ホン雑記 Vol.112「鉄の意志なら変わります」
今日はまたちょっと毒舌っぽい記事かも。
依存症について思ったことを少し。
ストレスや依存症やメンタル。そんな言葉で引っ張ってきた時の医療関係者の言い分に、
意志の強さは関係ない
脳の問題
病気
自分だけではどうにもならない
みたいなのが多々あるが、理解不能なのである。
最近見た「鉄の意志があっても、依存からは逃れられない。意志の強い弱いは依存症の克服には関係ない」という精神科医の考えには真っ向から反対だ。
人間をカテゴライズして、お薬出しときましょう、で済ませる傾向が徐々に強くなっているんだろうなぁ。
オレは卒煙して14年、卒酒して3年ほど経つ。いずれも生命の危機か、QOLを気にして蒼ざめた結果だ。
これに対してダイエットは数十年やっているが(やっていないのか)、筋肉量も含めて理想の体型にはなっていない。
英会話もお金の勉強も、やろうと思っていてもなかなか捗らない。
答えは明々白々だ。「意志の力」でしかない。
後者は意志の力が弱いからだ。今やらなくてもQOLにそこまでの影響はない。
今にも死んでしまいたい心境でも、溺れそうになっていたら死に物狂いでもがくだろう。その瞬間に悩みごとはない。より上位の危機によってかき消される。
玉置浩二はどん底の精神状態で精神科に入院していた時、ほとんど薬で眠らされていたという。落ち込む時間を減らすためだ。
「このままでは、最期までこのままだ」と恐怖した彼は、病院を抜け出したという。そして母親からの手紙にあった「いざとなったら田舎に帰って来て、農業でも手伝ってくれ」という言葉を見て、号泣した。そこから、愛に囲まれて徐々に回復していった。
これは、抗うつ薬を使用してはいけないという話ではまったくない。
意志の強さは関係ない
脳の問題
病気
自分だけではどうにもならない
だけが「真」であると決めるのがおかしいというだけだ。なのでこれらの要素が皆無だと言っているわけではない。
その上でなお、意志の力で変えられるという話だ。
田代まさしが何度も薬物に手を出してしまう、脳の問題だ、という流れが書いてあったが、脳の問題もあるにはあるが、いや、意志の問題だ。
鉄の意志があればやめられる。やめられている人はいるのだ。その人の意志を呆れるほど研究したんだろうか。
「使用した時の快楽があまりにも大きく、それをなかなか克服できない」らしいが、100mを9秒台で走れと言っているわけではない。
なかなかやめるのが難しいという場合は、自分がやめないことをセレクトしているのは間違いない。難しいということは、できるだろう。
つまり「ナメている」、イコール「やめなくてもいいと思っている」のだ。
なんの自慢にもならないが、アルコール依存症者が自分ひとりの力で断酒に成功するのは500~1000人にひとりだと聞く。オレは病名を告げられたわけではないが、間違いなくお仲間だったし(飲んで負の感情になった時の破壊衝動が尋常じゃなく、いつか人に傷害を負わせると思いはじめた)、断酒会やアルコホーリクス・アノニマス(AA)といった自助グループにも頼ろうとは思わなかった。
絶対に行きたくなかったのだ。なにがどうあっても。
「そんなとこに行ったら終わりだ」。その意志の力だけが、自分を支えている。
これは、自助グループをクサしているわけではまったくない。
自分にとって、やめられる確率が上がると自分が思うなら、利用すべきだ。
オリンピックまで行くような人間の意志は間違いなく強い。
あるいはその人は、自分の意志は弱いかもしれないと思って、脳を制御するシステムを考える。それさえできなかったら、そのシステムが走るシステムを誰かに考えてもらう。
どこまでいっても「己の意志の力を届かせる」ことはできる。
たとえば、意志の力で朝好きな時間に起きられる人がいる。
これができない人は、いくつも目覚ましをかけるだろう。それも無理ならモーニングコール、ベッドが起き上がる目覚ましなどもある。
どこまで枠を広げても、自分の意志は貫ける。
本人が起きないと「ヤバい!」と思っていれば。
ハッキリ言って、人間の意志を、向かいたがる方向を、心と言葉の力を、ナメすぎじゃないだろうか。今の文明の形も、体の形でさえも、もともとは強烈な意志によるものだ。
西洋医学を危ぶんでいるわけでも、東洋医学と精神世界を不必要に勧めすぎてるわけでもない。
ただ、あまり自分の力を削ぐ者の言うことを聞くな、とは強く思う。