ホン雑記 Vol.458「これでいいのだ」
Twitterのトレンドで「ニートの才能」というのが上がっていた。
自慢じゃないがオレが、24歳あたりから10年ほどニートをやっていた。
その10年の間も、それをあとから振り返っても、ロクな時間じゃなかったなと思っている。思っていた。そのトレンドを見るまでは。
どうやらニートになるのは、本当に才能だったのだと思った。そのタグを見にいって、いくつもリツイートで上がっていたひとつのツイートにはたしか4.7万いいねがついていた。
そこに箇条書きでいくつか条件というか特徴というか、そんなのが書かれてたんだけど、そのひとつに「普通の人は24時間自分を自由にできない」とあった。これには目から鱗だった。
「え? そうなの?」
お金のためにイヤイヤ働きに行く人が多いとはいえ、お金だけで働けるものじゃないらしい。なにかしら決め事があったり、なにかしらの出番があったりすることに、自分では気づいていなくても(お金のためだけだと思っていても)、つながりを求めているものだと。
へーーーーーっ! そうなんだーーーっ! いやー、まったくないわオレ。
いや、ウソ。逆に強烈なのはあるわ。そうじゃなきゃオリソンを公開したりはしてないわな。
でも、あまりにもレベルの違う承認欲求なんで、出番なんて感じはないんだよ、別に。
最初の職場でも副店長とか、前の職場でも品質系の責任者とかになって、最初は「エッヘン」なんて気分にもなるんだけど、秒で…は言いすぎだけど、いや、でもマジで数日で飽きる。給料5倍とかになるなら全然いいけど、「何これ?」って急に冷める。で、そうなると退職。うはははは。
甘えっちゃー甘えなのかもだけど、じゃー、これを甘えっていうヤツ、この感情あるかっつったら絶対ねーんだよ、んなもん。ねーから辞めずにいれるんだよ。「あー、オレはここに居てはいけない」ってアラームが、魂のアラームが鳴るんだよ(ちょっと盛った)。それが鳴ったら最後、もうそこにいることの屈辱感がすんんんごいんで(いる人には失礼だけどさ)、金をもらおうがそんなとこには行きたくもない。
別に出世できなくての屈辱感じゃないからなぁ。逆に多少ランクアップしたら(見えてくるがゆえに)「アッホくさーーーっ」ってなる。薄ら寒くなる。「ここにオレの時間を捧げるのはもったいなさすぎる」と。
そうは言うても、最初の職場を退職した時、辞めて1~2カ月でツレに「全然やる気出ないけど自分はどうだった?」と焦って訊いたことがある。そいつも退職経験があったんで。
そしたら「半年ぐらいでヒマに耐えられんくなって、職探ししはじめるよ」と言われたんで「ふーん」なんて思っていたんだけど、「ふーん」と思ったまま10年が過ぎた。ビックリした。
さすがにこれはよくないぞ~、なんて思いながら生きてたんだけど(それが生きてると言えるのかはさておき)、結局たまたま今の嫁のコネで「工場空いてるから働けやオラ」とお達しが来たんで(当時はまだ彼女)、これはさすがに行っといたほうがいいだろうということで、そこで6年弱もった。結構もったな。
で、今何も考えてない。というのはもちろんウソで、あーでもないこーでもないと考えている。が、以前の10年間ほどには考えてない。考えてもどうにもならんしね、オレは。
中3の時も、行く高校がねーぞどうしようなんてことになってたアホで、なんとか付け焼刃でメッチャアホな高校に入れた。やべーやべーとは思ってるんだけど、別に今死にかけてるわけでもないし、いまいちやべービジョンが浮かばない。とはいえ中卒とか震え上がるほどイヤだったんで、やべービジョンはもうこの上なく明確なはずなんだけど、それでもやらない。
そういう人なんで、もうこれはどうしようもないと思っている。オレはやらない人なのだと(あれれ、普段やらないヤツに辟易してる気がするぞ)。
下には下がいるっつったら怒られるけど、劇団員とか芸人とか酔いどれオジサンとか、もっとやべーヤツいるんだからなんとかなるだろう、と腹をくくっている。
間違えた、高をくくっている。
昨日もツレとの別れ際に「明るさしかないよね」と言われたんで、もうこれは絶対大丈夫だと思っている。
しらんけど。