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恐るるなかれ。我、汝と共にあり。

「フリーハグ」という営みがある。
街頭に立ち、見知らぬ者同士が抱きしめ合うことで、愛と平和の心を育むといった目的の元に行われることが多い活動である。

「フリーハガー」の桑原功一氏のその営みは、とりわけ顕著であった。
韓国で安倍政権反対デモが行われているそばで、
「私は日本人です。日本では多くの人が『韓国人は日本人が嫌いである』と思っています。でも、私はそう思いません。私はあなたを信じます。あなたは私を信じてくれますか? もしそうなら、ハグを」
と書かれたボードを置き、フリーハグを敢行した。

「韓国人はみんな日本人のことが嫌いなんだ」
と思っていた彼は、フィリピンに語学留学した時に出会ったリアルな韓国人に触れ、そんな偏見は吹き飛んだという。

どうやったら人々に真実を伝えられるのか。それで思いついたのがフリーハグということだった。
しかも彼は、メッセージ性を強める時はアイマスクを着けるというのだ。写真に写るそれはバンダナではない。
「あなたを信じます」
ボードに書かれたその言葉に最大限の深みを与えるためにアイマスクを着けるというのだ。

いったいどれほどの恐怖だろう。オレは日本国内にあっても、こんなことはできない。


話は変わって、このnoteでもいくつか散見されると思うが「オレは人の言うことを聞かない」と何度か書いてきた。
もう(多分)反抗期は終えているので、それが目的でそうしてるわけではなく、悪意や諦めの念に乗って流れて来た概念に対しては、と付け足しておこう。目を輝かせて何かを語る人の言うことは割とすぐ聞いてると思う。
体制が嫌いと言い換えられるかもしれない。
やはりまだ終えていないのか。

このブ厚い「言うこと聞かない」フィルターは、上手いこと繊細な少年の心を世知辛さから守って来てくれたように思う。
このフィルターのない、ある意味純粋な者たちは、先人が伝えてきたマイナスの情報もすんなりと通してしまう。

憎悪という名の情報だ。
これは悲しいかな愛情と結びついているものだと思う。
子供の頃、少年たちはどこか「ボクのパパが最強なんだぞ」説を信じているところがあって、自分よりも家族の悪口を言われるほうが耐え難いものだ。
いや、今もか。

これは「オレの父ちゃんが言うんだから間違いない」にもなるわけで、その父ちゃんが憎むものはまさしく親の仇となる。
それは仕方のないことだろう。雛が初めて見た動物を親だと思い込む刷り込みのようなものだ。

でも分別の付く年頃になったら、やっぱり色んなものに疑いを持ったほうがいい。そのために天は人間に反抗期を授けたと思うのだ。


今から80年ほども前、若者はあまりに上の者の言うことを聞き過ぎてしまった。第二次世界大戦だ。
自分の命よりも国の意向のほうが前にあった時代。それが過ちだったと言う気はない。戦国の世と同じく、きっとそうするほかなかったのだろうから。

でも今は違う。
電影空間で世界は繋がり、より真実を見極めやすくなってきた。
そして誰もが心の奥底では分かっていると思うが、日本人にもクズはいるし、韓国人にも聖者はいる。当たり前の話だ。

どうか、より愛のある者同士で国を越えて繋がり、そうでない者を敵視するのではなく国を越えて愛を説くような世界が来てほしいと切に思う。
思うだけじゃなくてオマエが打って出ろという話だが……。


オレの最も崇拝する数少ない聖者の1人に、「イ・スヒョン」という男がいる。2001年に新大久保駅でホームから転落した人を救おうとして命を落とした韓国人留学生だ。

オレも韓国に対しては数え切れないほどイラついてきた。なぜそうも歴史認識を歪めるのか、いつまで謝罪を要求するのか、一体どれだけ民度が低いのか……。

そんな時いつも彼を思い出す。彼がいてくれたおかげで憎しみにくさびが打たれ、それ以上の怒りが増殖されなくなる。
仲の良くない国に赴き、そこの国民のために命を使うなんてことはとてもできることではない。自分の会社の仲の良い人間に対しても無理だ。


冒頭の写真は、桑原氏と抱き合う韓国人男性。
その手には「NO安倍」のビラを持っており、アイマスクをした日本人男性と抱き合って涙している。
そして、ハグに応えたほとんどの韓国人が日本語で「ありがとう」と言ったという。

なんと美しい光景なのだと思った。




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