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ホン雑記 Vol.361「素人教育論」

さっき見た糸井重里氏のエッセイみたいなものの最後が、
「もうしばらく、幼児教育の門前の小僧をしてみたい」
で終わっていた。

あぁ、これはスゲー爺さんだなぁと思った。

知らない人もいると思うので書いとくと、
「門前の小僧 習わぬ経を読む」
ってことわざがありまして。

寺のそばに住む子らは、いちいち教わらなくても勝手にお経を唱えられるようになるということで、幼少時に身近で見聞きしていたことはおのずと身につくことの例え話なんだわね。

糸井氏は「今の幼児教育はこんなに進んでいるのか」と、幼稚園の先生向けの本を読んで、感心した覚えがあるという。それももうずいぶん昔の話だと。

で、「もうしばらく、幼児教育の門前の小僧をしてみたい」ってことは、きっと意識的ではないかもしれないけど、ずっとそれをやってきたってことなんだよね。

あの天才コピーライターが、幼児が教わる内容を、さらにその下の門前から聴いていようというのだ。教わるのではなく、身に染み渡らせるように。

これを見た時にねぇ、ちょっとでも言葉を扱って生きていきたいと思ったことのある身としては、まだまだまだまだまだまだまだまだだなぁと、愕然とした。

「あぁ、本当に、実る稲穂ほどこうべは垂れるものなんだなぁ」と痛感するのだ。

文中でこうも言っていた。

「人と人が向き合うことについては、いつも新人のようだ。
子どもが命令や脅しで成長するはずもないように、ふつうの大人も、そういう性質を持っているはずなのだ。」

って。

この人の視座と視線に、日本の教育に是非とも気づいて頂きたい中核のすべてが入っていると思っている。

このままでは日本は沈没する。
冗談抜きで、15年後には日本人がフィリピンに出稼ぎに行く時代が来ると思っている。20年、30年という数字も考えた。が、15年でいいだろう。
本当に15年で、逆転する時代が来てもおかしくないと思う。

なぜ15年なのか、その半端な5年はなんなのか。
その理由を以下に、細かく述べよう。

なんかね、えっとね、カッコつけたかったから。
細かく設定しといたほうが「え? 15年って何? リアルじゃね?」って、根拠の厚い主張だと思ってもらえるかなぁ、と思ったから。うはは。

誰だって頭よく見せたいじゃん、そりゃ。そういうことあるじゃん。
オレはスンゲーそういうのある。それで空回りもだいぶしてきた。
でもね、そのおかげでね、いろんな言葉も知れ…


はっ!
あかん、もんのスンゲー脱線してた。
オレ今フヌケなんだよ。許してくれよ。頭メッサ使った週間だったのに、また今から作曲が始まるんだよ。
しかもあと5日だぜ?
あ・ー・と・ー・5・ー・日・ー・。

あ! 「・」で区切って強調するんなら別に「あーとーいーつーかー」って伸ばす棒入れる必要ないじゃん。読みにくくなってるじゃん。アタマん中では伸ばして言ってたでねー。
あぁ、なんかまるで「・ー・」っていう、「ぬ~ぼ~」みたいな可愛いヤツ出て来てるじゃん。
え、しらん? ぬーぼー。昔流行ったお菓子。


はっっ!!
あかん、二重で脱線してんなこれ。
えーっとね、そうそう、要はね、
「自分が分かった気になるな。目下の者が分かってない気でいるな」
ってことが、教育の中核であってくれよ、って教育の部外者が思うわけ。

学校や塾や何々教室という「がわ」が整ってくると、どーーーしたって「何が中身なのか?」が分からなくなってきて、側はどーーーしたって形骸化する。
人が集まって良いこともあるけど、集まってダメな典型がこれ。オレはよく言うこと聞かないガキだったってここでも言うけど、半分はあえて聞かないようにしてた。

だって絶対おかしいと思ってたもん。世の中。小学校ぐらいで。
タモリなんか「4歳の時が一番頭良かった」って言ってたけど、あながちジョークじゃないんじゃないかと思う。

大人の言うことよく聞いちゃダメ。ダメよ。
大人の言うこと聞かないで困るのは、子供や若人じゃないよ。

でも、聞いといたほうがいい、言うことを言う大人もいる。
だから面白い。それがどんな大人かは、人に聞いちゃダメ。
自分の心に聞きなさい。

人じゃないの。心に聞くの。そんな気持ち分かるでしょう。


で、教育の「心」としてはそんなところ。

じゃ、実際には「側」ではなく何を伝えるのかっていうことなんだけど、それが、

「自動車の運転を出来るようになった自分の脳」なんだと思う。
うまい言語化がなかなか難しいんだけど、これは「自転車に乗れた時の自分」「クロールをできるようになった時の自分」「変な投球フォームが改善できた時の自分」あたりでもいいと思う。

つまり、難しいとは思うけど、それを習う前の自分の脳の様子を把握、いや、実際には無理よ? だって、実際何も知らないのにそれ以前を把握言われてもねぇ。
で、それと出来たあとの自分の脳の様子、感じ、みたいなものを把握する。しようと試みる。
この「あることをやれる以前、以後の差」が、確たる成長の証なんだよ。

だいじなことだと個人的に思うので言っておくぜ。それは、

「あなた自身が、ものごとを実際に前に進めたということ。仕事をしたということ。事を成就させたということ」

車や自転車の運転って、そんだけすごいことしてます。

たとえどんなに切れ者でも、仕事できる人でも、ほとんどの想定外を想定出来る人でも、路上運転するのに練習を要さない人間はいない。
頭で考えただけで、クロールを綺麗なフォームで泳げる者はいない。

つまり、仕事の出来ない人など存在しないってことなんだよね。場所が合っていない、やり方が違う、時間がかかるってことはあっても、それは「出来ない」ではない。
どんな天才でも出来ないことを、数週間の練習によって出来る。

その時の脳の感覚、「何かが出来た時に、脳で何が起こっていたのか、それを拾い上げる、思い出す力」が、教えたいことの中核だと思う。

つまり(何回つまるねん話ヘタか)、「何も教えないでいい」が答えに近いのかもなぁ。



残念ながら、オレはこの力が謙遜じゃなくちょっと低い。
地頭はそれほど悪くない(あ、良くもないよ)とは思うんだけど、それってメンタルも関わってて、人が見てたりすると上に記したような成長度が著しく下がる。緊張しぃなんですよ。ライブ向きじゃない人間。
だから、なんでもかんでもすんごい練習がいる。ブッツケ本番なんかあり得ないし、最近ひどくなってる気もする。
生きるのに予行演習がいるんだね~。


だから、よく自然物を凝視してるのかもしれないなぁ。




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仲大輔
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