どんどんスゴい人とつながれる人間関係の極意
はじめて担当したのは清原選手だった
僕がパーソナルトレーナーとして初めて担当したアスリートは、清原和博選手でした。もう20年も前の話です。
清原選手といえば、日本のプロ野球界でもトップの選手。誰もが名前を知る有名人です。そんな「トップオブトップ」の選手を、二十歳そこそこの若造がいきなり担当することになったのです。
経緯はこうです。
当時の日本では、パーソナルトレーニングはまだ一般的ではありませんでした。スポーツ系の学校を卒業してトレーナーを目指していた僕は、アメリカで「パーソナルトレーニング」というものが流行っていることを知り、勉強のために留学したのです。
アメリカではトレーナーの師匠のもと、彼の運営するジムで実際にお客さんを担当しながら勉強させていただいていました。
そのとき師匠のところにオフシーズンでやってきたのが、清原選手でした。人手も足りなかったので「清原さんがいらっしゃるから、お前はアシスタントで来い!」という感じで、いきなりトレーニングを担当することになったのです。
これまでに清原選手を担当した先輩トレーナーは何人かいたのですが、師匠は厳しい方だったので、先輩の動きを見て何人もクビにしていました。
そんななか、僕に白羽の矢が立ったわけです。
結果として、清原選手にはとてもかわいがってもらい、担当させていただく日々が続きました。
なぜ清原選手にかわいがってもらえたのか?
自分で言うのもあれですが、なぜ僕だけが清原選手にかわいがってもらえたのでしょうか?
僕も先輩トレーナーと同じように、毎日師匠からは怒られていました。でも清原さんは優しくしてくださって「しょうがねえなあ」という感じで接してくれたのです。
アシスタントとして清原さんの運転手もやっていたのですが、道を間違えて高速に入ってしまったことが何度かあります。当時はナビもないですし、なにせアメリカのシアトルでの話です。
ただ、そういうときも「またやったか!」「はい、すいません!」みたいな感じで、怒られつつもかわいがってもらえました。
(当然、二度と間違えないように、仕事のあと深夜にひたすら道をノートに書いて覚えたりしましたが……。)
なぜ清原さんとそういう関係性がつくれたのか?
それは相手がどんなに一流の人でも「ふつうの人」と同じように接していたからだと自分では分析しています。
スゴい人や有名人に会えば、ふつうは緊張したり、浮き足立ったりするものだと思います。でも僕は「わっ、清原選手だ、やべえ!」みたいにはならなかったんです。
「有名選手で実績をつくるぞ」「失敗できないぞ」という気負いもなければ、プレッシャーもありませんでした。ビビるようなこともなかったし、うまくいかなかったときにくやしい気持ちはあっても、落ち込むようなこともありませんでした。
そういう姿勢だったので、ふつうに接することができていたんです。
どんなスゴい人だって「ひとりの人間」
僕が大切にしている思いがあります。
それはどんなスゴい人だって「ひとりの人間」であるということです。
僕もお客さんも、同じ人間。オリンピックに出るようなアスリートも、日本中が知っているようなタレントも同じ人間。大統領だって、総理大臣だって、みんな自分と同じ人間です。
あたりまえのことかもしれません。
それでも人はつい、その人の社会的立場や地位、肩書きばかり見てしまいます。そして同じ人間であるということをいつのまにか忘れてしまうのです。
どんなにスゴい人でもひとりの人間である。
そう考えることは、贔屓にしてほしい人やプライドの高い人は「失礼だな」と思うかもしれません。しかし僕はこの考え方のおかげで、いろんな方と仲よくさせていただいていますし、経営するジムもうまくいっています。ビジネスチャンスもどんどんやってきています。
なぜ「ひとりの人間だ」と考えることがうまくいくことにつながるのか?
