ホン雑記 Vol.90「『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』」
タイトルはそのまま、フランスの画家、ポール・ゴーギャンの作品名だ。
タイトル画がその絵だが、特に好きな絵でもない。なんじゃそりゃ。
タイトルというのはすごいものだな、と思う。
もしこの絵がこのタイトルでなければ、今日採り上げてはいないだろう。
コロナが襲来して、人々がなんとなく感じ始めたであろうことに、「正解って、無いんじゃない?」があると思うのだ。
それはもちろんコロナだけのことではない。
週レベルで翻る情報に、何を信じていいのか、信じたところで己のその旗色を人に示すのか、疲労困憊した人も多いだろう。飲食系の経営者などは、店を開けるか開けないかだけでも、胃に穴の開く想いがあったはずだ。
この傾向は、デジタル化や双方向通信などの、一般人による発信活動が増えてきた時からすでに顕著だったと思う。
かつてはブラウン管の中の人間を叩くだけでよかったのが、自分も発信者になると様々な火の粉が頭をよぎり、「右見て左見て右見て横断」なんてことになっている。
そんな世知辛い世相を見ているだけでも、オレは胃に穴が開きそうになる。
現在にまでその名が届く画家というのは、やっぱりとても「すごい人」なのだと思う。そのすごい人が抱いた切なる問い… それが、
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』
なのだ。
答え探しの氾濫する昨今の世界で、「問い」というものが価値あるものかもしれない。
このすごい人でも分からないこの世界。答えなど出ようはずがないではないか。そこに眼を着けると、ずいぶん生きやすくなるような気がする。
この作品に取り掛かる直前のゴーギャンは、愛娘のアリーヌを亡くす。
そのうえ家から追い出され、健康状態も悪く、失意のどん底にあった。
本作を描き上げた後に服毒自殺を決意し(未遂)、自身の画業の集大成と考え、様々な意味を持たせたと言われており、絵の右から左へと描かれている3つの人物群が、この作品の題名を表している。
画面右側の赤子と共に描かれている3人の人物は人生の始まりを、中央の人物たちは成年期をそれぞれ意味し、左側の人物たちは「死を迎えることを甘んじ、諦めている老女」である。
老女の足もとには「奇妙な白い鳥が、言葉がいかに無力なものであるかということを物語っている」とゴーギャン自身が書き残している。背景の青い像はおそらく「神」として描かれている。
この作品について、ゴーギャンは、
「これは今まで私が描いてきた絵画を凌ぐものではないかもしれない。だが、私にはこれ以上の作品は描くことはできず、好きな作品と言ってもいい」
と言い残している。
ゴーギャンは、人生、ひいては世界への問い掛けを記したこの作品以上のものは描けず、しかも好きな作品だと言う。
こうして、最期まで懊悩の人生を過ごすのもまた、正解なのかもしれない。
あ。また、答え探ししてる。