マレーヴィチとロシアアヴァンギャルド
マレーヴィチ(1878-1935)は20世紀始めにロシアで活躍し、抽象絵画の基礎を築いた画家と評されている。
今年国内で彼にまつわる展覧会が開催される予定はないが、「抽象美術入門」を読んでいてどうしても調べたくなった。彼の代表作「黒い正方形」、そして「シュプレマティスム」の考え方は当時賛否両論を巻き起こしただろう。(展覧会では否がほとんだったという)
私は上記を本で知った時、気分が高揚した。私自身、ポスターやその他のグラフィックよりもピクトグラムなどのよりシンプルな造形に心を惹かれる節があり、美術でいうと幾何学的な抽象絵画が好きだ。シンプルなほど気持ちが高まるのである。マレーヴィチの作品は絵画を超え、ある種造形作品の境地に達してしまっている気がする。私はその行為を愛しく感じるのである。(境地に達した彼は晩年、抽象絵画をやめ具象絵画に戻っている。彼にとっては抽象絵画なのかもしれないが、真相は分からない)
シュプレマティスムとは何か。そして20世紀前半のロシアの芸術の流れ「ロシア・アヴァンギャルド」と彼の関わりを調べてみたいと思う。
シュプレマティスムとは何か
マレーヴィチはこう述べ、写実的描写は美術と全く関係がないと主張する。今でも名画とされるモナ・リザをはじめとした写実的描写の絵画は芸術ではないとし、現実に根差した観念から離れた「感覚」に価値がある。彼によるとそれは非常に困難な道であり、彼は「砂漠」へと足を踏み入れたと表現している。
1917年のロシアでボルシェヴィキ革命が起こったことも踏まえると、美術界においても既存の芸術を否定する動きが生まれたことは不思議ではない。
『ロシア・アヴァンギャルド 未完の芸術革命』の言葉を引用すると、彼は「絵画自体が内容であること」を望んだのである。鑑賞者の立場からいうと、我々ではなく絵画が主導権を握るということかもしれない。
ロシア・アヴァンギャルド
20世紀前半のロシアは激動の時代であった。当時の芸術運動が政治・社会に強く結びついていたといわれるが、今日本に住んでいる私からすると想像が難しい。このときどれほどまでに、芸術の思想や価値が市民に広まっていたのだろうか。(本を読んでも難解すぎて理解できないところが多く、これを人々に広めるのはより難しいことではと思ってしまう。。)
とにかく当時ロシアの芸術家たちも芸術の革命を模索したり、そして政治との協業(ポスター、映画などの作成)を行ったりと活発に活動したのである。
「ロシア・アヴァンギャルド」とは、まさに20世紀初頭にロシア国内で起こった前衛芸術運動の総称である。演劇、文学、美術、映画、音楽、建築などありとあらゆる芸術活動が繰り広げられた。第一次世界大戦の勃発により、シャガールやカンディンスキー、ロトチェンコらがヨーロッパから帰国したのも大きく影響を与えただろう。
ロシア・アヴァンギャルドと呼ばれるものとしては、先程紹介した「シュプレマティスム」ともう一つ「ロシア構成主義」が有名である。
「ロシア構成主義」とは、それまで一部のお金持ちのためのものだった芸術を大衆のための芸術として実生活に役立つ形で取り入れようとした動きである。産業革命後の世界において、技術と芸術の境界を取り払った今でいうデザイナーの先駆けとも捉えることができるだろう。(実際バウハウスにも大きな影響を与えた)
最後に
シュプレマティスムにとって重要な出来事は1913年12月3日、5日にペテンブルクで上演されらオペラ『太陽への勝利』だ。この演劇でマレーヴィチは装置と衣装を担当し、その舞台の幕を黒い正方形のみでデザインしたのである。それは1915年5月にシュプレマティスムが確立する2年前、無意識のうちに作ったものだという。
1919年、マレーヴィチは個展でシュプレマティスムの終了を宣言する。シュプレマティスムを追求したのはたった4年間であったが、それは後の美術史において重要な出来事だったといえる。
最後に、『ロシア・アヴァンギャルド 未完の芸術革命』の一説を紹介する。
次回のテーマは「シュルレアリスムとダリ」。ではまた!