先生は「社会」に出ていた方が良いのか
社会に出たことない先生にとやかく言われたくない、みたいな主張は生徒的には定番かなと思います。
私も高校生の時そのように言っていた覚えがあります。
一見最もらしいですが、ちょっと立ち止まって考えてみようかな。
そもそも学校は、将来社会で活躍する人を育てる「小さな社会」なのか?
学校は「小さな社会」だとするなら、社会で活躍するため、あるいはお金を稼いで自立するための学びをした方が良いということになりそうです。
だから先生は、社会人経験を積んでいる方が良いし、お金の話も積極的にできる人の方が良い。
現実を生きる私たちにとって、生きる術を「勉強」とは違う実用的に教えてくれる。
そういう人が理想の教師像ということになりそうです。
だから、「社会に出たことない先生にとやかく言われたくない」という主張が最終的に行き着く先は職業教育なように思えます。
いかに社会・経済に適応した人間になるか、いかに勝ち組になるかを教えて欲しいというような感じでしょうか。
ただ、こういう立場は適応主義的で、日本全体が団結して経済を成長させていきたいという理念に踊らされているようにも思います。
学ぶ理由は人ぞれぞれです。何を学ぶか、何を目的に学ぶかは本来、学習者・個人の自由。
皆さんも、学校から「あなたたちは経済を支える職業人になるために、〇〇を勉強しなければならないのです!」って言われたら嫌でしょう。
私だったら、もっと自由に勉強したいし、別に就職するためだけに勉強してるんじゃないと主張したいです。
(経済成長そのものを否定してるわけじゃないです。就職って現実的な問題もあるけど、それを主張しすぎるリスクもある)
学校の先生は社会に出たことなくても別にいい
労働を前提にした教育というよりも、労働において搾取されないように法律を学ぶとか、個人の持つ権利について学ぶ場ことが学校(学校じゃなくていいけど)なのかなと個人的には思っています。
だから、先生が社会に出たことなくても全然問題ないと思います(そもそもここでいう社会の定義が意味わからんけど)。
実業家や経済界の人ばっかりが先生になったらと思うと、それはそれでめっちゃ怖いです。
教育って誰でも口出しできますもんね。すごい自己責任論ばっかりの授業になってしまいそう。
おまけ
日本って職業教育むしろやってない方の国ですよね。高校も普通科ばっかりだし。
他の先進国はむしろ職業科・専門科は結構あります。
教育ってほんとなんのためにするんでしょうかね。それによって先生がどんな人であるべきかの答えは正反対のものになるんだと思います。
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