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日本車内会話集#01「ある夫婦、違う曲にしようよ」

【人物】

静香(31) インテリア雑誌の編集者

敦弥(29) イタリアンバーの店主

【場面】

2024年1月11日、宮城県仙台市、夜


   車内でビートルズの「ヘイ・ブルドッグ」が流れている。

静香 違う曲にしようよ。

敦弥 それ、「ずっと真夜中でいいのに。」の曲みたいだ。

静香 冗談にしないで。

敦弥 うーん。

静香 そもそも、車内は私たちしかいなんだからわざわざビートルズのベストアルバムに入っていないような曲をかけてかっこつける必要もないでしょ。

敦弥 僕としては、君に対してなら格好つける必要が多分にあると思うけど。

静香 はいはい。そうね。まったく『イエローサブマリン』なんて観たことないくせに。

敦弥 君だって観たことないけど好きだろ?この曲。

静香 いいから、曲変えるよ。

敦弥 ちょっと待って。それなら……この時間は……あれの時間だから……(話ながら摘みを操作する)。

   車内の音楽が切り替わり、歌劇「こうもり序曲」が流れる。

敦弥 ほら来た。

静香 ちょっと、冗談でしょ。

敦弥 (メロディを鼻歌して)んーこれなんだっけ。かささぎ序曲?

静香 ううん、こうもり序曲。

敦弥 そうだ、こうもり序曲。お見事!ヨハン・シュトラウス三世?

静香 二世。

敦弥 ちくしょう!惜しかったなぁ。いやぁ、流石、流石。

静香 ね、なんにせよ、勘弁してよ。こんなの聴いてたら肩こっちゃう。

敦弥 ええ?そう……わかった。そっちの方に、CDいくつか入ってない?

   静香がダッシュボードを開く。

静香 えーっと、レッチリにポリス、YMO……ビリーホリデイのCDなんてよくあったわね。

敦弥 中身はまぁまぁ。

静香 ドリカム、マルーン5。

敦弥 『ソングス・アバウト・ジェーン』?

静香 ううん。

敦弥 じゃあ、だめ。

静香 うーん、デフテックとダフトパンク……おいしくるメロンパン?

敦弥 ……なんだよ。いいバンドだ。

静香 それはわかるけど。曲はサブスクで聴けるからCDは買わないって話じゃなかった?

敦弥 いいアルバムはデータじゃなくて現物が欲しいタイプなの!

静香 もう、まったく。あとは、『ニュー・シネマ・パラダイス』のサウンドトラックと『バビロン』の……なにこれ、残りは映画のサウンドトラックばっかりじゃない。

敦弥 運転がはかどるんだよ。

静香 あなたって変。

敦弥 映画音楽を聴く人なんて珍しくもないだろう。

静香 ……あ、これいいじゃない。カーディガンズ。

敦弥 カーディガンズの何?

静香 『ライフ』。

敦弥 あ、いいじゃん。とりあえず『トゥモロウ』かけてくれよ。

静香 いやよ。

敦弥 ええ、君も一番好きって言ってただろ?

静香 今日はいつもと気分が違うの。そういうことだってあるでしょ。

敦弥 そうなの?まぁ、全然いいけどさ。

   静香がカーディガンズの『ゴードンズ・ガーデンパーティ』を流す。

静香 そういえばあなたのお店、イタリアンなのにスペインの曲ばかり流れてるよね。

敦弥 キューバ音楽だよ。スペイン語だけれど、スペイン音楽じゃなくてキューバ音楽だ。

静香 キューバ音楽でもスペイン音楽でもモロッコ音楽でも構わないんだけどね。つまり問題は、あなたのイタリアンバーでイタリアンに関わりのない音楽が流れていることだと私は思うのだけど。

敦弥 ふむ……。

静香 もちろん文句を言うつもりはないのよ。ただどうしてコンセプトを外してまで、あなたがキューバ音楽をかけなきゃいけないのか不思議に思ってたの。

敦弥 うーん。あんまり、考えたことなかったかも。

静香 考えたことがなかった?

