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ホン雑記 Vol.714「人生とは…」

「人生」。
いい言葉だ。すごい言葉だと思う。
この感覚は、たとえば「LIFE」の単語を使う言語圏に生きる人にはあるんだろうか。


なんでこんなことを言いはじめたかというと、noteのオススメタグのようなものに「人生」が出てきたんで、いろんな人のnoteを見に行ったからだ。

オレは肌感的に愛知で五指に入るほど排他的なヤローだ。人の言うことはほとんど聞かないし、特に人が自論をぶってる時なんかは殊更にひどい。
「なーにをオンドレみたいなチンカスがエラッそうに」と脊髄反射で思ってしまう。悪気はないんだ、すまんな。脊髄反射なんでどうしようもない。オレの神経のせいであってオレのせいじゃないんだ。オレもオレの神経を疑ってる。
ま、このぐらいが詩人にはちょうどいいのかもしれんけどな。詩人? 音楽家って名乗ってなかったっけ? ま、どっちでもいいや。

で、そんなオレなもんだから、「生き甲斐とは」とか「正しさとは」とか人が一席ぶつのを想像するだけでもブチ切れそうになるんだけど(すまんな)、「人生は」なんて言われると、こんなオレでさえなんかちょっと聞き耳立てちゃいそうな心境になる。ってか、立てちゃう。

その人の子供の頃のアルバムを見る感覚に近いような気もする、とポエミーに言ってみる。いや、でもこれ結構そんな感じなのよ。嫌いなヤツでも子供の頃を想像したら溜飲下がるじゃん? やったことないけど。下がる感じあるじゃん?
それほどに「人生」という言葉には、居住まいを正させる何かがある。何だこの感覚は。何なんだ、人生というものに1本のものさしを見るようなこの感覚は。そしてその誰かの1本を想像すると、自然とその背景にいくつものものさしが見えはじめるような感覚はなんだ。
なんだ、と言いながら言いたいことはもうある。そう、オレの発明した名言に想いを馳せたのだ。


人間は たまたま物理的に個体同士が離れているだけの
一本の大樹の 葉っぱの一枚ずつだ

出典:ワシのドタマ


こんな感じだわ。とある書物の1ページを思い浮かべる時にその書物自体も思い浮かべるように、誰かが「人生は」と口にすると測り知れない数のその全体に意識が向かう。



そう言えば「人間」もいい言葉だよなぁ。

ちなみに「一枚ずつの葉っぱだ」じゃないところがお気に入り。



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仲大輔
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