クリストファー・アレグザンダーの思考の軌跡を読んだった。

長坂一郎さん著の本である「クリストファー・アレグザンダーの思考の軌跡」を読んだ。昔、コルビジュエに関する本を少し読んだ時に建築デザインでは既に体験に関するデザイン理論が進んでいるように感じていた。今やUX/UIなど一色単な名前で出回ってしまっているが、もっと広い意味での体験デザイン論を学ぶことができるのではないかと思ったのだ。

この本よんだ軽い感想は、マジで好き。愛してる。って感じです。僕はアレグザンダーみたいに数学が得意ではないし、科学者でもないけど、彼のようにあらゆるデザインという分野ではなにか統一構造的なものがあるのではないかと思っているし、応用可能で再利用可能な構造を探すのはとても好きなので、この人の理論や考え方をもっと深く知りたいと思いました。とくにパターンランゲージについてはしっかり自分のものにしたいと考えている。


アレグザンダーさんって何してる人かっていうと、建築家で数学もできて物理も化学もできる超頭いい人やねんな。んで、デザインに関する研究、特に建築デザインから一般化させたデザインというものの目的やプロセスをよりシステマチックな形で解明して理論化しようとしてた人なんかなってこの本読んで思った。

すべての建築の目的、その幾何学的構成の目的は、生き生きとした場所をもたらすことである。

「バトル」 2012 アレグザンダー著

って彼はいうてるねんけど、大賛成すぎてここの言葉でこの本は読んで正解や!って思った。で、建築・アーバンデザイン系の本をもっと読もうと思った。環境と人とのインタラクションをデザインする。僕たちがやっているUXの領域と同じ匂いがぷんぷんする。
彼は、「あらゆる分野・対象に及ぶデザインという領域であれば、構造についての統一概念が得られるんじゃないか」って思ったらしいんよね。
メンタルモデルに沿った情報構造てさ、あらゆる分野・対象に及ぶデザイン領域でつかえるものやって俺思ってんねんけどどうでっしゃろか?システマチックにより論理的にプロダクトを構築できる一つの要素やと僕は思っててここ考える時超好き。どうでもええけど。

彼は、美しいものには、何かしらの調和があるものやと思ってたんよね。美しいと言えるためには、何と何の調和が必要で、調和って何をもって言えるのかっていうのを彼は追い求めてたらしいねんな。ほんで結局、宗教チックな感じになってるように思えてしまってキモってなってんけど、概ねすき。


この章からは、アレグザンダーがどのように論理を展開していき現在の考えに至ったかっていう話を永遠としてた。
この章は、理論の展開として確実なところから始めてるから、当たり前やんって思うところばっかりでつまらんかってんけど、
心理学者ジェロームの子供の知的発達に関する理論が個人的には面白かった。「表彰作用の三段階」っていわれるらしいねんけど、子供だけに当てはまるものじゃないなって思って、何かを新しく学び始めたら大人であろうが同じことをしやんと自分のものにできへんなってなんかやる気出してくれたからよかった。
で、コンテクストと形とニーズをより理論的に構築しシステマチックに使用と彼は考えていてそれを「形の合成に関するノート」っていう論文で書いてたんよね。


もうなんか話がごちゃごちゃすぎてまとめるのめんどくさくなってきたわ。
おもろいなって思ったところだけ書いてくわ。
なんかさ、グラフィックデザインとかの「このデザインの目的は何?」っ聞かれた時にこう表現したかったからとか自分の意図・意志をいうのって僕もやってたからわかるんやけど、恥ずかしいなって思ったんよな、しっしゅんで陳腐なものになってしまうというか、私はそうは思わないとかクライアントに言われたら何も言えんくなるというか、デザイン全てを理論的なもので伝えられへんものかってずっと思ってて、この章の「機能」という言葉に関する話が書かれててなんとなく理解が深まった気がして嬉しいなって思った。
絵を見る技術っていう本読んで、客観的に絵の良さというものを伝えられる論理を知ることができたが、その作品の意図とかって一定その人個人に依存してしまうなぁと思っていて、しょうがないもんなんかなって思ってるんやけど、アレグザンダーは最終的には神とか宇宙の意図・目的として解釈しようとしたんよね。なんかもう投げやりな感じしておもろかった。

あとおもろかったのは、デカルトの物事の真理を探究する方法を「分析・綜合・枚挙」の方法っていうてて、数学の証明とかと同じ考え方らしいねんな。数学の証明苦手やったからもっと前に知りたかったなって思ったわ。
考え的には、コンポーネントに分解して応用可能で再利用可能なものにするいまのUIデザイン手法とにてるなって思った。体験とかもストーリマップとか作ったりするあたり、このデカルトの考え方が応用されてるんやなっておもったし、自分的には疎結合万歳(場合によるけど)なのでなんか本質を知れた気がして嬉しかった。


人がシンプルなものを好むのって脳が怠け者なんやからって改めて思えた話があった。それは、都市はツリー構造ではないぜっていう話で、どういうことかというと、ツリー構造って重複を許さへん構造やねんな。なんかそれってシンプルに見えて美しい構造に見えるんやけど、実際それで都市をデザインしたら住み心地最悪わっしょいな感じになるよねっていう話で、僕らの感情って複雑やし、色んな人との関わりがあるからツリー構造のように重複が許されへんてなると行動が制限されて自然な動きができなくなってしまう。たしかになっておもったし、構造の抽象化も注意せなあかんなって思った。特に人間の行動は複雑やから、構造も人それぞれでより複雑なものになるやろうなと。それと同時に、体験考える時によく見るのって1ユーザーのことしか考えられへん人多すぎって思っててそういうデザイナーのフローってだいたいタスク的なんよね。誰にとっても使いやすいものにしたいなら、体験設計の方法として複数のペルソナを用意したほうがいいし、色んなユーザーがいて、色んな考え方使い方をすることを前提に設計せなあかん。やからこそOOUIって今流行ってるんやろな。流行るとかないと思うけど、もちろんタスク思考が悪いのではなくて、場合でタスク思考が有効な時もあるしOOUIが有効な時があるってことを知っとくべき。
んで、ツリー構造じゃなかったらなんやねんっていう話やねんけど、それを彼はセミラチス構造っていうてて、要素ごとのつながりがより複雑になる。
で、以降の章で秩序だったセミラチス構造って美しく居心地がいいが無秩序なセミラチス構造とどう違うのかっていう話をしててんけど、人間ってパタターンを認識するとくいで、なんでかっていうと人間の脳が怠け者やからっていう話に繋がってくるんやけど、何か法則的なものを物凄く探し出そうとする動物らしいねんな。それ考えると秩序があるから美しいと思えるのは、簡単に認識できるからっていうところに着地しそうな気がするねんな。難しいものを簡単に洗わせた時、問題が解けた時のアハ体験ってそういうものやと思うねん。だから、人間ってシンプルなものを美しいともうんちゃうかなって思った。
この本でも、3つの絵画を見せて類似のものを2つ選んでその類似はどこからくるのか説明しろっていう実験を行ったら、明らか構造的に似てるものを選ばず、表面的なところで説明できる組み合わせを選ぶっていう傾向がみられたって書いてたからそうなんやと思うわ。やから、僕らのやってるデザインってこういう視点から見れば、怠けさせるためにやってるんちゃうかって思うと心が痛くなる。世界が簡単に表現されてしまったら、アホになっちゃうんちゃうかな。デザインがアホを量産してるように思えてきて怖くなる。

パターンランゲージの話についての話が書かれててんけど正直ようわからんくて、ちゃんと本読もうとおもった;

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