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日本車内会話集#11「俳優とタクシードライバー、前の車を」

【人物】

柴田(54) タクシードライバー

木下(33) 役者

【場面】

2024年10月23日、広島県呉市、夜


   柴田が車で夜の街を流している。

   ラジオからは男の声が聞こえる。

   道に男を見つけ、停車する柴田。

   開かれた扉を男が、急いでいる風でもないが、素早くくぐり、乗り込む。

木下 前の車を追ってください。

柴田 はい?

木下 前のスバル、グレーです。追いかけてください。

柴田 あのインプレッサですか。

木下 車種はよく知りません。とにかくグレーのスバルです。前の。急いで。

柴田 ……へぇ、はい。

   車を出す柴田。

柴田 ちょっとぉ、これ、時間はどれくらいかかりますかね。

木下 長くはかかりません。十五分もあれば、停まりますから。

柴田 へぇ、そうですか。そうならまぁ、いいですがね。

木下 ええ。安心してください。身の危険もありませんから。

柴田 うーん。……絶対ですか。

木下 はい。一般的な、交通上のアクシデントを除いて、つまり私を乗せたことやあの車を追うことが、直接的にあなたの身を危うくすることはありません。これは、はっきりと言い切れることです。

柴田 へぇ、そういう保証は、こっちとしても随分ありがたいですがね。まるっと信じるかどうかってのは、また別の話ですよ。大体そういう、お役所の文書みたいな話し方をされちゃあ、こっちは身構えちまうもんで。お客さん、随分学がおありなようですが、こっちは昔から、カボチャの方がまだ物を考えると言われたもんですよ。

木下 私は、そうは思いませんよ。

柴田 うーん。

沈黙。ラジオから男の話し声だけばボソボソ聞えて来る。

木下 ……すいません。ラジオを、消してもらえませんか。もっと、自然な音を聞いていたくて。

柴田 えぇ、えぇ。もちろん。構いませんよ。

   柴田がパネルを操作して、ラジオの音が止まる。

木下 どうも。

柴田 いえ。

木下 ……実はこう、さっきから頭の中で歌が流れていて。他の何かを聴くと、頭の中がうるさくて仕方がないんです。

柴田 へぇ。

木下 そういうことって時たまあるでしょう。

柴田 えぇ、時たまですがね。

木下 モンキーズの『カドリー・トイ』。ご存じですか?

柴田 ええ。

木下 あれの、三つ目の節がどうも、ずっと繰り返し流れるんです。「君は母親に紹介するようなタイプの女の子じゃない。どんな連中とつるむにせよ、僕は君に誰も愛しちゃいけないなんて言ったことはない」なんていう、あそこです。ほかの節も時折、順序なんてでたらめに、気まぐれに流れてきたりもして。

柴田 そりゃどうも、頭が混乱しますね。

木下 まったくですよ。古い歌で、最近聴いたわけでもないのに、どうもこれが……。

柴田 ……六七年ですかね。

木下 はい?

柴田 あぁ、いえ。その曲の発表が確か一九六七年でしたね。んーもう五十年以上前だ。

木下 詳しいんですね。お好きなんですか。

柴田 いや、まぁ昔よく聴いたのはそうなんですがね、どっちかというと、これは癖みたいなもんで。

木下 癖。

柴田 出来事と年数をくっつけて覚えるんです。趣味で、歴史の勉強ばかりしてるもんですから、どうも癖になって。

木下 なるほど。立派な趣味じゃないですか。

柴田 とんでもない。専門家にゃかないっこないし、年数覚えてるのだって、ネットの時代じゃあ大して自慢にもなりませんよ。

木下 でも、自慢するための趣味じゃないんでしょう?

