腐るお金「キームガウアー」
ここ数か月、お金の勉強をしている。
20代ぐらいから「お金なんて大したもんじゃない」というスタンスで生きていたが、最近になってどうやら何年も大嘘をこいていたことが分かってきた。大嘘を続けていると自分の感情まで分からなくさせる。
だからオレは誰よりも金の亡者になってやろうと思い始めたし、アホみたいに金が好きだ。みんなそうだって? まぁ、そうだろうけどさ。
なってやろうと思うだけじゃしょうがないってんで、割と気心の知れた人に限り、漏れなく預金額を聞いて回っている。
最近、他社で定年をむかえてウチの会社に入って来た60代半ばの男性と仲良くなってきたが、預金額に始まり、貰っている年金額、ウチでの給与額、機械の修理バリバリで入って来てるので、その特別手当は付いているのかなど全部教えてくれた。
オレは人3倍ほどシャイなほうだが、この辺のド厚かましさを発揮する時には恥ずかしさがまったくないんで、結構お金の神様に愛されてるんじゃないかと思う。思い込むことにする。
ちなみに、預金額は1人を除いては、皆一瞬躊躇したのちに教えてくれた。一瞬はイヤな思いをさせてるらしい。申し訳ない。
でも踏み込んで怒られる領域ってことでもないらしい。ふむふむ。
そして、お金に近づく方法がこれで合ってるのかは、まったくもって自信がない。意識は多少変わってるような気がする。
前置きがだいぶ延びた。
ネットや本でお金の性質について勉強している日々だが(言うほどやってない)、最近面白い記述を見つけた。
「腐るお金」と呼ばれる地域通貨、キームガウアーだ。
ドイツ・バイエルン州を中心とした一帯で流通しており、その通り名が示すように、時間と共に価値が下がっていく通貨。
地元の高校で社会科の教師をしていたクリスティアン・ゲレーリが生徒とともに立ち上げた。
ゲレーリ氏は「今のお金の仕組みには欠陥がある」と説いている。
お金を払って手に入れるものを思い浮かべてみればわかるが、およそ価値の下がっていくものばかりだろう。「食」から「衣」、「住」に至るまで、そのスピードは遅くなれどみんな腐っていく。
しかし、お金だけが長年その価値を失わない。このことによって資本主義が助長されているのだ、と。
確かに、あらゆるものと交換できる価値尺度を持つものが貨幣ならば、あらゆるものが腐る中でそこだけが歪な感はある。
この従来の仕組みによって、遂には人の命まで軽くなっているという。
キームガウアーは発行されて最初の3か月間は同価値のまま、そこから3か月ごとに2%ずつその価値を失っていく。
このお金が発行されてから、町では庭に木を植えたり、畑などを作ったりする人が増えたという。そしてキームガウアーは従来の貨幣の2.9倍のスピードで市場を回り、人々の暮らしを潤している。
特筆すべきは、これによって従来仕事にならなかったような、「ちょっとマッサージがうまい人」や「ちょっと手芸ができる人」など、ほんのちょっとした特技が仕事として成り立っているというのだ。
キングコングの西野氏もよく言うが、昨今は「お金の価値が下がってきている」という。信用や寄付、財やサービスの購入といった、お金をいったん他のものに変換して回すほうが価値の維持はしやすいのかもしれない。
いま挙げたものはどれも「人の喜び」に通じている。
お金の性質である「人の喜びの対価」の部分が、より一層大きなファクターとなる時代がもう来ている。