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「反脆弱性」講座 13 「なに?鳥に飛び方を教えるって?」

車輪つきのスーツケースの話から始めましょう。

今や多くの人が車輪つきのスーツケースで旅行を楽しみます。少なくとも30年くらい前までは、重いスーツケースを引きずっていたし、台車の上にスーツケースを置いて運んだものです。このスーツケースに小さな車輪をつけるという見事で、単純な発明がなされるまで、車輪の発明(メソポタミア文明)から6000年もかかったのです。

この生活におおいに役に立つ小さな発明をするまで、人類は人を宇宙に送ってから30年以上もかかったという事実は、いかに私たちに想像力が足りないかを示しています。私たちは明日の姿が見えないのです、だから、 #ランダム性 の力を借りて、ちびちびと発見をしているに過ぎないのです。

蒸気機関についても同様です。古代ギリシャには実際に動作する蒸気機関がありました。その目的は娯楽で、「アイオロスの球」というものでした。この古来の発見が再発見されるのには産業革命までかかったわけです。

発見と実用化、このふたつの過程には、進化と言われる、ランダム性の助けが必要なのです。発見においては、偶然の果たす役割を軽視しがちではあるが、ランダム性の役割はそれほど意外性はありません。

しかし、実用化におけるランダム性については、なかなか気づかないのです。発明されてもすんなりと実用化につながるとは限りません。何かを市場に送り出すだけでも、反対、役人、能無し、細かい作業や自分自身を襲う憂鬱との戦いがあるのです。言い換えると、 #オプション (選択肢)を見極めることが実用化にとって大事なことなのです。

また、世の中には半分だけ発明されたもの(「半発明」と呼ぼう)があります。この半発明を発明に変えるには、大きな飛躍が必要なのです。たとえば、 #スティーブ・ジョブス が完成させた、コンピューター・マウスやラップトップといったものです。これらはある種のビジョンを持っていないとつくれないものなのです。

実は、単純で明快な発明ほど、複雑な手法では見つけられなくなります。また、重大な発見は実践を通じてしか得られないのです。一方で、政府も大学もイノベーションや発見にほとんど貢献していません。それは、彼らがいつも複雑で、センセーショナルで、話題性があって、科学的なものを求めているからなのです。単純なスーツケースの車輪では、栄光は手に入らないと思っているからです。

タレスのところで話が出たように、反脆さ、オプションは知性に勝ります。ただし、今手元にあるものが今までより優れていることを認める(オプションの存在を見極め、行使する)能力は必要なのです。これが知性を要求される唯一のプロセスです。

試行錯誤には、人々が理解できていない重要な価値、オプション性があります。試行錯誤はランダムな行為ではありません。よい結果を見分けて、切り捨てるものを理解するだけの知性が必要です。

たとえば、石油の採掘や沈没船の探索において、「失敗」は損失でなく、ある意味で投資となります。探索の過程で、エリアを正方形で区切り、存在の確率の高いエリアから探索し、あるエリアにないという確信を得てから次のエリアに移動します。探し終えるたびに見つかる確率はどんどん増えていくわけです。実は、技術的なノウハウの大部分は、試行錯誤に備わっている反脆さ(オプション性)から生まれます。

2種類の知識を考えてみます。ひとつ目は、「知識」の厳密な定義に結び付けるのは難しいが、私たちが上手に行っている物事のやりかたです。反脆い行動によって得た、スキルやアイデア、生まれつきの生物学的な本能によって持っている技術や考え方です。もうひとつは、学校で教わり、成績をつけられ、体系化できる、学術的な知識です。

私たちは、前者の直観的な技術を後者の、本や思考方法で身につけたと考えてしまう傾向があります。それは、一般的な知識の流れと言われている、学問 → 応用科学技術 → 実践 という一方通行だと思い込んでいるからです。

でも実際は、ほとんどの分野でその逆が成り立つようです。目的型の研究は幻想にすぎません。

鳥に飛び方を教えているハーバード大学の学者たちを想像してみましょう。知識の流れは、数学 → 羽ばたき技術 → 鳥が飛ぶ となります。その学者は、鳥が自分たちの教えに従って飛べたと大喜びで論文を書きます。鳥は自分が教えてもらったかた飛べたとか、前から飛べたとか言えないですから。

これはとてもバカげた話ですが、この「鳥」を「人間」に置き換えたらどうでしょうか? 人間は講義のおかげで物事のやり方を覚えるのだ、ということが何やらもっともらしく思えてしまいます。

これをソビエト=ハーバード流の錯覚と呼びましょう。この錯覚は「随伴現象」という因果関係の錯覚のひとつなのです。たとえば、先進国で学術研究が盛んに行われているのを見ると、研究が富を生み出してると考えてしまいます。文化的な枠組みや、ジャーナリストの意見によって、因果関係を決めつけられているのです。

経済危機が起こるたびに、欲望が原因だという説が出ます。随伴現象の真偽を暴く方法として、出来事の順序を調べて、一方が必ずもう一方より先に起きているか確かめる方法があります。そういう観点で見ますと、人間の欲望は経済システムよりずっと昔からあるわけですから、随伴現象なのです。

観光パンフレットに載っている写真は、多くの場合、実際の風景より美しく写っています。私たちは自然にこういう場合は補正を行っているのです。

ところが、科学、医療、数学などの分野では、私たちはこういう補正をしません。高度な学問には騙されやすいのです。

研究においては、自分の説を立証する事実だけ選んで、反証や無関係な事実は発表しません。また、自分のしなかったことではなく、自分のしたことを強調します。これらはまさに「いいとこ取り」なのです。

「いいとこ取り」にはオプション性が潜んでいます。筋書きを立てて、追認的な例だけを見せて、残りは一切無視することができます。変動性やばらつきが大きければ大きいほど、一番いいところのみ取り上げて、バラ色の筋書きが作れるわけです。まさに、悪い方のオプション、そして反脆さの実現なのです。