敦弥 うん。と言っても……そうだな。強いて言えば、仕事をしている時に聴くと一番気持ちが上がるから、かな。

静香 ……あなたって、やっぱり少し変わってるわよ。

敦弥 そうかな。自分では、そう言われてもあまりわからないけど。

静香 百歩譲って、車の運転中に何を聴こうが─つまり映画音楽を車内で流すにしても─それはもちろんあなたの好きにしてもらって構わないけれどね。自分のお店で大した理由もなく地球の裏側の音楽を引っ張ってきてかけることは、一般的とは言わないのよ。

敦弥 それはまぁ、そうか。

静香 一般の話をすれば、日本のお客さんには、日本の曲を聴かせたほうが喜んでくれると思わない?それかイタリアンバーらしく、イタリアの曲をかけるとか。

敦弥 確かにそうだとは思う。

静香 それって基本的な考え方でしょ。商業戦略的に。

敦弥 商業戦略的。

静香 あなたがそういうものにほとんど知恵を使いたくないのはわかるけど、それって私たちの貯蓄に、相応に繋がってこない?

敦弥 君の言ってることもわかるけれどさ。僕のやる気をあげる、というキューバ音楽の効能も、店には充分有意義だと思うぜ。それこそ、商業戦略的に。

静香 ともかく。あなたが個人的な範囲で変わり者をしている分には、私は全く構わないのよ。でもね、商業的にまで変わり者をされるとちょっとたまらないのよ。財産を共有している身としてはね。

敦弥 うん、わかった。少し、気をつけてみようかな。

静香 いい?私、あなたのお店すっごく好きよ。でも、もう少しだけお客さんに寄せていってもいい頃合いなんじゃないかと思うの。少し店内をいじったところであなたのお店はあなたのお店のままだから、大丈夫よ。常連の飯田さんも木村さんもこれまでと変わらず来てくれるし、もちろん私もあの店が好きなまま。ただ、新しくお客さんが来やすくなるだけだと思う。それって、商売的にすごく良いことじゃない。

敦弥 うん。僕もそうだと思う。ありがとう。

   しばらくの間、沈黙。

敦弥 なぁ、海賊放送って聞いたことある?もちろんそういう言葉をって意味だけど。

静香 海賊放送?

敦弥 うん。海賊無線とも言ったりする。

静香 ふーん。聞いたことない(あまり興味がない)。

敦弥 海賊版は知ってるだろう?漫画や映画にある、色々な権利を踏み倒して公開されてしまっているもの。

静香 まぁ、そのくらいはね。その海賊放送と何か関わりがあるわけ?

敦弥 海賊版って言葉の由来が、その海賊放送なんだ。もちろん諸説ある内の一つに過ぎないんだけどね。

静香 へぇ(ようやく興味深そうになる)。

敦弥 昔のラジオは、色んな国で国営放送しか許可されていなかった。まぁ、所によっては今でもそうかもしれないけれど、とにかくヨーロッパの国々でもそんな時期があったんだ。それで、アメリカで流行ってるらしいポップスとかロックってやつをヨーロピアンは気になって仕方がないんだけど、お国は相変わらずお堅い放送を限られた時間にしかしてくれない。

静香 それで?

敦弥 それで、じゃあ規制の緩い海の上から好き勝手放送しちまおうって愉快なやつらが出てきた。そいつらは正式な免許を持たないまま、R&Bやらロックやらを二十四時間ぶっ通しで無線に飛ばし続けた。

静香 だから、海賊無線?海の上の、違法な放送。

敦弥 その通り。具体的には、北海のあたりで盛んだったらしい。これが結構人気になってさ。なんでもイギリスでロックが発達し始めたのは、海賊無線が流行ってからの時期らしい。

静香 ビートルズとか?

敦弥 そう。ビートルズとかローリングストーンズは、まさにその世代なんだ。

静香 ふーん。

敦弥 とにかくさ。これからは、国営放送じゃなくて海賊放送に切り替えていくよ、僕は。店内でも─なるべくは─車内でも。もっと自由に、求められてる曲をかけてみるよ。

静香 それを言うためだけに、今の話をしたの?

敦弥 いや、全くもってそうというわけでもないけど……まぁ、うん。

静香 ……あきれた。確かに話は面白かったけれど。これじゃ、先が思いやられるわね。

敦弥 先?

静香 ……できたのよ。子ども。

敦弥 へ?

静香 妊娠したの。……ほんとうは明後日の結婚記念日まで待とうと思ったんだけど。おめでとう、私たちお母さんとお父さんよ。

敦弥 ほんと?……ちょっと待って運転緊張してきたな。

静香 最初に言うことそれ?

敦弥 いや、だって、このタイミング……でも、確かに。ありがとう?

静香 なんで疑問形なの。

敦弥 ごめん、自信なくて。でもやっぱり、ありがとう。うん、ありがとうって言いたい。あぁ、やったなぁ。うれしいなぁ。

静香 ちょっと、ちゃんと前見て。

敦弥 あぁ!ごめん!絶対安全運転!絶対安全運転─(F.O)。

【終】

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