んで、変革に向けて一歩動き出していこうと。そのために使えるいろんなツールが『システミックデザインの実践』で紹介されていますが、何を目的にどこから始めるのか、については書かれていない。あとは頑張ってください、となってます(笑)。
RYU:自分自身も変わっていく必要があるということは、マルチスピーシーズ人類学の存在論的転換のような文脈で最近いろいろ論じられているところです。それをデザインにつなげようとしている方々もいらっしゃるんですけど、デザイナーとして具体的にどうすればいいのかというと、まだしっかりとわかってるわけではないんですよね。より実務に近いところで、システミックデザインがその糸口となるなら、是非取り入れてみたいです!
MASA:『システミックデザインの実践』のアプローチは、複雑な全体像の理解や多くの利害関係者の参加を大事にしていますが、それは一方でトレードオフにもなる。つまり、理解しなきゃいけないことの情報量や調整の複雑性がどんどん上がっていくので、動きづらくなる。ドナルド・ノーマンが新しい本の中で、『システミックデザインの実践』についても言及してますが、彼は、複雑なものを一挙に扱うよりも、小さなモジュラー型のデザインでちょっとずつ進めていく別のアプローチを主張しています。
RYU:あまり風呂敷を広げても身動き取りにくいですし、変化が起こしづらい。デザイナーとしては身動きをするのが本懐ですからね。
MASA:はい。とは言っても、小さいデザインどうしの整合性が取れなくなってしまうリスクもあるので、モジュール間の入出力のルール化とか、そういう仕組みを別途考える必要がある。動ける範囲で小さくスタートして、それれぞれが整合性を保つ形で浸透していく戦略の方が現実的なんじゃないかという考え方です。
RYU:なるほど。システミックデザインを推進する上で、気をつけるポイントになるかもしれないですね。システムというとやはり、俯瞰的にすべてを把握して、多くのステークホルダーを巻き込んで、一斉にコントロールするっていうアプローチなのかなと勘違いしそうになります。気候変動やその他の環境課題を考えるときも、自分がプレーヤーとなって身の周りの生活体験からアプローチする感性と、全体を大きく捉える俯瞰的な視点の両方が必要なんだと思います。
シフトに向けたゴール設定としての「タイニーコモンズ」
MASA:もうひとつ、システミックデザインが重視するのは、システムを変えていくときのレバレッジの深さですね。観察・分析できる出来事や現象に介入してシステムの状態を好ましい方向へ向かわせるのでなく、その現象を生んでいる仕組みや、前提となっているメンタルモデルまで掘り下げて変えていく必要がある、ということです。
特に、サステナビリティの問題の背後には、個人がひたすら利潤追求する動機や、資源の私有を前提にして市場交換の範囲をどんどんと拡大させていく仕組みがあります。なので、それに対するオルタナティブとして脱成長的な世界観に注目が集まっている。そのような深いレバレッジの可能性を、システミックデザインを試しながら探っていくテーマとして「コモンズ」に注目してみようという話になったんですよね。
RYU:はい。システミックデザインはあくまでもツールであって、どのような状態にシステムをシフトさせたいのか、というゴールが必要です。そこで「コモンズ」はどうか、と話しているところです。
とはいえ「コモンズ」は、デザインやサービスと同じようにいろんな思いを込められる、曖昧な枠組みをもった概念です。これまでも建築家が空間に関して語ったり、クリエイティブ・コモンズのようにデジタル空間での知的権利に対して使われたり、いろんな領域が交錯していて、なんだかよくわからない。コモンズをどう捉えるかを、自分たちなりにきちんと定義していく必要がありそうです。
MASA:コモンズの発想を振り返ってみましょう。みなで共有できる資源を各自が自由に個別最適化して利用していくと、その結果、資源の枯渇など全体にとってマイナスな面が出てきてもうまく調整できない状態になってしまう。だから、みんなに価値があって、貴重な資源は、一定のルールの中で共有・管理して、無駄に使ったり、枯渇させたりしないように、賢く有効活用しようということですよね。
RYU:資源をどのように共有するか、というのが前提にあり、それが場であったり知財であったり自然資本であったりするわけですね。
MASA:現状の資本主義の仕組みの中でも、技術の進化をもって効率化の努力をしていくことで、みなが私的利益を追求しながら環境負荷が今よりも相対的に下がる社会に向かっていく可能性はある。でも、それとは別の仕組みを取り入れていかないと絶対的なレベルでのサステナビリティは実現できないんじゃないか、というのがコモンズが再注目されている理由でもあります。
RYU:『生なるコモンズ』という本の中で、著者の濱田陽さんは「共有可能性(the possibility of “commons”)」という言葉を使っています。「持続可能性(sustainability)」という単語は、1987年に国連がまとめた報告書「Common Future(私たちの共有する未来)」に登場したのがきっかけで世界に広まったらしいです。
