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日本車内会話集#04「資産家と専属ドライバー、森へ」

【人物】

国見(42)  海運会社の創業者

鴻ノ池(19) 国見専属ドライバー

【場面】

2015年6月5日、兵庫県神戸市、夜


   エンジン音が響いている。

   国見が扉を開け、車内に乗り込む。

   扉の閉まる音。

国見「出してくれ」

鴻ノ池「はい」

   サイドブレーキを上げる鴻ノ池。

   シフトレバーが操作され車は発信する。

国見「森へ」

鴻ノ池「……はい」

国見「もうじき梅雨入りだな」

鴻ノ池「ええ」

国見「梅雨に入るまでには、済ませておきたいが……。梅雨が明けても夏が来る。梅雨はまずいが夏もまずい。腐敗が進み過ぎる」

鴻ノ池「……」

国見「もしタイミングを計れるのであれば、秋ごろにお願いしたいところだったね」

鴻ノ池「……エアコンの加減は、問題ありませんか?」

国見「あぁ、大丈夫。ありがとう」

   わずかな間、沈黙。

国見「君は座礁したクジラを、見たことはあるかい?」

鴻ノ池「クジラ、ですか?」

国見「ああ。座礁した、クジラの死骸」

鴻ノ池「いいえ。映像なんかではありますが、実際に見たことは」

国見「あれは実物を目にしても、特別ありがたみみたいなものを感じるものではないね。僕は仕事の際に何度か見たが。一般的な現代人の─より厳密には日本人の─感覚から言って、どちらかといえば、見てはいけないものに遭遇したような気分になってしまう。古くには、座標したクジラをえびす神として寄り神信仰の対象にもしていたらしいが、確かに不気味な方の神々しさならかなりのものがあった」

鴻ノ池「信仰。クジラの死骸が、ですか?」

国見「僕らからすれば不気味で巨大な死骸にしか見えなくとも、昔の日本人からすれば、漂着したクジラの死骸も立派な海からの恵だったんだ。海底では、それこそ沈んだクジラの死骸を基盤に、一つの生態系が形成されるくらいだからね」

鴻ノ池「……へぇ」

国見「鯨骨生物群集。そのクジラの死骸の上に形成される海底の生態系をそう呼ぶ。そこで無数の生き物によって、クジラはおよそ百年かけて、ゆっくりと消滅していく」

鴻ノ池「なんだか、実感の湧かない規模の話ですね」

国見「全くその通りだ。しかしそういう実感のない話が興味深い視座を与えたりもする。例えば、地球を生き物として論ずる連中も世の中にはいるが、実際がその逆で、この惑星が巨大な死骸に過ぎなかったとしたら、面白いと思わないかい?」

鴻ノ池「はぁ」

国見「人間の営みで地球が枯れていく云々言ってはいるが、その実我々は腐敗していく死骸の上に群れているだけ。そういうことなら、かなり傑作だ」

鴻ノ池「どうでしょう。私には少しスケールが大き過ぎて、正直よくわかりません」

国見「(軽く笑って)ただの思いつきをそのまま口にしただけさ。気にしないでいい」

鴻ノ池「……」

国見「それにしても、すまないね。何度も夜遅くに」

鴻ノ池「いえ。その分のお給料は貰ってますので」

国見「助かるよ」

   しばらくの沈黙。

国見「それでも妙に思うだろう?自分の雇い主は夜毎、森へ通って何をしているんだろうと。不気味にすら思うかもしれない」

鴻ノ池「まぁ多少、気にはなりますけれど。殊更、事情を伺おうという気持ちもありません」

国見「本当?君は何も言わなかったけれど、トランクにはずっと、大きなスコップやらノコギリやら、物騒なものが積まれていた。現状僕は、やっていることだけ見れば、悪巧みをしている人間とも思えなくはない。君は、それに加担しているかもしれない」

