ホン雑記969「年寄りになるまで待とうとする危険性も無きにしもあらず」
いやー、頑張りましたでー。
昨日YouTubeにアップした「ラダトーム城」。これは宣伝させてくだされ。
そう、ドラクエ1の城の曲。
世の曲の中で一番好きな曲がドラクエ3の「冒険の旅」だって話をだーいぶ前にしたけど、初めて「か、かっちょえー」と思ったのはこの「ラダトーム城」だったと思う。小5ですよ。
それから40年近く経って、フルバージョンをめっさ弾きたいと思うになるとは思いもしなかった。
曲を弾いてるだけで泣けるのがオリジナル曲の「告別」オンリーだったんだけど、
「ラダトーム城」は人様の曲で、弾いてるだけで泣ける初の曲になった。
で、その音楽神すぎやまこういち様が、クラシックを聴きまくって楽譜見まくって、独学であの境地にたどり着いたなんて言うもんだから、オレも彼の聴きまくったベートーヴェンなんかを聴きまくろうと思ったんだけど、ちょっと聞いてみたけどエリーゼ以外は無理あったし、そもそもオレにとっちゃクラシックの原点、いや原典はドラクエだったんだ。
そう、あれはゲーム曲じゃーない。最初の頃にすぎやまセンセも「ドラクエを通してクラシックに興味の湧く人が出てきたらいいな~」って言ってたけど、彼の追いかけたものを追いかける必要はないのだ。興味出てきたらさらにまた遡るだろうけど。
暗い話になるけど、別に暗くもないんだけど、いま生きてる人がみーんな死んじゃったあとの世界では、確実に日本で勃興したニュータイプのクラシックとして、まさにクラシック(古典)になってると思うんだ。日本だけじゃないかもだけど。
そしたらやっぱりそれがオレにとっての完璧な原典じゃないかって思いはじめてきたわけ。
めっちゃどーでもいい話、もはやオレにとってすら、どうでもいい話をしている。
だけど、なんかこのへんだいじな気がするんだよ。ピアノの入り口に立った者がバイエルやらハノンやらをやらされるように、オレにとっちゃー正統な原典だと思うようになってきたんだ。
なんでいままで思わなかったのか。やっぱり、どこか「ゲーム曲だし」なんて思ってたんだろね。洗脳って怖いよね。
好きなくせに、どこか大手を振れないものだと思ってるとこがあった。そんなこと言ったら車だって映画だってそうなのにね。最初には、けしからんとか娯楽じゃんなんて言われたものたちだわさ。
もうひとつは「NES BAND」のマツケん氏がいるんで、「いまさらゲーム曲のコピーを極めに行くのもなぁ」なんて思いもあった。とにかく人がいるとこに行きたくないのだ。
だけどビートたけしも言ってたけど、人が見向きもしない界隈にいたって意味がない(いるだけで愉悦を感じられるならそりゃ別にいいさ)。
意味がないっつったって金とか人気の話じゃーないぜ? オレ自身が意味を感じられるかどうかが意味なわけだけど、最近になって、先駆者がいるかどうかとかどーでもいいな、なんて思えてきた。
当たり前の話だけど、自分が一番好きなものが自分が一番向いてるんだよ。
ラダトーム城は弾いててもその感覚がヤバかったんだ。
脳裏に城内の花畑や、松明に浮かぶ暗い城壁や、戦火の痕跡が浮かんでくる。この曲は国王ラルス16世が在位中のものであり、1世の時代から何度も滅びそうになってはギリギリの死線を越えて残った都の歴史がすべてこの3分間に詰め込まれている…気がする。気がするだけー。
でもさ、フツーさ、そんな気すらしないんだよ。それが弾いててありありと浮かぶもんだからビックリしちゃって。しかも実際のドラクエのシナリオにはそんなのいっさい出てこないんだから。
これは反田恭平くんが言ってた「ショパンを汲もうとし続ける」のと同じじゃないかとさえ思ったね。正解はないんだけど、200年前の人間の想いに近づこうとし続けるんだよなぁ。弾いてて「この景色はきっとすぎやまこういちの頭の中と同じになってるはずだ」と思える瞬間の悦楽ったらないぜ。ゾーン入ってるぜあれは。
しらんけど。
こないだのご長寿ビデオレターで、12歳で初めてパンというものを知って感動して、87歳でパン屋を開いたおばあちゃんがいたけど、「ああいう時間が来るのかもしれない」と思うだけで生きていけるなぁ。
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【今週のオリジナルソング】
note書きはじめてから3年以上経つのか。
ゾッッッとするわ~。