タイトルに「コモン」という言葉が使われていることからもわかりますが、そもそも持続可能性と共有可能性はセットの概念でした。持続可能性だけがSDGsに引き継がれて広まった感がありますが、両者は本来密接に結びついている。共有可能性を考えない持続可能性では、未来の糸口が見えてこない、だから、SDGsという標語も、その上にコモンをつけて「CSDGs」にしないと達成できないんじゃないか、ということが書かれていて、わかりやすいなと思いました。あえてそこに立ち返ってみるというのは面白そうです。
MASA:そういう意味で、サステナビリティにとっても、コモンズにとっても、地域のローカリティや地理的な特殊性が重要なんじゃないかと思うんです。資本主義と対比すると、コモンズは、資源の「私有」ではなく「共有」を特徴としますが、実は両者の「資源」の捉え方は大きく違っています。
資本主義の世界観では、資源を生態系や地域の固有性から切り離して商品化して、その所有権を取引できるようにすることで価値を追求し拡大させます。それに対してコモンズにおける資源とは、少なくとも歴史的に見ると、共同体の生活基盤としてのローカルな生態系と一体化している。地域固有の地理や歴史、文化の中で価値が認められてきたものです。
つまりコモンズにとって、資源は生活の文脈として価値を持っているので、そこから一部分を切り離して私有することも取引することもできない。それをやっちゃうと、文脈固有の価値が損なわれてしまう。だから、その恩恵を共有するコミュニティは、生態系につながる文脈を守り続けることでのみ、価値を得続けることができる。そういう意味でコモンズはシステミックに価値を持続するシステムと言えます。個人にとっては「所有できる価値」と「文脈の中にいられる価値」の違いになります。
RYU:なんだかちょっと難しくなったんですが、今自分たちが暮らしている地域の特性や生態系とのつながりを活かして、別のオルタナティブなシステムを小さくデザインしてみる。まずそこから始めようという理解でいいですかね。
MASA:そうです。でもコモンズが、我が街だけ考えていればいいとか、自給自足の共同体とかの方向だけに向いてしまうと、都市やグローバルな社会に変化を生み出していくのは難しい。そもそもローカルだけで今の生活は成り立っていないですし。その点ではコスモローカルなコモンズの実践のように、デジタル空間を活かすことで、ローカルな文脈に根づきながらも地域の範囲を超えてグローバルに連携する動きもありますね。
RYU:そういう意味では、コモンズのデザインに「タイニー」という言葉をつけて「タイニーコモンズ」と呼ぶのはどうでしょう? 僕がいろいろ調べていた「タイニーフォレスト」という活動からの連想です。ヨーロッパで一種のブームのようになっているのですが、都市の中に「小さな森」を分散的につくって、周囲のコミュニティで育てることで、自分たちの生活環境も変えていこうというアクティビティです。
「コモンズ」というと少し概念が大きすぎて行動を起こしにくいし、「ローカル」だと地域に閉じているような印象も与えてしまう。都市生活の中の小さなコモンズからスタートしてみよう、という意味で「タイニー」を拝借するとしっくりくる気がするのですが……。
MASA:大地を覆い尽くすイメージのフォレストに、あえて「タイニー」という言葉をくっつけたのは面白いですね。なんだか自分もできそうな気がしてきます(笑)。
RYU:「身の周りのローカルな生活環境からアプローチする感性と、全体を大きく捉える俯瞰的な視点の両方が必要」という話につながります。狭くも広くもないシステムの範囲。それをシステミックデザインで検討できたらワクワクします。専門家に話を聞いたりしつつ、コモンズって一体なんだろう?というところから、みんなで学んでシステミックデザインにつなげていけると良いですね。
『システミックデザインの実践』に足りないもの
MASA:それから、コモンズのシステミックデザインには、新たな仕組みを目指すだけでなく、これまでにない文化や生活価値を打ち出していくことも必要なんじゃないかという気がしてます。
と言うのも、今の経済がもたらす便利さとその強靭さを前にして、「生態系のために」「格差を生まないために」という大義だけでコモンズの領域を増やしていけるのか疑問だからです。多くの人が享受している現在の満足を制限しながら、その仕組みをシフトしていくのは、かなりハードルが高い。なのでケイト・ソパーの唱える「オルタナティブヘドニズム」のように、快楽の内容や価値観のシフトで引っ張っていかないといけないんじゃないかと。
RYU:それは前提として忘れちゃいけないですよね。地球のために我慢せよ、節制せよ、と言われてもなかなか難しい。サステナ疲れみたいなことも言われてますし。
MASA:そういったことを検討するには、『システミックデザインの実践』で紹介されている手法だけでは行き届かない部分がありそうなんです。
RYU:なんと!
