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アテナ

よく豆を買う喫茶店の若い子、ナオミちゃんが映画好き。そこで最近見た『アテナ』Netflixを勧めた。早速見てくれて「めっちゃよかったです!」そう来なくっちゃネ(笑)とても素直に私の勧める映画を見てくれる。うれしいな。
『アテナ』の冒頭10分間の〈事件〉は映像も事件的だった。どうしてフランス映画は「かっこいい」のか。説明がない。言い訳がない。言い訳がない?何に対して?画面内で起きている出来事に言い訳しない。映画の中に説明は要らない。物語が何かの説明になってしまっているときはいっそ物語も要らないと言っていいか。それはまた別の話。

「でも引きずっちゃいますね、もやもやしてる感じ」そうだね。全く「引きずる」って、いい言い方かもしれない。いつからこうでいつまで続くのか。フランスだけのことか?いいや、世界中引きずりネタは満載だ。ウクライナとロシア、ヘイトスピーチ、セクハラ、パワハラ、コロナ感染、統一教会、カルト国家、極右、明日のパン、明日のねぐら、80億の地球人口…et cetera。

2019 Les miserables

『アテナ』に先行する『レミゼラブル』。ゴム弾で重症を負った少年が警官に報復するまでに至る出来事を〈バンリュー〉に赴任した警官の視点から捉えたドキュメンタリータッチの映画だ。町山智浩氏も言っているが『アテナ』は視点を変えてバンリューの住民側から見た警官、則ちフランスが描かれている。

見る内に『カラマーゾフの兄弟』を思い出していた。直情径行の長男ドミートリー、冷徹な無神論者次男イワン、聖職者として登場するキリストのような三男アリョーシャ。「カラマーゾフの兄弟」では何者かに殺害された父親の犯人捜しというミステリーを置きつつ3人の兄弟の葛藤が進行する。
『アテナ』では最年少の弟イディールの死をきっかけとして兄弟間の確執が描かれてゆく。ヤクの取り引きしか頭に無い長男(父親が異なることも台詞でわかるが)モクタールはドミートリー、フランスの軍隊に所属し中庸を訴える次男アブデルはイワン、そして暴動を指揮する三男カリムこそアリョーショである。ドストエフスキーの創作ノートによれば「カラマーゾフの兄弟」で聖職者=キリストとして登場するアリョーシャは後に革命家となるという。『アテナ』では早々と〈革命家〉として登場するだけのことだ。カリムの造形が文句なくいい。状況判断の的確さ、指示の早さ、的確さ、そして面構え…映画はカリムを残酷に葬ってしまうがそれでも彼が意味するものは大きかった。
アブデルがカリムを喪った後に長男モクタールに振り下ろす鉄拳は明らかに度を超している。最も深い狂気が宿っていたのはアテナ(バンリュー)の住民でありながらフランスに魂を売った次男のアブデルだったのである。どんなことがあっても「大きなもの、『国家』に魂を売ってはならない」とも読める。

映画に物語は要らない何て言っていたくせにすっかり「物語」のように読んでしまっていた(笑)

ナオミちゃんの「引きずっちゃいますね」から引きずった今日の日記でした。