【エッセイ】成人式の日、わたしは唐揚げを食べていました。
成人式開催を知らせる手紙が届いた朝。
一応、封を切った。
一応日にちを確認して、一応母に報告する。
母はふーんと言ったあとに、「その日どうする? なんかうまいもんでも食べに行く?」と返してきた。
わたしは「うん、行こ」と答えて、手紙を折りたたみ、引き出しの奥に閉まった。
学生時代をひとことで表すのなら、悪い夢。
成人式が「学生時代の友人と会合し、思い出を愛おしく語り合う機会」だとするならば、私は閉口する他やることがなくなる。寂しさをお土産に歩く帰り道を思うと妄想だけで泣けてくる。そんな状態では晴れやかな場にふさわしくあれない。今でもその選択を後悔していない。何かの気の迷いで参加していたパラレルワールドと思うと身の毛がよだつ。
当時有難かったのは、出席しないという選択について誰1人として責めたり、理由を尋ねてきたりしなかったということ。気をつかってくれた一族と、希薄な人間関係の賜物だ。
時にどんな振袖を着ていくの? と無邪気に聞かれることもあったが、そのさいにはわたしも無邪気に返した。
成人式を楽しみに待つ女の子として、明るい過去を思いうかべながら、明るい未来をかたった。
家に帰り、ひとり現実のわたしと鏡越しに向き合ってみて、はっとした。
そうして迎えた成人式の日。
わたしはおっきい唐揚げを3個食べて、1日を終えた。
カウンセラーの先生からいただいた「揚げ物は若いうちにたくさん食べておいた方がいい」という言葉を思い出しながら。
その翌年には貯めたアルバイト代で振袖の写真を撮った。理由は、撮らないで後悔したというさくらももこ先生のエピソードが印象的だったから。それから、母と父にプレゼントしたかったから。
新成人でなくても撮影して貰えるとのことで、母と父を連れて写真館へと向かった。
メイクを担当してくださった方も、着付けを担当してくださった方も、カメラマンの方も、ただただ、20歳を迎えた女性として扱ってくれた。その当たり前が沁みた。
かわいいね、お肌が綺麗だね、指が長くて素敵ね。
気持ちを上げてくれる、主人公にしてくれる、プロの言葉だとわかっている。
それでも、どうにもジンと来た。
幸せな時間だった。
撮影を見守る母の顔が、忘れられずいる。その顔さえ覚えていればこれから先、なんとか生きていけると思えた。
学校に隕石が落ちてこなかったみんなへ
お疲れさまです。
学生時代を記憶の彼方に封じ込め、現在、それなりに生きられているわたしです。だけど、成人式に参加しない人生で良かったとは思えてない。参加出来た人生を夢見ない日はないから。
けれど、式に参加してもしなくても20歳にはなれるし、20歳を過ぎたらもう学校行かなくて済むのがなによりいい。寝ても醒めても学校がない。嬉しいよ。やったー!
今はもう、世間様や家族に迷惑や心配をかけない生き方をすること、ただそれだけがモットー。
いつになるか分からないけれど、当時の傷を古い友達だと思って懐かしめる日が来たらいいな。そのときは誰かに付き合ってほしいと思う。隕石が落ちてこなかった人と笑い話にできたらいい。
ほんとみんな20年生き延びたのすごいよ。
おめでとう。
からだとこころ、だいじにね!