自己紹介_WEBデザイナー_初めてのnote
竹田怜平(たけだ りょうへい)と申します。
フリーのWEBデザイナーとして活動をしています。
突然ですが、みなさんはお仕事をするときに、どんな人と働きたいですか?
・早急に結果が出るような実力を持った人
・報連相が細かくて、安心できる人
・アイディアが豊富で面白い人
人にはいろいろなスキルや能力があると思います。
私はお仕事をするときにスキルや能力も大事だとは思いますが、最も大事だと思っていることは「相手を尊重できる人」かどうかです。
では、その「尊重」とは具体的に何か。なぜ最優先事項が能力やスキルではなく「尊重できる人」なのか、その経緯を含めて私自身を紹介させていただきます。
幼少から学生までは平和な人生
改めまして、竹田怜平と申します。
1991年1月8日生まれで、平成元年が1月8日という理由で名前に「平」が入っています。
2020年生まれと2024年生まれの2児の父です。
両親は父親がパッケージデザイナーで母親がイラストレーターのクリエイティブな家系に生まれて、家族団欒で見ていた番組は「美の巨人たち」という美術系に偏った家庭でした。
そんな私は幼少の頃よりLEGOなどの"ものづくり"が好きで、よく組み立てたり、例えば『ゴルフをしたいけどクラブがないから自分で作る!』という少年でした。
「思いついた!」という感覚が好きで、日々没頭するような生活を送っていたのを覚えています。
「家庭環境」と「好き」が繋がり、大学はプロダクトデザインを専攻して3Dプリンターなどを活用した"ものづくり"に引き続き没頭する生活でした。
そんな好きなことに没頭できるような環境で、友人知人の関係も波風立つような出来事はなく、とても楽い日々を過ごしてこれました。
人生に影響を与えた4人
そんな"ものづくり"をしてきた私ですが、社会人になってからとても困ったことが、人付き合いでした。
私が"尊重できる人"と働きたい理由は、これから登場する4名の方がとても影響しています。
・1人目は、3年目に部署異動した先の上長
・2人目と3人目は、上記の配属先の2人の先輩
・最後の4人目は、転職先の配属先にいた上長
この4名に出会うことで、私の中で大事にしたいことが固まったのです。
先にお伝えすると、1人目の上長に苦しみ、その際に2人目・3人目の先輩に助けられたのですが、転職先の上長にまた苦しむというストーリーです。
その苦しんだ上長両名の特徴はどちらも「プライドがとても高い」という人物です。
私はこのような性格の人とは合わず、疲弊して適応障害となりました。
幸い適応障害になった後、受診して異動や休職をして回復していますので、現在は問題ありません。
むしろ今ではその経験が大きな学びとなり、成長に繋がったので結果オーライです。
1人目の上長(仮名:鳴海さん)
1人目の上長(仮名:鳴海さん)が所属していたのはCS部です。
私は新卒採用で商品企画を2年経験したのですが、お客様像が具体的にわからず悩んでいたことから、より企画の精度を高める思いで、CS部に配属いただきました。
ただ、結果としてお客様のことはわからず、鳴海さんとのコミュニケーションに苦しむ日々でした。
私はそのCS部のマネージャーとして80名ほどのパートさんと一緒に働いていたのですが、
主な仕事は、上位対応、業務効率化、現状課題の測定などをしておりました。
今まで顧客対応はしてこなかった人生のため、業務に慣れるのに大変苦戦しまして、当時はパートの皆様にとても助けていただきながら仕事を覚えました。
働く中で鳴海さんとの関係は、初めは丁寧に教えてくださる印象でしたが、3日と経たないうちに、人柄に疑念を抱くようになりました。
理由はプライドが高いせいか、言動に矛盾が起きるようです。
というのも、鳴海さんはお客様には早急にお詫びしろと言うが自分のミスを謝らない。意見を出してと言うが反論されるのを極端に嫌う。「あなたのため」という言葉をよく使うが、どちらかというと仕事を押し付けてくる。という感じでした。
ただ、当時の私は疑念があったとしても全ては自分が未熟だから、私の伝え方が悪かったんじゃないかと、何においても自分の責任と捉えていました。
ただ、これはおかしいと実感したのは鳴海さんが部長に私が出した実績を話す際に、鳴海さんが作った実績だと報告したことです。
たいした実績ではないのですが、それすらも自分の実績として報告した事実が衝撃でした。実績を報告している瞬間は頭が白くなり、驚きしかなかったのですが、時間が経つにつれて怒り等ではなく”疲れた。。。”という感覚しか生まれてこなかったと記憶しています。
このことがあったのはCS部に異動して1年後のことでした。
2人目(仮名:伊藤さん)と3人目(仮名:太田さん)の先輩に助けていただく
鳴海さんとのコミュニケーションは配属2ヶ月目で苦しいと感じ始めていたのですが、その時期に同部署の先輩(仮名:伊藤さん)が「竹田さん大丈夫?」と声をかけてくださいました。
CS部はパーテーションがなく空間が開けているため、鳴海さんと私の会話は筒抜けに聞こえます。
その話の内容を伊藤さんが聞いていて、「あの言い方はないわな」「あれは鳴海さんの説明不足だね」というように、私が悪いと思っていたことを客観的に見て、指摘してくださったことで私も徐々に鳴海さんの話を俯瞰して聞けるようになっていきました。
自分自身を責める日々でしたので、疲れ切った私にとって本当に救いでした。