鴻ノ池「なんとなく、悪巧みをしているとも思えなかったので。仮にそうだとしても、私は知らなかった、で最悪通せるかなと」

国見「(笑って)たくましいね。本当、助かるよ。でも一応、君の心労を少しでも減らすために、そろそろワケを話しておこうかな。君には元々話しておこうとは思ってたんだ」

鴻ノ池「……そうですか」

国見「家内が、ゾウの死骸を探せと言うんだ」

鴻ノ池「ゾウ、ですか?ゾウってあの、鼻の長い」

国見「そう。その鼻の長い、生き物のゾウ。その死骸をあの森で探してこいと、家内がそう言ったんだ」

鴻ノ池「それで、森へ……。でも探して何を?」

国見「埋葬するんだ。僕一人でね。ゾウを丁寧に弔ってやれと、彼女にはそう言われたよ。条件も色々あってね、埋葬するのは、日が沈んでから、誰にも見られないように済ませないといけない」

鴻ノ池「ゾウを……埋葬。あの森に、ゾウが棲んでたんですか?」

国見「いや、もちろん棲んじゃいない。家内は確かインドゾウって言ってたかな。まぁどんなゾウにしろ、日本の森に勝手にゾウが棲みついてるわけはないさ」

鴻ノ池「じゃあ国見さんは、ないものをずっと探してるんですか」

国見「そこが問題だよ。あの森にゾウは生息しちゃいないが、ゾウの死骸は、家内があると言うならあるんだ。これには、少々長い曰くがあるんだが」

鴻ノ池「……」

国見「十五年前の秋だったかな。結婚してすぐ、家内がね、大きなイカを見たと言ったんだ。例の森でね」

鴻ノ池「イカ、ですか」

国見「そう。それはそれは大きなイカだから、ダイオウイカだと思うんだけれど、と家内は言ってた。僕らはその秋、その森にあるロッジを二人で借りていたんだ。明け方家内は外の空気を吸ってくると言って、一人で辺りを散策しに行った。そこで、彼女はイカに出会ったらしい」

鴻ノ池「出会った」

国見「そう。ただ見かけた、というわけでもなくて、そのイカが木々の間を漂っているところを、家内が通りかかったそうだ」

鴻ノ池「それは、ずいぶん妙な話ですね」

国見「正直かなり妙だ。僕は家内の話をどう受け止めればいいか、そりゃあもう困り果てたものだった。加えて、そのイカの死骸が森にあるはずだから、僕がそれを弔ってやらなければならない、と彼女はそう言った。家内の主張はいささか精神的で、直感的だった。だから僕は、あえて現実問題として家内に答えた」

鴻ノ池「……」

国見「もし、何がしかの良心で言っているのであれば、そんなイカの死骸なんて放っておこう、と僕は言った。そういうのは行政の任されている仕事だし、実際僕がその死骸を埋めたりした場合には、いくつかの法律にだってきっと反する。それに放っておいても、イカということなら、うまいことやればスルメになるかもしれない、とまぁそんな風に僕は話した」

鴻ノ池「それで、奥さんは?」

国見「頑なだった。これは夫婦の問題であって、とりわけ僕の問題だと、彼女は繰り返し強調して譲らなかった」

鴻ノ池「国見さんの問題、ですか?そのイカが?」

国見「そこだよ。僕もかなり面食らったが、家内が持ち出したのは、以前彼女に話していた昔話だった」

鴻ノ池「昔話」

国見「つまり僕の昔の話なんだけど。僕がずっと小さい頃、祖父母の家の裏にある森へ、一人で入って行って。コンクリートで舗装された道を出鱈目に歩いていると、きつい臭いが鼻に付いた。妙に思いながら進むと鉄製の大きなカゴが道の外れにあった。そのカゴの中で、大量のカラスがバサバサ飛び交っていた。あまりに数が多くて、その蠢いているものが何かしばらくわからなかったくらいだった。この強烈な臭いはこいつらだと僕はすぐにわかった。辺りに糞がずいぶん散らばっていたからね。野生の生き物はこうも臭うのかと、僕はかなりショックを受けたけど、それ以上に目の前の異様な光景がおっかなくなって、逃げるようにその場を後にした。そこまではいい。家内によれば問題は、その後の出来事になる」

