「反脆弱性」講座 5 「脆い」と「反脆い」
「 #脆い 」「 #反脆い 」を様々な具体的なポイントから検討していきます。
職業として、ジョンは大手銀行に勤めていて、ジョージはタクシーの運転手をしています(二人ともロンドン在住)。ジョンは毎月決まった給与を受け取っているのに対して、ジョージは不安定です。つまりジョージの仕事はランダム性があるわけです。
#ランダム性 はリスクを伴う、ゆえに悪い。だからランダム性を取り除くしかないというのは大きな誤解です。ジョージのような職人は収入面では少し不安定ですが、収入がゼロになってしまうような職業上のブラックスワンに対しては頑健です。
一方、ジョンのほうは銀行危機でも起これば人事部からの電話一本で、収入がゼロになり、面食らうことがありうるわけです。収入は安定しているが、「脆い」わけです。
タクシーの運転手、売春婦、大工、配管工、仕立屋、歯科医などの職人的な仕事は、変化があるがゆえに少しだけ「反脆さ」があります。彼らは環境の変化が起こるたびに、順応しなければならないというプレッシャーを受けます。そういうストレスは情報なのです。その結果、絶えず適応と変化を繰り返し順応していくわけです。
システムに変動性があればあるほど #ブラックスワン の影響を受けにくい。それらのに人間は、変動を恐れランダム性を人工的にならそうとして、知らず知らずのうちにシステムを脆くしてしまうのです。
政治的なシステムについて、スイスを例に挙げています。スイスには巨大な中央政府はありません。完全なボトムアップ型の地方自治体が連邦国家を構成しています。私たちは歴史的にも小さな単位や種族で暮らしてきました。小さな単位の集合体の中では日常ちょっとした衝突やいざこざはあります。このような局所的な変化やノイズがあるからこそスイスは連邦レベルでは安定しています。このように政治的なシステムにも自然な反脆さが存在しているわけです。
著書「ブラック・スワン」で登場した、「月並みの国」と「果ての国」、そして七面鳥の話が出てきます。今まで述べてきたランダム性について二つのケースを考えてみます。
ひとつは、変化はたくさん起こりますが、全体的に見れば(長い目でみれば、または集合体としてみれば)相殺されます。これが「月並みの国」におけるランダム性です。
もう一つは、ほとんどの期間は安定しているが、たまに大混乱、つまり巨大な影響を及ぼす間違いが起こる変動です。これが「果ての国」です。
ジョージのケースが「月並みの国」だとすれば、ジョンのケースが「果ての国」ということになります。「月並みの国」では、 #ベル・カーブ ( #正規分布 )の世界で、コントロールしやすいのですが、「果ての国」では、予想が極点に難しく、急激な変化が起こる世界(「 #ファット・テール 」)なのです。ファット・テールは、テール(尻尾)の部分で起こる事象が不釣り合いなほど大きな役割を果たすということです。
バートランド・ラッセルの比喩を脚色した、感謝祭の数日前まで七面鳥を1000日間育て続ける肉屋の話が登場します。七面鳥は自分の人生が非常に安定していると確信がもっと深まったときに、びっくり仰天するわけです。ブラックスワン的事象です。
この間違いは、「(有害性の)証拠がないこと」を「(有害性が)ないことの証拠」と勘違いしてしまうことです。
したがって、私たちの人生の目標は「七面鳥にならないこと」であり、欲を言えば、反脆くなることです。「七面鳥にならない」ためには、まず真の安定と作り物の安定を見分けられるようにならなくてはいけません。
歴史を振り返ったとき、自治的な都市国家の繁栄がいたるところで見られます。ローマ帝国やオスマン帝国においても、十分な税金が上納されている限りは、地域の政治は地元の有力者に任せていました。こういう小国は戦争でたくさんの敵に太刀打ちできないので、こっち戦争が起こると、あっちで同盟が生まれるなど、いつもどこかに緊張が存在するが、大きな事件は起こらないのです。
その後、19世紀後半になり、次々と国民国家が誕生します。2回の世界大戦で犠牲者は6000万人以上にも及びました。戦争は明らかにブラックスワン化し、不連続になり、世界は「果ての国」化しました。
いま世界はどんどん平和に向かっていると考えている人は七面鳥なのです。世界で戦争はますます残虐化する可能性を秘めています。「果ての国」のリスクについて考えるとき、私たちが見るべきなのは証拠ではなく(証拠が見えてからでは遅い)、潜在的な被害なのです。世界はいまだかつてないほど、大きな被害を受ける可能性を秘めているのです。