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雑記1227「端にあるフツー」

NHKでやってる5分間番組「no art no life」の朝までぶっ通しバージョンが年末にやってる。

既存の芸術教育を受けていない人たちの「アウトサイダーアート」と呼ばれるものを、平常運転とは違い、普段はナレーション出演のみの内田也哉子氏がゲストを迎えてお送りする。

お送りするって、ワシ送る側じゃないんだで「お」付けんでもええやんねん。


で、今回はゲスト常盤貴子氏だけかと思ってたら、なんと途中から「やまなみ工房」の施設長の山下完和まさとさんが出てきてわちょーい。オレがここんとこ最敬愛してる酒井美穂子さんを擁する福祉事業所の長だ。


3時間の放送中のほとんどの時間、泣きながら笑いながら観てた。
どの人が良かったとかはもう多すぎて省くけど(いやマジで。どれも良かったとかそんな浅い感想じゃなくて。多すぎていちいち書いとれんのじゃよ)、改めて改めて(2回言ってる。ミスじゃない)思わされたのは、自分のような一般的に健常者って呼ばれる人間は、あくまで「平均者」でしかないんだなぁということだった。「最多者」でもいいか。

たとえモニターを通してだけでも、彼らのように精神や肉体に特殊さを抱えてる人間たちと相まみえてると、我々平均の者がいかに、我々が普通だと思い込んで生きてるのかがわかる。
それは普段自分が見渡せる範囲を当たり前だと思うためで、オレが静岡に旅行に行った時に、誰も電車の窓から見える富士山に見向きもしないのに驚いたこととちょっと似てる。

そう考えると、自分らが普段思ってる人間の平均の姿、普通の姿っていうのはまったく人間たちの能力のド真ん中ではないんだろうと思い至ってくる。
我々の目に付く人目に付く人が、そりゃーほとんど平均的なんだから、そこは本当の真ん中ではないのだ。

つまり、人間がやれることのド真ん中…つまり、平均値ではなく中央値は、もっと障害者と呼ばれる人間の側に寄っているはずだ。
つまり(どんだけつまるねん)我々平均者は、ただ単に数が多いというだけで、我々が普通だと思い上がっている。

なのに世の中向けの情報を、こんなほぼ何も特化されていない大多数の凡人ども向けに最も多くの時間送り続けていいんだろうか。平均値ではなく中央値に向けてしかるべきじゃないのか。しかるべきとかキモくて言いたかねーんだけど言っちゃった。

それは何も障害者と呼ばれる人だけじゃない、芸人やアウトローや学校の先生や画家や音楽家や浮浪者や投資家やラーメン屋や冒険者やモデルやスタントマンやプラントハンターや占い師やマジシャンやレンタル何もしない人や探偵やゴルフボールダイバーや何でも屋などなどなどなども含めた中央値へと…。

だって現にだよ、我々全体平均者は、ほとんどの変人の平均者の築いた世界の上を、当たり前だと思って付いて行って生きてるじゃないか。ニュートンやらゴッホやら賢治やらエジソンやらイーロンやら。
いったい誰が彼らのような変異種に向けて教育を施そうとしてあげた? なのに世の中向けの情報ったらまぁいつまでたっても、彼らにとっては異常で単調なモノでしかない。
我々のほとんどは、様子見てあとからあさましく付いてっただけの単なる野次馬だよ。ただ生きたいだけのザコだ。そんなモンが幅を利かせてる現状の世界ってのはあまりにも狭窄な視野だ。

それは、我々平均者それぞれの中に存在する、変異的なある種本質的部分が、ひそかに「苦しい苦しい」言うてる昨今に見ても明らかだろう。
カネかアテンションだけの…まぁ要するにカネだけだわな、それだけが至高で確実なモノだと思わされすぎてしまった。
我々の平均は、対象である我々の平均に、その目に見えない人格を持って長年かけて真綿で首を絞め続けてきた。対象である我々の平均は当然ながら我々の平均すぎるわけだけど、そこは私ではないと錯覚してここまで来てしまった。

むむー。
このややこしい表現ひとことで言えたな。つまり天に唾してきたのだ。


よく考えたらおかしな話だよな。
24時間のうち、ワテらどれだけ紙幣や硬貨に頬ずりしてるだろう。どれだけ預金の残高を見てほくそ笑んでるだろう。どれだけビタ一文ムダにしないようにと気を張ってるだろう。そんなわきゃーないのだ。
なのに多くの人は、自分の好きな対象やほほえむ対象を想う時間よりも、おカネのことをだいじにしてると思ってる。ホントはそんなにだいじじゃないのに、おカネがだいじだと思ってる。
だけどさ、真にカネ好きだったら、ブロマイドにしてたり、ファンクラブに入ったり、絵に描いてみたり、おカネの歌とか作ってみてり、保存用観賞用にわけて飾ってみたり、お札で掛布団作ってみたり、たまには金箔みたく万札を千切って調味料に使ってみたり、自己紹介で「私はおカネを推しています。みんなも応援してね」って堂々と言えたりするだろう。

そんなことだーれもしてないのに、みんなおカネにオツムを引っ張られてる。狂いすぎぜよ。この世の中。
ホントに好きなんじゃなくて、ただそいつに去られると困るってだけなのに。
(あぁ。人は人にはオトナの事情とかすぐ言うけど、自分のオトナの心情はこのように見えないのだなぁ。おカネは、誰からも心から愛されてないのかもしれんなぁ)

じゃーなんで、ホントはみんながそんなに好きじゃないものに夢中になってるように見えるのかってーと、それはプラスのものが欲しいんじゃなくて、マイナスのものが消えないせいなんだな。

そうだね。「不安」だね。

オレはまだ感知できたことないんだけど、皮肉なことにこの不安がなくなるとおカネが流れてくるようになるっていうのはものの本で読んだなぁ。





【今週のオリジナルソングさらし】




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仲大輔
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