そして、3人目の先輩(仮名:太田さん)が私の後にCS部に配属されてきました。
その太田さんも早々に鳴海さんの言動に疑念を抱き、伊藤さん・太田さん・私で日々苦しい環境を乗り越えていきました。
ただ、その中でも鳴海さんは私に対して特に厳しい指導をしてきたことから、1年を過ぎて私は別部署へと異動する結果となりました。
幸いなことに異動先の部署で結果を残すこともでき、最終的には会社の3大ブランドのリーダーも務めることができ、自身損失とはならなかったのでよかったです。
伊藤さんと太田さんがいたからこそ、自暴自棄になることもなく、状況を俯瞰して見れたのは本当に助かりました。
何よりここで人と助け合う、人を大事にするということを強く学ばせていただいた時期でした。
転職先の4人目(仮名:小林さん)
新卒から約8年在籍した会社でしたが、人生1度きりだからこそ、より異なる業種で社会貢献を意識して挑戦してみようと思い、農業の分野に飛び込むことにしました。(この転職のきっかけは、別の機会に書けたらと思います)
ただここで出会ったのが、とてもプライドの高い上長(仮名:小林さん)でした。
小林さんは非常にストイックで深夜でも働く人で、労働に対する意欲は尊敬できますし驚異的な体力の持ち主でした。
ただ、結果のために相手を"道具"と捉えている傾向にありました。
会社の歯車という意味では、絶対的に間違えとは言えないのと、その方が効率的なのはわかります。
ただ、私の価値観として相手の気持ちや考え方も一つの意見として大事であり、寄り添うことが最終的に幸せな結果を生むと考えています。
そのため、小林さんの相手の意見を尊重せず、自分の意見を押し付けてくる行動を、とても嫌っていました。
また、小林さんの言動不一致や日頃の態度に対して私が疲弊してしまい、意気込んで転職をしたものの、残念ながら休職をする結果となってしまいました。
学んだことをどう次に活かすか
このように4人の方々に出会い、この出会いの数々を整理していく中で、
伊藤さんに言われたのが、「あなたは人が良さそうで騙されやすそう、攻めたくなる感じが出てるんじゃない?」とのことです。
ただ、これは私の強みとして「人の意見を尊重する、話しやすい人柄」という捉え方もできると思いました。
そして、私の仕事に対するパフォーマンスが最も高い状況は「この人のために働きたい」と感じた時がもっとも高いです。
それは伊藤さん・太田さんに助けていただき、この方々のために頑張って働こうとして、鳴海さんに苦悩しながらも結果を出してきたのが背景にあります。
では「この人のために働きたい」という条件は何かというと、
考え抜いた結果は「相手を尊重できる人」かどうかという結論に至ったのです。
・自分がミスをしたら謝る
・相手の意見をまずは聞く
・相手が困りそうなことは手を差し伸べる
・そして相手の取り組みを素直に応援する
親が子供に対して当然教えることですが、それが大人になってできない人が一定数います。
残念ながら、私はその人たちとはお仕事ができません。
なぜなら一緒にお仕事をしても、よいアウトプットができない可能性が非常に高いからです。
逆に「相手を尊重できる人」でしたら全力で楽しく取り組めます。
そして、「相手を尊重できる人」は仕事の仕方もそれに伴った言動をされます。
それが、私の思う「相手を尊重できる人」です。
今回長文にも関わらずご一読いただきありがとうございました。
ぜひ、「相手を尊重できる」とご自身が思いましたら、お友達になるだけでもいいのでご連絡いただけますと幸いです。
もちろん、お仕事が一緒にできるようでしたら一緒に楽しいものを作りあげていけたらと思います。
最後になりますが、下記にWEBデザイナーになった経緯を少し書かせていただきます。
WEBデザイナーになった経緯
前職は商品企画、CS、事務、ファッション調達、顧客調査など様々な部署を経験してきて、転職後は農業に従事してきました。
その中で、会社に勤める限り
・働く人を選べない
・働く時間を選べない
・労働対価の決定権がない
という点で、サラリーマンとしての働き方は、自身が高いパフォーマンスを発揮できる環境とマッチしていない可能性を感じました。
特に一緒に働く人で大きく結果が変わるため、それを基準に考えた時にフリーでの仕事が望ましいと考えました。
ただ、結果の伴うスキルも必須なため、もともと得意なテリトリーのデザインを選択した次第です。
また、世の中のニーズとしてWEBデザインが最も幅広いニーズがあり、多くの業種や人と出会える可能性が高く、これからたくさんの尊敬できる人たちに出会える楽しみを得られると考えWEBデザインという業種に飛び込みました。
(この結論に至るにも紆余曲折ありましたが、こちらも別の機会にお話しできたらと思います。)
最後に補足
今回転職前後で出会った上長との関係をフォーカスして「相手を尊重できる人」について書かせていただきました。
ご注意いただきたいのが、前提として私の一方通行の意見であること、それぞれの会社にとても好きな先輩や上司がいること、なにより在籍していた企業に対して私は魅力的で、面白い会社と思っていますので今回の話の流れで否定されるべきことはありません。
実際に私が適応障害になったこと、上長と話してきた内容や周囲の意見を整理して私なりに解釈した意見であることはご理解いただけたらと存じます。
ご興味いただけましたら次の「竹田怜平の公式LINE」に友だち登録いただけると幸いです。
以上になります。
ありがとうございました。