MASA:先ほども話したように、取引や所有の価値だけでなく、地域や生態系に組み込まれる価値や、ローカルなアイデンティティを再認識して、その魅力を感じられるような体験をつくっていくことに可能性があるんじゃないかと。東京のような大都市であっても同じで、コモンズの実践に多くの人を引き込んでいくには、やはりそこを強化しないといけない。
RYU:コモンズや共有可能性を考えるときに、『システミックデザインの実践』のメソッドだけでは、生活体験の豊かさといった面の検討が不足する可能性があるということですね。
MASA:僕の読んでいる文献が偏ってるのかもしれないですが、そういう議論があまり見当たりません。例えば、資本主義の批判とかオルタナティブの必要性、資源共有のガバナンスのあり方、コモンズのコミュニティをオープンかつ効率的に運営するためのデジタル技術というような、制度や仕組みの話はたくさん出てくるんです。その一方で、それがどんな魅力ある幸せな社会を目指してるのかという価値やイメージの提案が弱い印象があって。
RYU:逆に言えば、そここそ、デザインが得意とする側面なのでは?とも思います。これまで人間中心の視点で、人の体験をいかに良くするかに邁進してきましたから。
MASA:ちょっと話が飛びますが、「フィジカルインターネット」という物流改革の構想があります。簡単に言うと、インターネットの情報転送の仕組みをお手本にして、物流の仕組みを高度化しようという狙いです。
AmazonのようなECの発展で、世界のモノの需要は、少ロット化・多品種化しています。それで、配送の頻度が増えるわりに1台のトラックに乗せる量が減って、倉庫の空きスペースも増えるという非効率な状態になっている。その上、ドライバーの労働も過酷で、日本の場合は高齢化で担い手もいなくなってきている。「2024年問題」とか「物流クライシス」とか言われていて、このままいくと物流が崩壊するんじゃないかと警告されています。
そこで期待されるのがフィジカルインターネットです。トラックや倉庫、物流拠点をシェアリングして、インターネットパケットのように標準化したモジュール式コンテナにさまざまな大きさの荷物を組み合わせて積めるようにする。さらに物流拠点では、ICタグやロボットを利用して、ダイナミックに選定した最適ルートの別トラックに素早く荷物の積み替えができるようになる。そうすることで物流効率が上がり、輸送あたりのエネルギー消費やCO2の排出量も減らせるはずだと。2040年の実現を目標に、そういった新たな物流システムに変えていこうとする思い切った議論が出てきているんです。
RYU:ふむふむ。
MASA:確かにとてもスマートな発想で、これで問題解決しそうな気もするんですが、ふと思ったのは、そもそもなぜこういう事態になってるんだろうと。需要の方がどんどん贅沢になって、欲しいものが欲しい量だけ欲しい場所で、ジャストインタイムで手に入る。多くの人がそれを幸せと感じるような日常生活を送っているので、そういう需要がエスカレートしていくことについては、誰も問題視しない。なので供給のイノベーションでどう応えられるか、という方向に舵を切る。
物流に限らず、技術中心のエコモダニズムの発想はみな同じ。確かに供給システムの最適化によって環境負荷は下がる可能性がありますが、需要のあり方のそもそも論が議論されていない。
RYU:Amazon便利ですからねー(笑)。急にやめろと言われてもやめられないので、それを完全に否定するわけではないんですけど、トラックの移動が減って環境負荷が減るというロジックの裏で、最終的には需要や消費が増えて、効率の良いトラックの全体量が増えてしまうかもしれない。その論理でやっていても埒があかないというジレンマもありますよね。難しい……。
MASA:そう。僕もやめられない(笑)。だからこそ、システミックという言葉には、仕組みのデザインに加えて、身の周りの事象を対象にした文化や生活価値、つまり「楽しさ」や、楽しさを別の方向に引っ張る「ナラティブ」のデザインもセットにして入れていく必要があると思うんです。
RYU:確かデザインカウンシルのダブルダイヤモンドバージョンアップ版のダイアグラムでも、ストーリーテラーの役割は重要視されていましたね。いかに供給の方を頑張ってデザインしても、需要側も変わらないとあまり意味がなさそうということですね。
