「反脆弱性」講座 3 「生命の秘密」(ネコと冷蔵庫)
冒頭、「命あるものはすべて反脆い(ただし反脆いものすべてに命があるとは限らない」という仮説を挙げています。
人間の身体は、一定限度までであれば、#ストレス がプラスに働きます(身体が丈夫になる)。たとえば人間の骨は、一時的なストレスがかかると密度が高くなります。
一方、皿、自動車、デスクなどの無機物は、頑健であることはあっても、本質的に反脆いということはあり得ません。この事実こそが生物と非生物の違いなのです。
ジーンズは穿き古すにつれておしゃれになることはありますし、工芸品が年代を重ねるほどに味を増していくことはあります。しかし、やがて時代がたてばいつか廃品とならざるを得ません。少なくとも、ジーンズの物質が丈夫になったり、自己修復することはないわけです。
社会、経済活動、市場、文化などは、明らかに人工的なものですが、自分の力で成長し、やがては自己組織のような状態まで達します。生物ではないですが、増殖して複製するという意味では生物にそっくりです。噂、アイデア、技術や企業も同様です。どれも洗濯機よりネコに近いのに、洗濯機や機械に近いように誤解されやすいわけです。
このように考えると、生物と非生物という分け方より、もっと一般化して、非複雑系と複雑系という区別ができます。
人工的な機械装置は、どんなに複雑なものでも「 #複雑系 」ではありません。ボタンを押せば同じ反応をします。結果にあいまいさはありません。また相互依存性もありません。
一方で、複雑系では相互依存性が大きいのです。生態学の観点が必要になります。生態系である動物が除かれると食物連鎖が乱れ、動物のみならず植物まですべての地球上の生態が変化します。ニューヨークの銀行を閉鎖しても同じです。全世界に影響が波及していきます。
相互作用する要素が集まっている複雑系の核心とは何でしょうか?タレブは、情報がストレスを通じて(ストレスを利用して)構成要素へ運ばれることだと言います。論理的なシステムや知能ではなく、ストレスやホルモン、または何らかの未知のメッセンジャーを通じて、周囲の環境についての除法を得ている、と。
この情報の運び手は、私たちの目に入るよりずっとたくさんあると言います。これが本書で言う「 #因果の不透明性 」、つまり、原因から結果の矢印を見極めることが難しく、事象を予測することができなくなる原因なのです。
たとえば、老化によって骨が弱くなる(骨密度が低くなり脆くなる)、つまりホルモンによる一方通行だと思われてきましたが、最近の研究では、逆に、骨の健康の悪化が、老化、糖尿病、性機能の低下を引き起こすということがわかってきました。逆方向の因果関係が生まれているわけです。
このように複雑系では、#因果関係 を単体で考えることはできません。しかし明らかのことは、ストレスが不足すると老化を引き起こします。また、ストレスを必要としている反脆いシステムからストレスを奪うと、システムに重大な脆さが生まれます。
現代の社会では、様々なところでストレスを誤解しています。ストレスを毛嫌いし、その結果、変動性や変化をなくしてしまい、生命や科学へ悪影響を与え続けています。
アメリカ成人の10人にひとりがプロザックなどの #抗鬱剤 を使用しています。気分の上下や、憂鬱、不安は間違いなく知性の源です。プロザックが昔普及していたら、有名な過去の多くの詩、小説、音楽が生まれてこなかったでしょう。
言語の習得においても、学校で文法から学ぶのではなく、現地で困難な状況で必死に試行錯誤しながら学ぶほうがはるかに効果的なのは明らかです。
また、現代の私たちの生活においては、物事から #不確実性 や #ランダム性 を体系的に無くし、ほんの些細な点まで予測可能にしようとします。すべては快適性、利便性、効率性のためなのです。
私たちは、実は心の奥深くでは、ある程度の ランダム性や無秩序を求めています。ランダム性にはぞくぞくするような感覚があります。サッカーや野球などのスポーツ観戦においても、またカジノにおいても、ハラハラドキドキと、ランダム性を楽しんでいるわけです。
どんな一日になるか正確に予想できたら、あんまり生きている気がしなくなります。大昔の人間の人生はすべてランダムな刺激で一杯だったのは間違いありません。危険だったかもしれませんが、退屈ではなかったはずです。
すべての芸術を生む源泉は、このランダム性にあります。作家の心の中の得体のしれないところから浮かんでくるもの、それは既知の計画では起こりえないものなのです。世界中の富をすべて集めても、死ぬほどに喉がカラカラに乾ききったあとに飲む水より美味しい飲み物は買えないのです。