グレタ・トゥーンベリの好きな言葉〜学校ストライキ〜
I will continue school strike.
私はスクールストライキを続けます。
Why should we bother to learn facts when facts don’t matter in this society?
こんな社会では事実なんて関係ないとされてしまうのに、
なぜわざわざ(学校で)その"事実"を学ぶ必要があるのでしょうか?
by Greta Ernman Thunberg
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翻訳の精度はご勘弁ください。
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グレタのこの言葉が示しているのは、
「学校に行かない方が、むしろちゃんと学ぶことができる」ということなのではないか。
環境問題がどんな問題なのか、「事実」を学校で学んだところでそれの事実を無視している社会では何の変化も起きない。
なら、なぜ私は学校に行かなければならないのか?
という疑問を呈しているわけですが、かなりラディカルで重要な問題提起だと私は思います。
グレタは近代学校史上、初めて脱学校を問題提起したのでは?
脱学校論の哲学者イヴァン・イリッチのこの言葉も辛辣でとても好きです。
グレタの行動にも関連することがあると思います。
彼らは「教授」されることによって想像力の発展をはばまれてしまう。
(『脱学校の社会』p.80)
(学校による)この潜在的カリキュラムは、富める者も貧しい者も同様に、経済成長を指向する消費者社会への入会させる儀礼として役立つのである。
(『脱学校の社会』p.71)
環境問題に大して関心のない人々、気候変動の危機的状況に気づけていない人は、ほとんどの場合「学校に通っている人」だと思います。
学校に通う学生は想像力を奪われ、環境問題に気づかず、学校に行かない学生は問題に声をあげる。。。とっても皮肉なことだなあと思うわけです。
だからこそ、「スクールストライキ」なんですよね。
おまけ
別にグレタ本人が、脱学校を主張しているわけでも、意図しているわけでもないと思います。
学校に行かないことは強いメッセージのための象徴であり、運動の一貫に過ぎないのでしょう。
ただ、ここから学校の問題を考えるのも楽しいなと思ったという私の感想でした。