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同感と共感のちがい

こんにちは。弟子塾のたまごです。

なんだか最近、コロナで新しい出会いもないし、友達ともなかなか会えない。地元に帰るのも難しくてなんか寂しい。そんなとき、そうそう!私もそうなの!と同感してくれる友達がひとりでもいれば、私はひとりじゃないんだと思えるものです。また、そうじゃなくても、大変だよねと共感してくれる人がいたら少し安心しますよね。

だんだん感じるようになった「ちがい」

最近、前にいた教会のメンバーでZoom同窓会をしました。一緒に信仰生活をしていたのはそれぞれ20代のときで、今はみんなアラサーからアラフォーです。

機会があれば個人的に会ったり、連絡をとったりしていましたが、コロナでなかなか移動できない中、あることをきっかけに私たちもZoomで集まろう!となりました。

「わ~!久しぶりじゃん!今どこにいるの?仕事は?そうなんだ!」と盛り上がりました。軽く3~4年ぶりに画面越しに会うみんなはそんなに変わってなくて、まるで何年か前に戻ったみたいです。

すると自分が知らなかった相手の環境や価値観の変化によって、以前とはちがうなという感覚になりました。ある人は結婚し、出産も経てこどもがいたり、またある人は仕事を一生懸命がんばっていたり、海外生活がもう10年になったという人もいました。

一緒に過ごしていた時に共有していた時間、考え方、空間、その時には「同感」していたことが多かったと気づかされました。

私が考える「同感」

同感とはなにか同じ条件下にいた人と共有できる感情のことをいうのだと思います。例えば、高校生の文化祭。同じクラスのみんな一丸になって準備した中で感じたことを話すとき、同感することができます。

一緒におまんじゅうを食べているとき、このこしあんがおいしいのよという一言に同感するのです。ですが、この同感というのは年が経つに連れ状況設定が変わり、難しいものとなってしまうのではないかと思います。

それは人が大人になるにつれて、たくさんの選択肢の中から常に何かを選択し、違う道を行き、多様になっていくからです。自分と同じような境遇の人に会うことが少なくなっていきます。

以前は誰かと共有できていた感情を伝えたとき、あれ?相手にちゃんと伝わってないかもと思うことがあるかもしれません。それは状況設定や立場、価値観などにちがいがあるからではないでしょうか。

そんな何か以前とはちがう感覚になったとき、私たちはどうしたらよいのでしょうか。自分を理解し、受け入れてくれて、なおかつ話を自分のことのように聞いてくれる、そんな人は大人になると出会えないものなのでしょうか。

大人になってはじめる共感

自分と違う道を進んだ友達、結婚してから関係性が少し変わった実家の家族、つらいことがあってからネガティブになってしまった自分自身。なんとなく人生ひとりで歩んでいくように感じられることもありますよね。

時には自分自身の変化についていけないこともあります。自分も気づかないうちに変わってしまったり、あることをきっかけに自分の知らない一面を見ることもあります。

自分を含め、周りも多様になっていくからこそ、私たちは誰かに共感することができます。共感とはそんなに特別なものではありません。同じ状況下にいて、同じものを見て、同感できなくても、相手の話に耳を傾け、そうだったんだとあいづちを打つ、そこから始まります。

幼い頃はまだスポンジのように周りから、また自ら学び、誰かに共感する前に吸収するという過程を通っていたと思います。誰かに共感するためには相手にも自分ほどのいろんなことがあるんだろうなという受け入れる気持ちが必要です。

相手の意見に完全に同意する必要はないけれど、相手の立場になって一度考え、悲しかったというのであれば、それは悲しかったねと、楽しかったといえば、それはよかったと言葉で表現すること。その感情の共有によって同感からは得られないものがあると思います。

共感、それは感情の共有

聖書にもこんな言葉があります。

ローマ人への手紙 12章 15節
喜んでいる者たちとともに喜び、泣いている者たちとともに泣きなさい。

人にはいろんな感情があり、時があります。わたしもすごく大切な友達に結婚前提の彼氏ができたときはうれしくもあり、少し寂しい、何とも言えない気持ちになりました。

その友達が先に結婚してしまうのだろうと思いましたが、私の方が2ヶ月早く結婚しました。その複雑な気持ちになった時には予想もできなかった展開です。タイミングというのは自分ではコントロールできないものです。

自分と違うからといって、線を引くことはありません。もちろん物事に向き不向きがあるように、人に対しても合う合わないはあります。性格や価値観、タイプなどによってちがいは大きくも小さくも感じられます。

ですが、相手の話を聞き、共感することでモヤモヤしていた誰かの気持ちが楽になり、前向きになれます。また、誰かが自分に共感してくれる時、たとえ相手が自分とちがうところが多くても、前向きに物事を進められるきっかけになるのではないでしょうか。

みんなちがって、みんないい

詩人の金子みすゞさんという方が「私と小鳥と鈴と」という詩を書かれました。その中に「みんなちがって、みんないい」という言葉が出てきます。

同じような状況にいる人たちと同じ感情を分かち合えるとそれはとても楽しいです。私の以前通っていた教会のメンバーたちはそのように20代を過ごしました。

ひとりひとり人生の中でいろんな経験をして、少しずつ変わった今もお互いがお互いに共感することができるのであれば、ちがっても尊重し、励ましあいながら関係を続けることができます。

あの人はもう変わってしまった、そんな歌の歌詞のように感じることがあるかもしれない、心のどこかで寂しさを感じるとき、共感することを思い出してみてください。

変わっていく途中で何があったのか、どうその時感じたのか、今はどう思っているのか、少しずつ共有する中でまたちがう感動がうまれることをお祈りしています。



今日の一言

最近、連絡取れてなかった友達に「よっ!」とラインしてみるのもいいかもしれません。


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