柴田 (笑って)そりゃごもっともですね!いやぁ実家が貧乏でしてね、大学どころか本もまともに買えなかったんですが、図書館に通い詰めて、どうにか手探りで歴史の本に齧り付きましたよ。夢中になってね。誰に褒めてもらえるでもないってのに。

木下 (微笑んで)いいじゃないですか。そういうの。

柴田 えぇ、まぁおかげでこの歳まで暇せず生きてますね。

   僅かな間。

柴田 ところで思うんですがね、どれくらい走るかわかるってんのに、行き先はわからねぇんですか。

木下 いえ、行き先もおおよそわかっています。ですが大事なのは物事の順番です。今、こうして追っていることが、必要な手順の一つと言えば、わかっていただけますか。

柴田 えぇ、わかります。わかりますとも。特に順番が大事って部分は、はっとさせられましたね。いやぁ昔自動車整備の仕事をしてたんですがね、車の面倒を見てやる上で一番大事なのも、まさしくそれですよ。正しい順番を守る。仕事をミスる時は、必ず順番が間違ってるんです。えぇ、本当ですね。わかりますよ。

木下 はい。

柴田 古い映画に『アンタッチャブル』ってのがあったんですけど、知ってますかね。

木下 えぇ。

柴田 あれで、アル・カポネも言ってたでしょう。「野球じゃボールは打つ前に狙いをつける。打ってから狙いじゃ順序が違う」ってね。いやホント、これも順番です。

木下 そうですね。

柴田 いやぁ、賢い人と話すっていうのは、ホント一秒一秒、宝になりますね。その点こっちからは何もで、恐縮しちまいますが。

木下 そんなこともありません。言葉は受け手によって、いくらでも価値が変わってしまいますから。

柴田 うーん!これまたごもっともなことを!自分は、お客さんのことすっかり気に入っちまいましたよ。あの車のケツ、しっかり追っかけますから、ご安心なさって、ええ。

木下 どうも……ありがとうございます。

柴田 あぁあと……こういうこと、ホントは聞いていいんだかわかんないんですがね、どうも我慢できねぇタチで、まぁ都合悪ければ無視してもらって構わないんですがね。

木下 はい。……どうぞ。

柴田 お客さん、テレビ出てますか?この前も、何かのCMで見たと思うんですけど。

木下 羽毛布団です。

柴田 へぇ?

木下 羽毛布団のコマーシャルに出させてもらったのが、最近だと放送されてます。

柴田 えぇ!そうでした、そうでした。えっと、木下さんでしょう!俳優の。

木下 えぇ。……はい。

柴田 いや、どうりで男前だと思いましたよ。役者さんでしたか!へぇ。

木下 普段は舞台ばかりなので、あまりテレビには出てませんけど。

柴田 いやいやぁ、立派ですよ。こりゃ自慢になります。それとも、あまり言いふらさない方がいいですかね。

木下 そうですね、可能な限り。

柴田 そうでしたか。いや!となれば絶対に言いませんよ。約束しますから。

木下 それはどうも。助かります。

柴田 こりゃあ、どうも益々緊張してきましたよ。そもそも「前の車を追って」なんて、長くタクシーのドライバーやってても、初めてですからね。

木下 えぇ、そうでしょうね。

   わずかな沈黙。

木下 運転手さんは柴田さんと言うんですね。

柴田 え?へぇ、そうです。あの柴田勝家公と同じ、柴田と言うんです。

木下 柴田さん。私はこれから、あなたに一つお願いをすることになります。

柴田 へぇ……お願い。

木下 はい。ですがその前に、柴田さんに少し、お話しなければならないでしょう。

柴田 それはつまり、前の車のことですか。

木下 えぇ。その通りです。

柴田 うーん。

木下 私たちが追いかけている、前の車に乗っているのは、もうひとりの私です。

柴田 はぁ……へぇ。

木下 あの車にはほかにも人が乗っているかもしれません。それはわかりませんが、とにかく私が追っているのは、随分前に千切れてしまった、もうひとりの私です。

柴田 へぇ、こりゃあどうも、自分は学がないもんで、その千切れたってのが、よく理解できてないんですが……。

木下 もちろん、柴田さんに限らずほとんどの人間にとって理解し難い現象に違いないと思います。当然、私も初めは自分の身に起こったことに戸惑いました。それはもう、「戸惑い」なんて言葉では済まないくらいの衝撃があったわけですが。

柴田 へぇ。そりゃ、きっとそうなんでしょうね。

木下 日食や月食は、ご存じですね?