MASA:需要維持や拡大を前提に供給を徹底的に高度化する進化をよしとする限り、環境負荷を抑えつつ最適化を実現しようという方向に発展していく。だから、より深いシステムシフトとしてコモンズの可能性を追求するには、需給マッチングの拡大に代わるゴールが必要で、幸せや人類の発展の基準を違う方向に振り向けていく必要がある。それはウェルビーイングなのか、もうちょっと日常生活に近い言葉かもしれませんが、人々の目指す目標みたいなものが新しくならないだろうかと。
例えば、ブルックリンにあるオーガニックなスーパーマーケットは、消費者がお店で一緒に働かないと利用メンバーになれないんです。働くということは負担が増えてるわけです。だけど、参加している人たちは多分それをコストとは考えていなくて、コミュニティのスーパーに参加できる楽しさを実感している。
そういう楽しさや喜びがないと、脱成長・アンチ資本主義で「エネルギーをたくさん使って環境破壊するのはけしからんから、同志よ立ち上がれ!」という話になる。システムシフトとしては、そうじゃなくて「なんか楽しそう」っていうモチベーションで動くといいなと思って。
RYU:それはまだデザインされていない領域かもしれないですね。と同時に、そういう楽しさは、仕組みとその中での体験によって浮かび上がってくるものなんじゃないかと思います。例えば、急に座禅を組んで、清貧に喜びを感じましょうって言っても、一部の人は変わるかもしれないけど、社会構造としては変わらないですよね。
供給側の仕組みのデザインと需要側のウェルビーイングな体験のデザイン、両者に共通するゴール設定。今回、システミックデザインを実践的に試す中で、そのあたりにどうやってアプローチするかっていうことも見えてくるといいですね。
「タイニーコモンズ」をサービスとしてデザインする
RYU:というわけで、いろんなレイヤーでのシフトを同時に追求していく必要がありそうだということはわかってきました。僕が注目しているダークマターラボという非営利のシンクタンクは、これまでの古い体制では地球のことを変えられないから、「シビックエコノミー」というアプローチでメスを入れていくと宣言しています。「シビックエコノミー」とは、市民やコミュニティが主導する経済のことです。加えて、企業と消費者ではなく、many to manyな関係性であることや、メンタルウェルビーイングが設計されていること、ネイチャーベースドソリューションであることを前提としたエコノミーであるとされています。
僕がコモンズに期待するのはこういうことかなと思っていて、先生の言う「楽しさ」という点はメンタルウェルビーイングに通じるし、サステナビリティはネイチャーベースドソリューションという部分に入っている。「コモンズ」≒「シビックエコノミー」と捉えてもいいくらい。
東京という都市空間でこうした仕組みをどう展開していくかを、システミックデザインで検証することに、すごく興味がありますし、可能性があると思います。生態系や自然資本の共有から、ご近所同士で何をどう共有するかまで、価値観と仕組みの共有可能性を模索していくということが、今回のゼミのデザイン対象になるといいなと思っています。
MASA:同感です。マーケットエコノミーは、自分でやる代わりに、お金を出して人にモノをつくってもらったり、必要なことをしてもらったりするわけで、基本的にアウトソーシングの論理で動いています。人のつながりよりも、モノや使役のスムーズな交換が優先されるんですね。シビックエコノミーを、人のつながりや地域性を土台にして、そこにエコノミーを埋め込んでいくアプローチだと考えれば、先に挙げた文脈価値やコモンズともつながりますね。
あとは、資本主義やマーケットメカニズムと、コモンズやシビックエコノミーの関わり方をどう設計していくか、ということもテーマになりそう。ヨーロッパの多くのコモンズの取り組みも、マーケットメカニズムを完全に遮断して、100%シビックエコノミーでやっていけるわけではなくて、外部の資金が入り込むこともある。けれど、それを完全にオープンにしてしまうと市場論理に引きずり込まれてしまうので、インターフェースとなる仕組みをつくって、コモンズの価値が壊れないように制限を設けてるようです。今の社会の中でコモンズを浸透させて、生活も仕事も消費も変えていこうとすると、どこかで必ずそういう議論が出てきそうですよね。
RYU:人類学者であるレヴィ・ストロースがかつて「二重社会」という話をしていまして、単純に言うと、人は国単位の大きな社会と1万人単位の社会との2つの層を二重に生きている、と言っています。現実的には、どちらかひとつを選ぶべし、ということではないですが。そういうラディカルな立場ではなく、両者をどのように接続できるのかを検討できるのも、デザインのポジティブな側面かもしれません。
