ホン雑記 Vol.659「ノスタルジャーの弱点」
自分のスタンスってあるようでないんだなぁ、と最近よく思う。
四十を超えてからのほうが、文字通らず、惑うことが増えた。
いまんとこの悩み…まではいかないけど、小さな引っ掛かりは「足るを知る」と「栄光獲得欲」の在りようについてだ。
栄光獲得欲は造語で、三大欲求の上にある二大欲求のうちのひとつだ。ついでにもうひとつは「知欲」にしてある。
あとで気づいたんだけど、三大欲求のほうは、「死を回避する衝動」で、勝手に提唱した二大欲求のほうは「生そのものの衝動」になってるっぽい。
で、「足るを知る」と「栄光獲得欲」がどうしてもトレードオフの関係にしか思えないという悩み…いや、小さな引っ掛かりがある。
『夜と霧』を著したヴィクトール・フランクルの考えに触れていると、これは「真」だな、と心のほうが思う。よって真なのだと思う。回りくどくなった。感動があるかどうかで決めてる、と言っておこう。
フランクル言うところの「態度価値」と言えるものに「足るを知る」は当てはまると思うし、これはそのまま感謝の念でもある。
オレの心のほうはこの状態を美しく思い、心地よいと感じる。だから真なのだと思う。
一方、アスリートは身を削ってまだ見ぬ世界へ…言わば、いま手にしていないものしか見続けないという生き方。オレのように、手に入れたもの、作り上げたものを眺めて「すごーい。わちょーい」してるのと彼らは真逆の生き方。目標に達したりどっかで優勝しても「まだまだです」と言い続ける生き方。
オレの心のほうはこの状態を美しく思い、心地よいと感じる。だから真なのだと思う。
はいー。そういうことなんですー。
そういうことなんですーって、こんなことはみんな中1ぐらいで思うと思うんだけど、最近特に「え、なんで? なんで世界はこんな矛盾してんの?」って思うのさ。思ってばっかりだな。
でもまぁ、どちらも同じ世界にあるものなんで、矛盾はしてないんだろう。ってことはどこかで上に挙げた論理が破綻してるんだろうか。いや、破綻も何もただの程度問題でしかないんだろうか。
それは、塩を摂りすぎたら食塩中毒で死ぬらしいと聞いて、水を飲みすぎて水中毒を引き起こすような。
でもなんか、そんな「バランスがだいじ」ってだけのもんに感じないのよねー。だから引っ掛かってるんだろうなぁ。
ひとつ思ったのは、動物はどっちもやれてるんだよね。
何かを得ても「もっともっと」と溺れていくこともないし、過去の獲物の取れ高を誇ったり自分でうらやむこともない。
逆に絶対に譲れないものがそうそうなさそうなわりに(あるとしたら命ぐらいのせいかもだけど)、どんな手を使ってでも生き延びようとする。フランクルのように、強制収容所に入れられた人間の中でも「希望」を捨てなかった者が「なんとしても生きて還る」と誓ったわけだけど、人間がそんな環境の中で得た鋼のような意志を、動物は全員最初から持っている。最初だけでなく最期まで。
なんという差があるんだろう。ホントに上も下もあったもんじゃないんだな。
生命は、今を生きないと弱まるみたい。
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