柴田 えぇ、まぁ……多少は。

木下 太陽と月、それに地球が一直線に並ぶことで、それぞれの天体が重なり、太陽や月が一時見えなくなる現象です。ざっと、こんな風に説明ができると思います。

柴田 つまり、太陽だったり月だったりが、何かの影に入るわけでしょう。

木下 理屈としてはその通りですが、今大切なのは、天体が「重なる」という点です。公転周期の中で天体達は、ある一時点で重なります。バラバラだった天体達が、重なり、またバラバラに動いていくわけです。

柴田 はい。そこまでは、なんとか理解できます。

木下 そして私に起こったのは、日食や月食とは真逆のことだと言われています。つまり、「重なる」現象があれば、反対に「千切れる」現象もある、ということです。

柴田 へぇ。うーん。こりゃあ、ギリギリですよ。自分の脳みその容量には。

木下 とにかくそういう事が起こり得る、という事実を知ってくれれば結構です。

柴田 うーん。それにしても、お客さんは話の割にやあ、普通に見えますがね。

木下 見た目に変化は起きません。ですがそれは決定的に発生して、確実に変化を残していきます。そういう感触もあります。今話している説明は、大部分がこの手の専門家に教えてもらったことの受け売りですが、この点は、はっきり私の経験に基づいた事実です。

柴田 専門家ですか。その千切れる現象の。

木下 そうです。数は極端に少ないですが、日本にも何人かいます。

柴田 へぇ。

木下 いいですか、千切れる現象にきっかけというものはありません。その点が日食や月食と同じです。現象が起こるのはすべて周期的な問題であって、前触れも、仄めかしも、何もありません。ただ「その時」になると、それは起こります。

柴田 うーん。それはかなり困った話ですよ。自分にはどうも、やっぱり一切想像もつかない現象ですけど。

木下 ええ。しかしそれは周期によって起こるわけですから、事態の収束も周期によって起こります。要は正しい順路で、正しい時間に正しい場所へいけば、私ともうひとりの私は自然ともとの状態に重なる、ということです。そして、今まさに向かっているのが、再び一つになる場所になります。

柴田 うーん。どうもこんなに込み入った話をしたのは初めてですから、自分。充分理解できたとは、はっきり言えないけどね。つまりこうして前の車を追いかけてるのが、お客さんが元に戻るために必要な、正しい手順なわけですね。

木下 はい。その理解で問題ありません。ともかくこんなに妙な、込み入った話をしたのは、柴田さんへお願いをする上で最低限の成り行きをお話しなければならないと判断したからです。

柴田 へぇ。それでその、お願いっていうのは。

木下 ……もうじき、着くでしょうか。

柴田 え?さぁ、どうでしょう。自分にゃどこに向かってんだかもさっぱりで。

木下 ひょっとすると、もう少しであの車は停まると思います。その時前の車からは、もうひとりの私が降りてきます。私も同じように降りて行って、彼と接触します。

柴田 それで、お客さんらは戻るんですか。

木下 はい。一つに戻った私は、あの前の車に乗るかもしれないし、この車に乗るかもしれません。柴田さんは「それ」が起こった後、私がどちらに乗るか見届けてください。そしてもし、このタクシーに私が乗ってきたら、その私が望む場所へまた乗せていってください。それが、私のお願いです。

柴田 ……向こうの車に乗ったら?

木下 はい?(ふと何かに気づいて)あっ。

柴田 あっ……停まりますね。前。

木下 はい。……この辺りでいいので、停めてください。

   停車する柴田。サイドブレーキを引く。

柴田 あの。

木下 はい。

柴田 もし前の車に乗った時は、自分はどうしましょう。

木下 ……その時は、柴田さんにお任せします。柴田さんの、お好きなように行動なさってください。いささか身勝手な話になって、本当に申し訳ないんですけど。そこまで含めて、私のお願いです。

柴田 わかりました。

木下 これ、料金です。おつりは取っておいてください。迷惑料ですから。

柴田 えぇ、へぇ……。あぁ、こんなに。

木下 それでは、さようなら。この車にもう一度乗るしろ、乗らないにしろ、今のこの私は消えるはずです。ですから……さようなら。

柴田 へぇ、どうも……さよなら。

   扉が開き、木下は出ていく。

   車内に一人残された柴田。アイドリングの音が響く。

   そんな時間がいくらか続き、ふと扉が開く。男が乗り込んでくる。

柴田 ……どちらまで?

【終】

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