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ホン雑記852「超アハ体験」
たぶん再放送ではないと思うんで、だいぶ前、20年以上前に観たテレビドラマってことになるんだと思う。
『君の手がささやいている』というドラマなんだけど、この中のワンシーンがオレの人生観に強い影響を与えている。
ヒロインは聴覚障害のある美栄子(菅野美穂)と、その夫である博文(武田真治)の物語だ。
あ、いま思い出した。やっぱ再放送だ。Wikiによると90分ほどの5話を5年もかけて1話ずつ放送してるみたいだけど、続けて見た記憶がある。でもたぶん20年以上前なのは間違いないと思う。
めっちゃはしょるけど、ま~とにかく紆余曲折なわけさ。結婚するまでが。博文の母親(加賀まりこ)が反対したりが当然あるわけ(めでたしめでたしになってからは彼女が一番孫を溺愛するようになるが)。
で、話も終盤の、たぶん最後の4話か5話ぐらいだと思うんだけど、そこでこんなエピソードが出てくる。
博文は美栄子の父親とは最初からウマが合っていた。ふたりで屋台で一杯ひっかけてから帰路につく、なんて描写も何度かあったと思う。そこで博文がこんな不安を義父に打ち明ける回がある(完全うろ覚え)。
「最近の僕はおかしいんです。いろいろあって、やっと美栄子と一緒になれて、娘の千鶴も生まれて、もう何も言うことはない。なのにこないだ救急車のサイレンが聞こえてきただけで、とても不安になったんです。美栄子が事故にでも遭ったんじゃないかって。最近ずっとこんな調子で参っちゃってて…。父親になったというのに。僕は弱くなってしまったんでしょうか」
すると義父が答える。
「博文くん。それはね…幸せなんだよ」
その言葉に一瞬にして博文とオレは悟った。で、オレのほうはメチャクチャ泣いた。いまも半泣きしてる。
あれはマジで雷落ちたなぁ。
そうなんです。その不安は、最高の幸せを手に入れている者の、瞬間の、その証である烙印のようなものだと言ってもいい。至上の幸せ者に課される唯一の痛み。「ただいま」「おかえり」の中にある幸せなんかも、また逆に、この痛みの上にあると言ってもいい。100%無事に帰ってくるのだと分かっていれば、この儀式もたぶん存在しないんだろう。
オトンが死んでからより強固になったけど、その前に知ったこの観念のおかげで「このマイナスに、本当にプラス成分は何も含まれてないのか?」と思うようになった。
それは逆もまた真なりで、大いなる悲しがりになってしまいもしたんだけど、まぁ、そんなに悪いものだとも思ってない。たまに詩が浮かんだり、洗濯機のことを思って泣けたりするんでね。
いや、でもやっぱり、あのセリフのおかげでだいぶ幸せ者になれてるんだと思う。逆も真なりとはいえ、そっちのほうは「これってプラス?」より遥かに弱い。
オレはわりと二元論者なんで、右が5あるなら左が5あるだろうし、暑いが7なら寒いが7だろうし、美味いが10ならマズいが10だろうし、白が20なら黒が20、光が…もうええか。
とにかくまぁ、なんかそんなふうになってるんだろうと考える人なんだけど、これを知ってからは幸せのほうだけを多く獲れてる気がするんだよね。それって幸せなことだよなぁ。
「幸せは気づくもの」なんだとすれば、美栄子パパが言った「それって幸せな状態だよ」ってのを聞くまでそれに気づかなくて、で、聞いたからこそ「あ、あぁ、これが幸せなのか」って気づくってことは、まさに実地で幸せに気づかされるという体験をするわけなんだよねぇ。
つまりは、「おいしいねー」とか「あー、幸せ」ってすぐ言う人のそばにいるってことは何よりだいじってことなんだろなぁ。
あ、ワシ、嫁とオカンとツレがたまたまそうだわ。
あ~~~! しあ…モゴモゴ。
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【今日の過去詩リーズ】
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