ホン雑記 Vol.559「魂の掲揚」
途中まで読んで積ん読してた詩集『点滴ポール 生き抜くという旗印』を読み終えた。進行性筋ジストロフィーを授かった詩人、岩崎航氏の結晶だ。彼は寝たきりであり、胃瘻による経管栄養と人工呼吸器が必須である。
かつては死を想った岩崎氏だが、帯には「病む弱い体が、こんなにも健やかな強いタマシイを育むことができるのだと知って感動し励まされました。あなたを尊敬し、誇りに思います」と谷川俊太郎氏が寄せるほど、その五行詩のなかばほどはあくまで明るい。なかには、
寝たままで
スッキリと
家庭散髪
葱坊主が一匹
できる
お腹の胃瘻を
PEGピアスと
呼んでみれば
ちょっと
小洒落て良い感じ
※PEG:胃瘻造設の手術のこと
など、可愛らしさや生きる智慧を感じさせる言葉もあるし、
必至の、闘いなら
勝つしかないねと
突き放す
あなたの
獅子のやさしさ
鼻の管を留める
ばんそうこうを
顔に留まった
白い蝶々に
してくれた
これらなどは、お母さんのことを書いたものだ。
最初ふたつ目のほうは、ユーモラスなお母さんが顔の絆創膏をふざけて蝶の形に切ってあげたのかとも思った。
けど、(改行はされているが)「顔に留まった白い蝶々」がひとかたまりだと思うんで、それなら「顔に留まる」「白い」とわかり切ったことをわざわざ言う必要もないはずで、たぶんこれはお母さんが「それちょうちょみたいだね」と笑ったという描写ではないかと思いなおした。だからこれもわざわざ「してくれた」とあるのだ。
よね? たぶん。
言葉の持つ力、解釈が事象にもたらす影響(というかすべてなのかもしれない)の甚大さを思い知らせてくれる詩だった。
最後にオレの一番のオキニを載せてみる。
しなければならない
その「何か」を
穏かに覚らせる
「時間」という
教師
いっつも語彙が淡くてスマンが、また「はーっ!」言うてもた。今のオレにはバチコンバチコン来た。
オトンが死んでからしばらく経った悲しみの潮干には、あれもこれもというくらい財宝が打ち上げられてた。とはいえ、あんなドデカいのにたびたび来られては困り過ぎる。しなければならないことのケツ叩き程度で、あんな経験はそうそうしたくない。
が、この「穏かに」という表現がズボラなボクちゃんを唸らせたのだ。「そうかーっ! 納得ーっ!」だった。
なんでそんなに納得したかってーと、最近まわりのいろんな人に(オカンと嫁のみ)訊いてまわってたとこなんだよ。「時間過ぎるのちょっと早すぎね?」って。
まぁ当然温度差あるわね。想像はしてたけど。こっちは過去イチの時間の流れで、もうなんかちょっとウツ気味になりそうな感じのイヤ~な気分だったんだけ… ん? いや、そんなことないぞ、これも思い込みだな。やっぱそんなに思ってないわ。今までで一番「これじゃウツになっちまうわー」と思った回数が多いだけだな。ホントはそこまで心動いてないわ。たぶん。
ま、それはどっちでもいいんだけど、とにかく「だからかーっ!」ってなった。「何か」が呼んでるヤツは(オレが虚しく呼んでるだけかもしれんが)、恐れに苛まれ続けるし恐れは強まっていくんだ。じゃーいいじゃん、このままで。もう逆に感謝だよ。オレも白い蝶々もらった。
岩崎氏の本名は岩崎稔といい、「航」の部分は作家名だ。
17歳の時に命を断とうとして、これですべてが終わるのだと考えた。そうしたら涙がとめどなく溢れた。
けれど彼は生きていくことを選んだ。
それはきっと嵐に漕ぎ出す大航海のはじまりになる…。その意志が彼に自作の二つ名を与えた。
大人になってもう幾年も経つ彼は「生きていて良かった」と言う。