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ホン雑記 Vol.795「大人になると減ってく感情(ホントは減ってないんだろけど。だから説教とかに変わってくのかな?)」

昨日のイトイさんの『今日のダーリン』がなんだか良かったので全文載せてみる。


・Here I am,

 ここ。
 ここに、
 ここに、いるよ。
 あらゆる生きものは、
 そう言ってるのではないか。

 にんげんのあかんぼうが、
 生まれたとたんに、まずそう叫ぶ。
 そのあとも、生きているかぎり、
 ずっと言っている。
 くちに出さないとしても、
 わたしは、ここにいる、と。
 いないことにはしないでください。
 ここにいるのになぁ、と。

 来たよ、いるよ、ここだよ。
 見えるかい、わたしはここ。
 あらゆる生きものは、
 生きているかぎり、
 そう言っている。
 生きてなくてさえも、
 きっとそう言っている。

 鳴かないことりも、
 土の上におちた麦も、
 咲かないつぼみも、
 息絶えたくじらも、
 墓の下のがいこつも、
 眠ったままのおひめさまも、
 ここにいるよと言っている。

 あなたが、
 わたしが、
 ここにいるよね。
 気づきあえたらいいのにね。
 なかなかそうもいかないけどね。

 ここに、いるって。

今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
「Here I am」とか「I am here」って、いいなと思って。

ほぼ日刊イトイ新聞『今日のダーリン』より


「あぁ、なんかそうなってるかもなー」と思ったんで載せてみた。

たしかにあらゆる生き物が「ここにいるよ」、そう言っている気がするなーと思ったんでね。こう言い出したのは青山テルマが最初じゃなかったのかもしれない、といま初めて思えた。

「ここにいるよ」が強すぎると人はイビツなことになってく。オレはビミョーに強いほう。でもたいしてなんもしてないけどね。
こじらせて「ここにー! 俺がーっ! ここにいるんだよーっ! ほっとくなー!」と強まりすぎると、バイクブンブンや、スシローペロペロや、おでんツンツンとなって顕在化する。
弱すぎても「ここにいるよ」は消えないんで、加藤智大とか山上徹也みたいな鬼が人知れずジワジワと育っていくんじゃないか。
どっちにしても、自分で自分の機嫌を良くするってことはホント不可欠なんでっせと、納税並みに不可欠なんでっせと、教育にしこたま盛りこんでほしいとワテは思います。

かまってやらないということは、きっと想像以上に鬼をこしらえるんだろうな。それはいまみんながビミョーにやっちゃってること。
自分や自分の周りはなんとかご安全に。それ以外の人は「人数」でしかなくなってしまった。
原始時代は一生のうちに数百人に出会った。いまは数百万人という説もある。後者のほうはさすがに面識のある数じゃないんだろうけど、肉眼で見る範囲、声の届く範囲ぐらいだとそうなるんだろうか。
情報と意思の坩堝で、いまの人はアップアップしてるんだろな。

 あらゆる生きものは、
 生きているかぎり、
 そう言っている。
 生きてなくてさえも、
 きっとそう言っている。

ここも好き。ここが一番好きかも。なぜならなんだかそんな感じがするから。
寂聴さんも同じようなこと言ってた。
すべては愛でできている。それは原子の時からきっと。みたいなことを。
で、オレが「おー、そうかもー!」と思ったので、それは合っているのだと思ったのだな。これ、オレが偉そうって話じゃない。いや、オレは偉そうではないということでもないんだけど、これに関してはそういうこっちゃない。
だって少なくとも3人がそう思うんだったら「合っている」要素はいくぶんかは含まれると思うんだよね。
3人が不注意にも火箸に触って「アチッ!」と手を引っ込めたなら、その火箸はまぁ熱いんだよ。それと同じこと。

やっぱちょっと違うか。




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【今日の過去曲】

「オリジナルソング」じゃなく「オリジナルミュージック」になってるのでインスト曲ということになっております。一応(ホント一応)オーケストラルな感じで過去イチの力作となっております。




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