雑記1233「自分が変われば世界が変わる、の本当の意味」
昨日言ったように早速またXで前田裕二氏をフォローしたわけだけど、早速良いこと言ってらしたわ。
それが「駅弁てなんで冷えててもあんなにおいしいんだろう」って話で。
ま、ちゃーっとはしょっちゃうけど、「制約」のせいだろうって結論だった。
たとえばバーベキューがおいしいのもそれに似て、普段そんな場所で食べられないから脳がハレの日にわちょーいなって、5割増しぐらいにウマく感じる。だから冷めてるってぶんを差し引いても十分ウマい、ってんだな。で、その値を「制約係数」と名づけてた。彼らしくて良いね。
これは彼の結論通りだろう。
オレにとって過去イチでウマかったラーメンは、小4の時に富士山頂で食べた醤油ラーメンだ。あの発泡どんぶりに入った、特になんてことのない味。
富士山は登山的には中級の山だったと思うけど、それでも当時のオレには山頂付近は軽めの地獄のように映った。
頂は見えてるのにいつまで経っても近づけない、気候はずっとよろしくない、人生初めての雹、取っても取っても靴の中に入ってくる砂利、山頂近くでなくなる登山道のこういうロープ。
こういうロープの無い所はもちろん道幅(5mぐらいだったか)も広いんで山側を歩けば全然問題ないんだけど、それでも逆サイドのほうはロープもないのに斜面が下のほうにどこまでも続いて霧の中に見えなくなる。そこに雹も降ってるってわけ。小4のオレは不安過ぎて泣いた。いや、いまでもちょっと怪しい。
そんな人生初の大冒険のあとのラーメンですよ。ありゃぁまー、生き返るなんてもんじゃなかったね。
制約係数にしたら×10ぐらいはあっただろうな。あっためたコオロギ食ってもウマかったと思う。
いや、ちょっと言いすぎた。コオロギは余計泣くわ。でも、紙コップに入ったおダシなんかでも相当感動しただろうと思うな。
で、前田氏のすごいところはここからで、ってかこれ同時にオレもスゲーぜって言っちゃうことになっちゃうんだけど(毎度ごめんて)、この制約を頭の中だけで設定できるようになると、ご飯をその実力以上においしく感じられるってんだな。
いやさすがだなー、この人はオレと同じ境地に立っておられるのだなーって思ったね。何様だよオマエ。
でもこれホントねー、ここ1年ぐらいでやってたんだよ。いや、もうちょい前だわ。つまりね、ことあるごとに自分は原始人だと思って生きるようにしてるんです。ワシ。
これはいいよ~? ホントに文句減るから。文句も減るしね、この世界が
どれだけ奇跡の上に成り立ってんのかってことが実感できる。
あー、もうちょい前の前からやってるわ。「接触不可視の法則」とか何年か前から言い出してるからな、ワシ。
つまり触れてるものは視ることができないってわけで、その最たるものが自分の幸福なんだよ。これを認識できないのはつらいわなぁ。そんなん死ぬまで文句言うとらんとあかんでなぁ。
で、文句マンになっちゃうと、どれほどの奇跡の上に生きてるのかって話がまったくわからなくなっちゃうんだな。二言目には「そんな綺麗事」とか抜かしてきよる。ま、1回も言われたことないけどさ。
たとえば、果物が存在することの奇跡、これよー考えてみなさいよ。えっげつない確率やで。アホみたいにウマいし、色もみんな違うし、逆に言やぁなんでそんなもんが出来にゃーいかんの? わざわざ。
はっ。脱線して超特急してた。
で、前田さんはその脳内の設定を「制約係数の普段使い」と称した。いいね。
つまり日常から「ここが電車の中だったら」「ここが空の上だったら」とイメージする。そしたらそこで食べる冷えた弁当はファーストクラスの幸せどころじゃないやんか、ってな。
で、彼は「上手く設定できるようになってくると…」ってさりげに言うんだね。普段からこんなことやってる同じような変人がいてオレはほくそ笑んじまったぃ。
あー、これって多くの人が、普段この逆をやってるとも言えないか?
つまり「幸福係数の普段手放し」をさ。
【今週のオリジナルソングさらし】