それにはいくつか理由があります。
スゴい人ほどふつうに接してほしいと思っている
大統領だろうが、総理大臣だろうが、みんな同じ人間。
前提は「みんなフラットである」ということです。
前提がフラットだからこそ、僕は誰に対しても「自分のほうが優れてるところはあるぞ」と思うのです。
清原選手に対しても、もちろん野球に関してはかないません。ただ一方で、トレーニングや体作りに関しては「自分のほうが詳しい」という自負があります。というよりも、その自負がなければパーソナルトレーナーをやることはできないでしょう。
極端な例ですが、バイデン大統領だって、軍事力を出されると負けますが、僕のほうが素手でのケンカは強いはずです。東大を出た人はものすごく知識を持っているかもしれませんが、僕のほうがパーソナルトレーニングの知識は持っているはずです。
当然、僕より優れてるところを持っている人はたくさんいる。と同時に、僕のほうが優れているところもある。
そういうものだと思うのです。
「何がスゴいか」というのは、時代や環境によっても変わるものです。
岸田総理も原始時代にマンモスを狩らせたら、僕のほうがうまいかもしれない。ウサインボルトには走りでは負けますが、バーベルは僕のほうが上げられるかもしれない。
「この人にはかなわない!」と思っても、それは「ある特定の場面で」相手のほうが優れているだけのこと。
この考えは、僕の負けず嫌いの性格から来るものかもしれません。ただ、そうやってフラットに接していると、スゴい人ほど心地よく感じてくれることに気づいたのです。
僕はどんなにコワモテの人でも、注意するときは「それやっちゃダメっすよ!」とハッキリ言います。どんなに有名な女優さんでも「握手してください!」とはならずに、ふつうに「こんにちは」とあいさつします。
アスリートや芸能人は「有名人扱い」されることに飽き飽きしています。だから、フラットに接すると逆に心地よいと感じてくれるのです。
もちろん相手に敬意を払うことは大切です。そのうえで、僕はフラットに接する。そして、そのほうが相手もリラックスできるんです。
その道のプロに対して「謙虚」になれる
僕はあらゆる人を先入観なく、フラットに見るようにしています。
だから「この分野では、この人には敵わないな」と思ったら、素直に教えてもらいます。変に張り合わず、力を貸してもらうようにしています。
フラットに見るからこそ、謙虚になれるのです。
それに、何かを突き詰めている人の話を聞くのは、純粋にとても楽しいことです。
たとえば僕のジムに来てくれるアスリートは、最新の科学に基づいて自己管理を行っています。そういった最先端の話題に触れるのは、知識も向上しますし、シンプルにワクワクします。
また、僕には仲のいいお坊さんがいるのですが、定期的に説法を聞きにいったりもしています。その方は仏教の教えを現代風にわかりやすく伝えてくれるので聞いていてすごくおもしろいです。
このあいだ山梨のほうにある焼肉屋さんに行ったときは、あまりに美味しかったので、つい店主をいろいろ質問攻めしてしまいました。「肉の選び方ってどうしてるんですか? なんで美味しいんですか?」 すると「うちの肉はうまく発酵させてるんだ。だからお通じもよくなるよ」などと、こだわりを延々と話してくれました。
フラットに見るからこそ、相手の優れている部分が見えてくる。そこに対して僕は謙虚でいられるので、かえってまわりに人が集まってくるのかもしれません。
それに、誰でも「教えてください」と言われたらうれしいもの。どんなにスゴい人であっても純粋な気持ちで聞くと意外と親切に教えてくれるものです。
僕のまわりに人が集まってくる理由
相手の優れているところはどんどん吸収させてもらう。その一方で、自分の専門分野においては、僕の持っているものを最大限提供する。
これを繰り返すと「最強のスパイラル」が生まれていきます。
謙虚に教えていただくことで、僕の知識が増える。専門家とのつながりも増える。すると僕が提供できるコンテンツが増えるので、さらにスゴい人たちが集まってくる。その人たちにもいろんなことを教えていただくことで、さらに自分がレベルアップしていく……。
気づけば、僕のジムには一流の人たちが集まるようになっていました。最近ではビジネスの専門家とのつながりも増え、新しい事業の話もいろいろ出てきています。
どんな人も「ひとりの人間」。
そうやってフラットに見てみると、いろんなことが見えてきます。まわりの人よりも優れた部分が自分にはあること。逆に、自分より優れた部分をまわりの人が持っていること。
肩書きや地位はただのレッテルにすぎません。人をフラットに見るからこそ、僕のまわりに人が集まってきてくれる。
だからうまくいくのだと思っています。