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小説?を書いています
はじめまして、頓挫です。これだと自己紹介が頓挫したみたいですね。こういう名前(本名)です。そして、Twitterから来てくださった皆さんはお久しぶりです。
頓挫はいま、おそらく人生最後になるであろう長い長い春休みを過ごしています。そして、結構退屈しています。そこで、以前から思っていた「生産的な人間になろう!」を実現すべく、文章を生成しています。これが小説と言えるかは不明ですが、便宜上、小説ということで書いています。
大学での勉強と関連して、戦争や虐殺がテーマの中心にいるので、読んでくださいとも言いにくいのですが、いま書いているものから一部抜粋して、載せてみようと思います。
※嫌な気分になりたくない人は絶対に読まないでください!
※「だから、薄れゆく意識を保つには、こうして架空のオーディエンスを脳内に用意して、あなたに話しかけるしかない。「どうして?」と、すべての行為に疑問符を付けてあげなければ、私の意識は完全に失われてしまうのだろう。実際に口にするわけではないし、それくらいは許されるはずだ」
3.殺戮への入り口
いま思えば前世紀の大戦後も、世界はこの殺戮へ向かって少しずつ歩みを進めていたのだろう。人類がいままで経験しなかった悲惨な戦争を経て、もうこれほどまでの悲劇が繰り返されることはないと当時の人々は思っていたかもしれない。だけど、そうではなかった。大戦後、人類の反省から生まれたように思われた平和は、とても不安定であった。というより、人々はそれを平和だと思い込んで安心したかったのだと思う。その陰では、殺戮のための準備が着々と進められていた。
あなたには特別に、このぼくが直々に世界史の授業をしてあげよう。といっても、ぼくはあまり世界史を知らない。従軍したのが16歳の時だったからそれも仕方ないのだけれど。そして、あなたとは、ぼくが作り出した幻想であり、ぼく自身であるのだけれど。
前世紀、人類は2つの大戦を経て、前世紀末には民族紛争と呼ばれる戦争の一つの類型が確認された。古典的な戦争と前世紀に生まれた紛争の特徴は異なる。前者は領土や資源の利権に関わるいわば計算された戦争だった。戦争のプレイヤーが持つ軍隊は、彼ら自身の傭兵であり財産でもあった。だから、自らの損失と目的の達成によって得る利益を考慮し、合理的にプレイされていたと聞いたことがある。だが、大戦を経て顕著になった民族紛争の目的は敵の殲滅にあるようだった。敵の存在、文化、記憶を否定し、消し去ろうとする、存在そのものを賭けた戦争のように感じられる。
世界全体の流れでは、前世紀末からグローバリズムという思想が自らの地位を築き上げ、人や物資の移動はさらに増加し、高速化した。この時代の先進国は、多文化迎合主義とやらを掲げ、多くの移民や異教徒を抱え込むことになった。また、産業界では同時期にコミュニケーション革命が起こる。つまり、インターネットだ。人々が互いに連絡を取るコストは圧倒的に低下し、全世界に対して意見を披露することさえ可能にした。だが、その弊害として、マイノリティへの恐怖を煽る嘘や集団間の対立を煽る言論が全世界に開かれることになった。
同時多発的地域紛争(MCRC)へ至る第1段階は、前世紀末から21世紀の十数年の間に完了したように思われる。つまり、戦争の質が、敵の徹底的な殲滅へと変化したこと。つまり、その目的が達成されるまで、凄惨な殺戮は終わらない。そして、グローバリズムを支えた多文化迎合主義と、同時期に発生したコミュニケーション革命である。これらの要素が揃うと、世界はぼくたちの殺戮に至るべく第2段階へと移った。
結局、21世紀のはじめの十数年でグローバリズムの試みや多文化迎合主義は限界を迎えていた。グローバリズムは人々の間で、かつてないほどの貧富の差を生んだし、各国が経済の停滞感に襲われる中で、移民や異教徒を多く抱えた先進国内では、機会や福祉の分配、治安を巡って人々の対立が激化していた。そして、インターネットが、その対立をさらに過激なものへと進化させた。第2段階に必要だったもの、それは不平等や停滞の拡大によって、人々が互いに不満を抱き、それを憎悪へと変換し始めることだった。21世紀の前半には、こうした不満や憎悪に付け込むポピュリストが先進国内で多く登場することになった。この政治家たちは新しい価値観、すなわち、グローバリズムや多文化迎合主義を否定し、ナショナリズムを掲げだす始末だった。新しく生まれた寛容な価値観を受容しない古い人間、つまり、前世紀の大戦の記憶が、世界観が、未だに色濃く残る世代の価値観を採用した。この頃は、全世界的にナショナリズムへ回帰する動きが活発であった。
第3段階は、このポピュリストたちによって人々の不満や憎悪が、国家同士のレベルで展開されていくことだった。まずは、自国を第一に優先するために馬鹿げた関税を課すことから始まった。それは報復関税を招き、貿易戦争へと発展したが、国民同士も私的な戦争への準備をすべく憎悪を増大させていった。
前世紀の大戦は、決して綺麗に片付いてはいなかった。21世紀の半ばに近づくにつれて、「歴史」がさまざまなメディアで取り扱われるようになる。それは、自分たちが奪われたという記憶、自分たちが辱められたという記憶、自分たちの同胞が殺されたという記憶である。
「この耐え難い記憶は、そう、あいつらによって刻まれたのだ」
これは、ある国の国営放送の記録だが、一国の首相が電波の届く限りの国民に向けて、怒るように、結束するように、在るべき姿・自らの尊厳を取り戻すように力強く訴えかけている。この頃になると人々は、さまざまな「歴史」を持ち出すことで、誰が敵であるかを議論できるようになった。この敵は、どの歴史を用いるかによって、あるいは、自らをどの歴史に位置付けるからによって変化する。だから、敵が隣国である人もいれば、異教徒である人もいる。第3段階は、全世界に不満や憎悪が拡大し、「歴史」による敵の定義が可能になったことで完了した。敵がいることや不満や憎悪の感情は、日常へと溶け込んでいったし、人々の生活の多くの部分を支配するようになっていた。
この時点で既に、前世紀の大戦後に確立されたかのように思われた平和は完全に崩壊していた。今となっては、前世紀の大戦後も平和は確立されていなかったという方が正しい。平和の正体は、かつて人類が経験しえなかった大規模で凄惨な殺戮を経験した人々の思い込みであった。もう二度とこんな経験はしなくて済むように、と。世界は正しい方向へと進んでいくと願っていたし、信じてしまった。
世界は緊張状態に陥った。国家同士だけでなく、人種や宗教、社会階層、あらゆる属性が互いを敵として認識する状態に陥った。そんな世界で、同時多発的地域紛争(MCRC)を起こすのはとても簡単だった。一つの地域で銃声が鳴り響くと、それが待ち望まれた合図だったかのように周辺の地域へと伝播し、人々は殺戮のレースで競いあった。
ぼくの見解はこんなところだ。本来であれば、もっと調べて授業をするべきだったけど、ぼくはいま軍人で、行軍中だ。つまり、それが出来ないのだから言っても仕方ない。
さあ、そろそろ目的地へ着くようだ。長い、長い行軍を終えれば、それに比べれば一瞬の戦闘に参加し、生き残っていれば再び長い、長い行軍を繰り返す。戦闘に参加するには、少しもの思いをし過ぎたようにも思う。頭を使いすぎた。待機時間では少し長めに仮眠を取らせてもらおう。意識を中断し、意識がなくとも規則正しく殺戮の地へと向かっていく身体を中断するために。