雑記1162「無限回廊」
「ホンマでっか!?TV」なんかによく出てる脳科学者の中野信子氏のスタンスがオレは好きだ。
昨日も彼女へのインタビューっぽい動画観たんだけど、脳を扱ってて、そのことで世界をなんとか良くしようとしてる人は他にいないんじゃないだろか。
ちょっと前にも彼女の本を本屋でチラ見したけど、何回か「ほえー」言うたで。ええ意味の「ほえー」。
その動画では「正義を執行する快感」という言葉を使っていて、めっさ納得した。
ひとりの人間が「正義の人」「悪の人」なんて決まってるはずはないことはわかり切ってるのに(ここで「そんなことない」って言うヤツもいるかもしれんが)、自分が判断する時はいつも自分が正しい側だと思ってしまう。そしてこの仕様は、多寡の差はあれ、すべての人間が持っているということだった。
これは本当に麻薬さながらだと思った。特に「快感」という言葉を使ってもらってさらに刺さった。
人は正義について、自分が真剣に語っているとは思っていない。と、オレは思っている。「自分の中の、あるいは絶対的な正義を見極めるのに、全力を傾けています」って人はいないだろうと。
つまり、政治や宗教なんかと同様、片手間で自分は考えられている、生活の端っこのほうの余裕のある部分で考えることができていると。
が、実のところ、真剣どころか、人生に必要不可欠なほどの依存状態になっている。「正義を執行する快感」が。
これって、まったくアルコール依存と同じだと思った。
オレはキャバクラで暴君みたいになって、その時にクッソヘタクソなカラオケを聞かせといて(過去イチのベロベロなんで)、女の子に「どや? どや?」言ってた、という惨事を次の日に思い出して、あまりの情けなさに涙してそれで断酒に至った。
最も自分が嫌っていた人間像を、酒が入った自分はああも完璧に演じてるのかと気づいた時に、すべてのプライドが崩壊しそうになって、さすがに酒のほうをやめた。全力を傾けてやめた。
が、依存真っ只中の人は違う。自分はアル中ではないと言い張る。病院に行くなんてもってのほかだ。
で、自分で「これはヤバい」と冷や汗垂らせるかどうかは、もう運しかないような気もする。ありがたや。
「正義を執行する快感」についてもまったく同じ経験があった。28の時だったか。最初の重症急性膵炎で入院した時だ(これも酒だったわ)。
相部屋での面会時間が夜9時までとかで(そんな遅くないか。うろ覚え)、1分でも時間を過ぎて人の話し声がカーテン越しに聞こえてきたらイラついてた。
で、オレも嫁(その時は彼女時代(どーでもええか))が仕事終わりに寄ってくれて、さびしん坊のオレは9時半ぐらいまで話してたかと思うんだけど、まぁ完全にオレが間違ってんだけど「もうちょっと~ん、もうちょっと~ん」になっちゃうわけで。
そしたら向かいのベッドからカーテン越しに「いつまでしゃべっとるんだ」って、独り言と投げかけの間ぐらいの音量で聞こえて来て、反射的に「やかましぃわコラーーーっ!!!」って叫んでた。
一般平均から見たらこの時点でキチガイなのかもしれんけど、オレ的には乗り込んで行ってコンコンとブチ切れたるのをなんっっっとか我慢してたぐらいだ。
で、ちょっと経って落ち着いた時にオレは絶望感を味わった。
いままでの人生、どう考えたって、人よりモノを考えてきた。(28の時のお話です)
何が正しいのか、そうでないのか、愛ってなぁに? などなど、四六時中考えて来た。オレはお前らとは違う…。(28の時のお話なんですってば)
そのオレが、完全にいま「わかってることをイチイチ言ってくるなよ」の感情を優先して、正しいかどうかよりも、感情でキレてしまった。
いままで「考え」だったつもりの脳内作業が実は、自分はすごいのだという錯覚の生む快感を得るためだけの「下手な考え」でしかなかった。
「自分の中に正義など、まったくなかった…」
そう知った時に膝から崩れ落ちそうになった。ま、その時はベッドに寝てるんですでに崩れてる状態なんですけどもーーーっ。
ん、こんなんいらん?
ま、でもホントね、人生観変わるぐらいおでれぇたんだよ。
で、いまのオレは、その時の自分よりも自分のことをまったく正しいとは自認してないんだけど、おそらくは、その時よりはいくぶんかマシなんだろうと思う。
犯罪者をニュースで見て、「オレもこれを絶対にやらんって自信はないなぁ」と思うことが増えた。もちろん「明らかにこれはやらんな」ってのもあるけど。
こないだ新美南吉記念館行って、刺さったのをたまたま撮っといたんで載せとくわね。
【今月のオリジナルソングさらし】
月末に新曲アップしてます。コメント大歓迎ちゅう😗