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日本車内会話集#12「父と息子、猫を拾う」

【人物】

哲郎(43) 高校国語教師

仁一(13) 哲郎の息子、中学一年生

【場面】

2013年10月27日、茨城県大子町、夕


   車を運転している哲郎は、しきりにバックミラーを見て後部座席を気にしている。後部座席には息子の仁一と、その膝の上に弱々しい子猫がいる。

哲郎 名前はどうする?

仁一 ヨシヒロ。

哲郎 ヨシヒロ?

仁一 うん。ヨシヒロ。

哲郎 でも……メスだぞ、その猫。

仁一 うん。いい。

哲郎 まぁ、母さんにも聞いてからな。

仁一 ……うん。

哲郎 意地悪なこと聞くけど。

仁一 なに?

哲郎 その猫と同じような、弱った猫が毎日一匹ずつ近所に出てきたら、どうする。

仁一 ……。

哲郎 全員うちで預かるってわけにも、いかないしな。

仁一 そうだね。

哲郎 一匹目を引き取って、二匹目は引き取らないで、それで三匹目がもし引き取った一匹目よりも助けを必要としてたら?もっと単純に、すごくかわいい猫だったら?どうするんだろう。

仁一 ……現実的じゃないよ。全然。

哲郎 ……そうだな。こういう話は、意地悪なだけで、意味がない。悪かった。

仁一 うん。

哲郎 でもまぁ、また、なんだってヨシヒロなんだ。

仁一 強いから。

哲郎 強い?強そう、じゃなくて?

仁一 うん。強いんだよ、ヨシヒロ。

哲郎 あぁ、そういうキャラかなんかがいるんだな。

仁一 キャラじゃないよ。武将だよ。戦国武将。

哲郎 武将?渋いなぁ。武将でヨシヒロ、ね。うーん。

仁一 島津義弘。

哲郎 あぁ、島津ね。確か九州の方の、な。

仁一 薩摩。

哲郎 薩摩?あぁ、鹿児島か。

仁一 うん。

哲郎 詳しいな。

仁一 普通だよ。

哲郎 ……それにしたって、戦国武将くらい強くなって欲しいのか?その猫。

仁一 うん。

哲郎 それは何というか、家で飼うのも大変になりそうだなぁ。

仁一 そうでもないよ。

哲郎 別にもう、そいつは外でサバイバルするわけでもないんだし、多少は平和ボケさせてやってもいいんじゃないか。仮にも、父さん母さんが下剋上にあったりなんかしたら、ことだし。

仁一 (少し笑って)父さん、負けるの?

哲郎 そりゃあ、その猫が島津義弘みたいになるんだったら、流石にな。

仁一 でも、やっぱり強い方がいいよ。弱くない方がいい。

哲郎 ……仁一は、その猫が弱いと嫌か?

仁一 うん。強い方がいい。

哲郎 うーん。そうかなぁ。どうだろうな。

仁一 なんで?こいつがもっと強かったら、さっきみたくあんな所で凍えてたようなこともなかったかもしれない。

哲郎 でもそしたら、父さんたちはこいつを拾ってない。父さんたちはこいつを一度も撫でてやれないし、こいつはもしかすると、誰にも撫でてもらえないかもしれない。

仁一 ……。

哲郎 どっちがいいと思う?あぁ、猫にとってじゃないよ、一応。仁一にとって、どっちが嬉しいか。

仁一 ……うん。よく、わからないかも。

哲郎 まぁ……そうだよなぁ。

仁一 父さんは?父さんは、どっちがいいと思うわけ?

哲郎 父さん?父さんは、そうだなぁ。母さんが怒らない方。

仁一 それ、ちょっとずるくない?

哲郎 普通だよ。

仁一 でもやっぱり、強い方がかっこいいし。

哲郎 まぁ確かに、弱いのはかっこ悪いもんな。

仁一 そうでしょ。

哲郎 でも、父さんさぁ。

仁一 ん?

哲郎 昔母さんに「喧嘩弱いくせに」なんて、言われちゃってさ。あー……よわむし、まで言われたっけな。

仁一 ……へぇ、どうして?

哲郎 いやまぁ、父さんも若かったし、要は「おれが守るよ」みたいなことをさ、言ったんだよね。確か。

仁一 ふーん。

哲郎 そしたらまぁ、結構笑われちゃって。失礼しちゃうよなぁ。確かにちょっと恥ずかしい台詞だけどさぁ。父さん結構、本気で言ってたんだけど。

仁一 うん。

哲郎 大体さ、父さんが喧嘩したとこなんか、見たことないくせにさ。好き勝手言ってくれるよな。

仁一 ていうか喧嘩したことあるの?父さん。

哲郎 そりゃあ、あるよ。……まぁ、小学校くらいまでだけど。

仁一 ……へぇ。

哲郎 だからまぁ、母さんは別に父さんのパンチもキックも見たことないんだよ。

仁一 よくわからないけど、健康的な家庭なら、それが普通なんじゃない。

哲郎 (笑って)それもそうだな。まぁ、ともかくさ、母さんは父さんのこと、すごい弱っちいと思ってるらしいんだよな。なんでだか、よくわかんないんだけど。

仁一 うん。

哲郎 ……でも、嬉しかったなぁ。よわむしって言われた時。

仁一 え?