MASA:コモンズや経済を議論するときに、基軸になるのは、どんな社会を目指すのかってこと。マーケットかコモンズかという二者択一、あるいは脱成長という側面を強調することも重要ですが、デザインの対象としては、それらの違いを超えるサステナブルな価値共創のシステムを考えることもできるんじゃないかと。
RYU:そうですね。例えば、サービスデザインの「サービス」の部分に「コモンズ」を置いて考えてみるのはどうでしょうか。社会はサービスの交換で回っているという発想は先生の話によく出てきて納得感満載ですが、僕の中では、サステナブルな「サービス」をデザインするには、と考えたときに、コモンズという資源交換の話とシステミックデザインというアプローチにつながったんです。
MASA:なるほど。SDロジックの考え方ですね。確かに、SDロジックは市場と互恵の違いや、生産者と消費者といった役割を超える、さまざまなアクター同士の支え合いのシステムを考えている。そういうサービスエコシステムのデザインの中にコモンズを位置づける、ということかな。
それにSDロジックは資源の価値を文脈的に捉えているので、その点でもコモンズとつながりそうだし、その文脈を生態系まで広げて考えることもできそうです。コモンズだけですべてが解決するわけではないけれど、コモンズのデザイン自体がこれまであまりなされてきていないし、そこでシステミックデザインの方法論を使うのは有効かな。
RYU:そうですね。コモンズの運営に関しては、先人の素晴らしいトライアルはたくさんありますが、デザインの文脈でパターン・ランゲージのように普遍的な検討がされてきたかというと、あまり思い当たりません。面白いチャレンジになりそうです。
MASA:コモンズという領域は、ちょうどいい抽象度でシステミックデザインを試せるのかなとも思います。深い仕組みのレイヤーでのシステムチェンジを期待しながらも、具体化しやすいデザインの対象やテーマを設定する。サステナビリティの観点で、今の社会のどこがまずいのかという議論も大切ですが、最初の話題のように、デザインの実践として何ができるのかという問いが、やはり大事ですね。
RYU:そうなんですよ。エツィオ・マンズィーニさんも何かの本で言ってましたが、デザインは形にして提示しなければいけない。形ってオブジェクトのことじゃなくて、仕組みでもいいんですが、社会実践として提出できるところがデザインの特徴であると。それがなくなってしまうと、人類学や社会学と何が違うのかという話になってしまう。
MASA:それは何かを描くことかもしれないし、人と対話することかもしれないし、世の中の新しいルールづくりに貢献することかもしれない。形はいろいろある。そしてデザインをどの範囲やレベルで行うか、どれくらいのタイムスパンで続けていくかという議論もある。
いずれにしても、何らかの方法で現実に具体的な変化を与えていくわけですが、システミックデザインでは「介入(intervention)」という言葉がよく用いられます。システムの全体を期待通りに変化させるのでなく、変化の創発を促していくことを反映してますが、その意味で、さまざまな形はデザインの成果やゴールというよりも、介入の手段と言えるかな。
RYU:そうですね。これからの生活を具体化する可能性をカタチとして取り出す、ということが大事だと思います。
MASA:今日の雑談で明らかになったのは、地域に根づいた文脈で生態学的な価値を見直すこと。それを享受しながら守り続けるシステムとして「コモンズ」を考えて、小さく身近なところからそのデザインを始めていくことの意義ですね。そして、その魅力を、体験やナラティブとして広め伝えていくことで持続可能な社会に近づいていくんじゃないか。そんな展望も見えてきた気がします。
その方法としてシステミックデザインに期待するわけですが、実践するには、システムの中にいる自分たちが変わっていくことが前提。そして、デザインにおいて個人の価値観(メンタルモデル)のシフトを、社会の仕組みの変革とセットで追求していくことが大事だと。
RYU:なんだか大変そうな気もしてましたが……(笑)。そのあたりから議論して、現状のシステミックデザインに足りないところは補い、日本の文脈に合わないところは更新して、独自の方法論を導き出すようなゼミにしていきましょう。