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「反脆弱性」講座 24(完)「『変化』が好きならあなたはもっと強くなる」

私たちは今、倫理(や信念)が先にあり職業を決めているのか、職業が先にあり倫理(や信念)を決めているのか、その順番を検証してみる必要があります。

デブのトニーは、「今でも奴隷はいて、ネクタイをしているのですぐわかる」と言い、彼らがどれだけ金持ちでも自立できていないと言います。なぜなら、「自立」は心の問題だ、と。

「トレッドミル(足踏み車)効果」という現象があります。私たちが同じ位置に居続けるには、どんどん多くの物が必要になってきます。欲望は反脆いのです。そして、欲望の犠牲になると脆いのです。

金回りがよくなり、超高級住宅地に引越せば、あなたは周囲と比較してしまいます。金持ちに囲まれるとそのとたんにあなたは貧民になってしまいます。そして今の仕事にますます依存するようになります。どこまで行っても満足できません。このようにじらされ続けるというのは現代の特有の状況です。こうして、人は職業の奴隷になっていくのです。

アダム・スミスの時代から、私利私欲が成長の原動力になるので、集団には個人の善意は必要ないとされています。そしてそれにより人々の集団に対する信頼感が低くなることもありません。一方で、真の自由人とは、アリストテレスに言わせれば、意見が自由に言える人間のことであり、それは(職業に縛られずに)時間を自由に使えることの副産物なのです。

また、この意味での「自由」とは政治的な意見を正直に述べられるということです。20世紀までのイギリス人にとっては、人間らしさの始まりは侯爵という地位でした。仕事に煩わされない暇な自由人という地位です。働いていないと言う意味ではありません。個人的・心理的なアイデンティティを仕事から得るのではなく、仕事を趣味のような付随的なものとして見るという意味です。

デブのトニーにとっては、人間らしさの始まりは、「自己所有」です。自分の意見は自分で決めるということです。これは富や家柄や知能とは関係なく、勇気の問題です。つまり、普段ならしないような行動を強制させられることのない人間です。この自己所有こそ、トニーとっては自由人の定義なのです。

また、勇気をもつ人だけが自由に意見を述べることができます。臆病者はどれだけ自立しても、どれだけ金持ちになっても、真の自由人にはなれないで、臆病者のままなのです。

元FRBの副議長のアラン・ブラインダー教授が、納税者から合法的に金をだましとる奇妙な保険商品を売ろうとしていました。預金保険の上限をすり抜けるために、投資家が預けたお金をブラインダー教授の会社が、複数の少額に分割し銀行に投資するというものでした。

それにより、全額が保証対象されるわけです。別の言い方をすれば、超金持ちがタダで政府支援の保険に入り、納税者から金をだまし取れるのです。

タレブ氏が「これは倫理に反するのでは?」と言ったところ、彼は「完璧に合法だ」と言いました。つまり、合法的であれば、倫理的だ、と。

ある意見を擁護する主張や倫理的道義を、あとから見つけることは可能です。自分の行動に「あと講釈」を当てはめるのです。そして長い間、「決議論」においては、その「講釈を当てはめる」という行為が行われていたのです。

また、詐欺的な意見というものは、個人的な利益を公共の利益にすり替えたものです。ブラインダーは、預金保険の上限を引き上げることに反対する論説を書いたが、それは自分の会社が仕事を失うからでなく、公共の利益のためという名目にした「詐欺的な意見」でした。

こういう問題を見抜く1つの方法は、その意見や主張により、何か個人的に得をするものがあるのか、チェックすればいいのです。この話はリスクを取る(身銭を切る)のとつながります。たとえば、「銀行システムは脆弱なので、必ず崩壊する」という意見を持っている人は、誰かがその意見を信じて被害を蒙ったときに自分も被害を蒙るように、自分の意見に投資すべきなのです。