鴻ノ池「その後、ですか?」

国見「そのカゴから離れてすぐ、まだ臭いが薄まらないことに僕は気づいた。なんなら、足を進めるごとに臭いは強くなった。そこでまた僕は辺りを見回して、カラスの死骸を見つけた。はじめは一匹だけかと思った。けれど違った。その後ろでずらっと大量にカラスの死骸が並んでいた。不思議なもんで、街中じゃカラスなんて珍しくもないのに、思えばカラスの死骸なんて普段暮らしてて一度も見たことがない。実は死んだカラスは全てあの場所に集められているんですよ、と説明されても、ちょっと納得してしまいそうなくらいに、そこにはカラスの死骸が並んでた」

鴻ノ池「それで、どうしたんです?」

国見「どうもこうも、どうしようもないよ。小学校に上がったばかりくらいの年頃だったし、怯えて帰って、誰に話すわけでもなく、それで終わり」

鴻ノ池「でも奥さんに話したら、ただそれで終わり、という風にもいかなかった?」

国見「そういうこと。家内は、僕がその出来事によって─一体全体、現代的な表現じゃないけれど─ある種の呪いにかかったと言うんだ。そしてそういう、呪いだとか穢れという類のものは、僕の今後の人生に大きく影響する。当然、夫婦生活にも」

鴻ノ池「それが、夫婦の問題でなおかつ、国見さんの問題になるわけですか。例の、ダイオウイカだとかインドゾウだとかの」

国見「まぁ、かなり奇怪な筋だけど、家内の意見はつまりそういうことだった。僕についた穢れだとかを払う意味合いで、僕はその、彼女が出会った生き物を弔わなければならない。仕方なく家内の話に乗っかってみると、実際に巨大なイカの死骸が、森で見つかった。いよいよ後に引けなくなって僕はイカを埋葬したよ。そりゃあ、かなり苦労したけど」

鴻ノ池「……これまで、何度かこういうことはあったんですか?」

国見「ああ。初めはそのイカ、次にクラゲ─家内はエチゼンクラゲと言ってた─、その次はシロサイ、そして今回のゾウだ」

鴻ノ池「イカにクラゲ。サイ、ゾウ。なんだか出鱈目ですね」

国見「家内が出会う動物には、一貫性がない。海の生き物に限られているかと思えば、そういうんでもないらしい。彼女の世界観は、はっきり言って支離滅裂だ。一つ共通して言えることは、どの生き物も体が大きいということだが、それ以上何も見えてこない。それにしたって、体が大きいという共通点も、ただ僕に重労働を強いる嫌がらせにしかほとんど感じてこないね」

鴻ノ池「どうして、そうまでして奥さんの話に付き合ってあげているんですか?正直、埋葬したと口で報告すれば済むことだと、私は考えてしまいますけれど」

国見「もちろん僕もそう思ったさ。それでもこうして森に通っているのは、一つにはもちろん家内への誠実さみたいなものもある。でも何より、僕は一度しくじってしまったことがあってね。それが一番の理由だよ」

鴻ノ池「しくじった?つまりその、埋葬を?」

国見「あぁ。丁度前回、シロサイの埋葬を僕はしくじった。というより、途中で投げ出した。サイを埋葬するなんて重労働、夜中に一人でこなすには尋常じゃない忍耐が必要になる。そんなもの、当時の僕にはなかった。さて、ここで一つ話を付け加えておくと、家内が森で生き物と出会うのは、決まって僕らの分岐点とも言える時期だった。初めは結婚直後、二回目は今の会社を僕が立ち上げた時期、そしてそのシロサイに出会った時、家内は僕らの子どもを身籠っていた。勿論、当時の僕はそんな法則気にしていなかったというか、気づきもしなかったんだが。サイの埋葬にしくじって、ようやく僕はこの妙な儀式の意味を理解した」

鴻ノ池「それって……」

国見「君も知っての通り、僕らに子どもはいない。その時家内が身籠っていた僕らの子は、死産になった」

鴻ノ池「……」

国見「家内は僕を責めはしなかった。後になって僕に一度確認しただけ。ちゃんと埋葬したのよね、と。僕はした、と答えた。彼女はそう、と一言返事して、それからその話が僕らの間にのぼることは無くなった」

深い沈黙。

国見「そういうわけで、もう失敗できない。僕は、ゾウの死骸を見つけて、今度こそそれを埋葬しなくちゃならない」

鴻ノ池「……女の子、ですよね。奥さんから聞きました」

国見「……あぁ。もう名前も決めてある」

【終】

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