哲郎 だって、それって父さんが強くなくても、まぁつまり弱くてかっこ悪くても、母さんは結婚してくれたってことだから。そうだろう?

仁一 え、あぁ……そっか。

哲郎 それが、結構嬉しかったりするんだよ。

仁一 ふーん。

哲郎 あんまり、わかんないか。

仁一 うん。あんまりね。

哲郎 ……仁一。

仁一 ん?

哲郎 父さんの小さい頃の友達がさ。近所に住んでた男の子で、父さんより三つくらい年上だったのかな。小学校も一緒だったんだけど。

仁一 うん。

哲郎 父さんの小学校で一番足の速いのが、そいつだった。有名人でさ、ちょっとしたスターだったんだ。でも、怪我しちゃって。

仁一 怪我?

哲郎 そう。足をさ。木から落ちちゃって。そっから全然、走れなくなっちゃった。少なくとも小学校の間はな。

仁一 ……。

哲郎 それであからさまに皆が態度を変えるなんてことはなかったよ、もちろん。根が明るくてそもそもの人当たりも良かったしな。でも、スターじゃなくなった。正直な話、父さんもそれからその人とは遊ばなくなっちゃって。……たぶん、寂しかったろうな。

仁一 その人?

哲郎 ああ。

仁一 ……。

哲郎 何かができることって、きっと、皆が思ってるより少し頼りないんだよ。できることって、言っても、要は状態だしな。

仁一 状態。

哲郎 その時、その場所ではできるってだけで、永久にできることなんて、少なくとも人間にはないだろう。人間成長して、できることがどんどん増えていっても、ある日死ぬまで、ずっとそうってわけじゃない。

仁一 うん。

哲郎 みーんな老いていって、鈍ってく。お前くらいの歳じゃ、そりゃよくわかんないかもしれないけど。

仁一 まぁでも、少しはわかる気もするよ。

哲郎 そうか?……ともかく「できる」ってそこまで頼りになる基準じゃない。皆が思ってるより、ほんの少しだけな。できるってことばかりで自分を肯定してると、案外脆いんじゃないかな。と、父さんは思うけど。

仁一 できることは、それはそれで評価するべきだと思うけど。

哲郎 まぁそりゃあ、もちろんそうだろうな。でも、その人のいいとこって、きっとそういうのじゃ決まってこないんじゃないかな。もっと、本当の意味ではさ。

仁一 本当の意味。

哲郎 ま、難しいわな……。

仁一 うんまぁ……ちょっと。

哲郎 例えばクラスで、友達の長所を教えてくださいって聞かれて、「優しい」って答えるやついるだろ?

仁一 うん。あんま好きじゃないけど。

哲郎 例えだから。父さんも正直、つまんなくてその答えはどうかと思うけど、とにかくよく言うだろ。でも、これをビジネスマンなんかは、「○○ができます」なんて言い換えたりするんだよ。優しい、だったら、気配りができますとか、気遣いができますとか、そんな感じ。

仁一 うーん。なるほど。

哲郎 でもこれって、実は優しいよりずっとあやふやな言い方だと思わないか?

仁一 ……そうかな。

哲郎 その人の具体的な行動と、いまいち結びついてないんだよ。その言い方だと。

仁一 どういうこと?

哲郎 例えば、「優しい」ってのを表す例として、鼻血を出した友人にハンカチを貸したみたいな行動があったとして。それって、「優しい」とは真っ直ぐ繋がるけど、「気配りや気遣いができます」とは、直接は繋がらないんだよ。

仁一 なんで?ハンカチを貸すのは、気配りとか気遣いでしょ。

哲郎 そうだけど、それで「できる」とは、実は言い切れないんじゃないかな。その時ハンカチを貸してあげたからって、毎日、いつでも気遣いができるってことにはならない。そうだろ?

仁一 えっと……うーん。そう、かも。かなりややこしいけど。

哲郎 (笑って)そうだな。こんなこと言うのも、職業柄かな。まぁ、全然納得できなくていいから。そういう見方もあるんだって知って、あとは好きに考えて。

仁一 うん……わかった。

哲郎 ともかく、その猫だって、父さんは別に、立派に、力強けりゃいいって、そんな風には考えないかな。強く生きろ、なんてもうそろそろ、そんなこと言われなきゃいけない時代も、終わりにしなくちゃ。

仁一 ……じゃあ、ヨシヒロは却下?

哲郎 いや、却下ってことはないけど。クラスメイトとかさ、普通にいるんじゃないか?やっぱりそういうの、気になると思うぞ。

仁一 別に、学校にいないし。島津義弘だし。

哲郎 そっかぁ……。まぁ、ともかく母さんに聞いてからだな。

仁一 そういえば、俺の名前って誰が決めたの?

哲郎 え?父さん。

仁一 ふーん……ジンイチって、何か意味とか由来はあるの?

哲郎 そりゃあ、あるよ。

仁一 なに?

哲郎 ……秘密。

【終】

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