また、逆に集団全体の利益について意見を述べる人は、関連した投資をしていないことが必要になります。まさに「否定の道」です。

世の中にデータが多くなると情報も多くなります。同時に偽の情報も多くなります。論文発表しか興味のない研究者がかかわっている場合、この偽情報、ノイズの急増は一層深刻な問題となります。というのは、銀行家と同様に研究者にも凸のオプションがあるからです。研究者には、自分の信念を裏付ける統計だけ選び、うまくいった結果だけ見せ、残りを葬り去る無料のオプションがあるのです。

実験自体もバイアスがあります。研究者は、失敗した実験を隠し、自分の求めている結果に合致する実験だけを選ぶ動機があります。また実験結果が出た後で仮説を立てることもできます。こうして仮説を実際の実験結果に合わせるのです。

データに騙される現象は加速度的に増え続けています。ビッグ・データにより、データの数により増える偽の相関関係は本物の情報よりずっと急速に増えています。そうなると今やデータが生み出せるものは、「否定の道」タイプの知識であり、証明でなく反証に頼らざるを得なくなっています。

間違いが個人でなく集団で犯されているというのが、体系的な知識の特徴です。「みんながそうしているから」「ほかの人はそうやっている」という主張は巷にあふれています。企業組織のみならず組織的な構造である学会が、科学の原理に背きやすいのはこの部分なのです。

また、経済学やビジネス・スクールは深刻な倫理的問題を抱えています。それは経済学がナンセンスで、リスク管理手法にも誤りがあるにもかかわらず、教授たちは経済システムがぶっ飛ぶようなことを教えているわけです。学部は学生が職に就けるように、何か教えないといけないのです。その内容がインチキであってもです。

それでも人々がその概念を使い続けるのは、間違いによって害を蒙っていないし、罰せられていないからです。また、それが職を維持したり昇進したりするのに最適な戦略だからなのです。

その結果、私たちは悪循環にはまりこんでいます。内容がインチキだとみんなわかっているのに、それにどうにかできるほど自由な人間もいなければ、勇敢な人間もいないのでぐるぐる回っているのです。

ただ、朗報はあります。たった一人でも勇気のある人が出てくれば、この間違った弱虫集団をぶちのめすことが可能です。また歴史的にも聖典でははっきりと、集団に従って悪事をなすこと、集団に迎合するために偽ることを罪だと説いているのです。

結論

すべてのものは変動性によって得または損をします。脆さとは、変動性や不確実性によって損をするものです。テーブルの上のグラスは変動性で損をします。

この「反脆弱性」は、多くの細かい部分や応用、複雑なものも含まれているが、最後には、すべてがたった1つの命題から湧き上がるのです。

周りを見渡してください。生活、モノ、関係、存在に目を向けましょう。「変動性」という言葉を状況に応じて、無秩序のほかの仲間の言葉と置き換えてもいいのです。いやそれも必要ないでしょう。正式に表記すればそれはたった1つの記号になります。

時間は変動性です。教育も、人格の形成や真の知識の習得も、無秩序が好きなのです。肩書き目当ての教育や教育者は無秩序が嫌いです。間違いのせいで壊れるものもあれば、壊れないものもあります。イノベーションは不確実性で得をするものの代表格です。

非直線形的なものは、ストレスの強度によって凸、凹、凸凹混合のどれかです。すべてのものに変動性に対する好き嫌いがあります。

凸と凹を見分けることができれば、ブラックスワンに強いシステムをつくることができます。

ブラックスワンの起こる確率xを知らなくても、xに対するエクスポージャーをコントロールすることができます。これを使うのがバーベル戦略なのです。

ランダム性の分散(⇔ランダム性の集中)は、ひとつの選択肢と言うよりも必須条件です。3つ組は、私たちがこの世界で生きていくために何をすべきか、少しだけ教えてくれます。この世界は人間に理解してもらおうなんて思っていません。いや人間がこの世界を真に理解できないからこそ、魅力があるのです。

グラスは死んでいます。生き物は変動性が好きです。自分が生きているかどうかを確かめるいちばんの方法は「自分は変化が好きか?」と自問することです。

食べ物は空腹でなければ美味しくない、成功は努力がなければ、喜びは悲しみがなければ、そして確信は信念がなければ意味はないのです。そして倫理的な生活は、個人的なリスクを伴ってはじめて価値があるのです。