雑記1084「ちょっとした谷」
昨日、1週間必死こいて練習してアップしたゲーム曲が46秒しかなくて…いや、2ループしてるから1コーラス分で20秒ほどしかないのか、まぁそんぐらいしかなくて、あんなに何日もやった結果がこれかよ、とほほ、なんて思いかけた。
思いかけたじゃないわ、思った。思っちゃった。
あぁ、こんなのは料理よりも、ドミノよりも、きっと花火よりも、はるかに仕込み時間に対して一瞬で終わっちまうんだなぁ、と思っちゃってドッと精神的に疲れた。気がした。
が、一瞬で復活した。敬愛する海苔漁師の徳永義昭さんを思い出したからだ。
彼はほぼ毎日、平均して8時間ほど、11年間、リストの「ラ・カンパネラ」を独学で練習している。おそらくは自分を音楽家だとは思ってない人が、だ。5分の曲をだ。
それを思い出したら、「何を言うとんのかワシは」と思って、すぐにうんざりが吹き飛んだ。ま、多少は残るけどさ。
こういう時の人間って客観的になったんだろうか、性格が悪いんだろうか。
つらいのは自分だけじゃない(つらいうちに入らんのだが)と目が覚めてイヤイヤのハードルが本来の位置にリセットされると考えたら、人のことを見て影響を受けることができたと言える。
自分よりつらい人がいると認識しただけで力が出るなら、それは「人の不幸は蜜の味」との境目が非常に分かりにくく、ほな最初からつらがるなよ、とも思う。
ま、オレが一番つらいとか、あの人が特別なだけじゃないか、とか思わんだけマシなほうだと思っとこう。
こういう時はどこか、その作業自体のつらさってよりは、マインドが間違ってんだろねぇ。
やまなみ工房のあのお方は、人に認められたくてサッポロ一番の袋を触り続けているわけではない。だから触ってる時間自体が、彼女にとっては愉悦なのだな。仕込み時間と発表時間があるわけじゃないのだ。
が、逆に言えば、触り続けざるを得なくなったその理由は、よく考えたら彼女にとって触ってる以外の時間がマイナスだからであって(施設員がサッポロ一番を取り上げることなど絶対にできない)、それってのは「不安」でしかないはずなんだ(触る理由は誰にもわからないらしいが)。
ってことはサッポロ一番をクシャクシャしてる以外のすべての時間が(そんな時間は寝てる時以外ないんだが)、彼女にとっての仕込み時間とも言えるわけで。で、サッポロ一番に触ってる時が、オレらみたいな普通の人にとってのライブでの成功、みたいな。
だから、ほら、わかるでしょ、不謹慎かもしれんが「発達障害 なる方法」なんて調べちゃうわけが。もちろん関係者が見たら不謹慎なんだろうが(なのか?)、望むことに善悪などないからね。そんなのどうしようもない。
ただ、その望みってのは大根に生まれたオレがバラの美しさに憧れているようなもんで、無いものを求めたってしょうがない。有るものでなんとかしていくしかないんよなぁ。
そういう意味ではオレの首から下に対してだいぶ不謹慎だわな。まぁホントに情けないあるじで申し訳ない。
あ、ああ!
っていう、詩です。
はい~。
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【今週の過去分オリジナルソング】