ホン雑記 Vol.230「マネタイズが産むロボタイズ」
身の毛もよだつほど嫌いなものランキングTOP7000の中のかなり上位層に、「広告」がある。
「オススメ」とか「合わせて読みたい」とかも、よだつよだつ。いやいや、入ってくんなボケ、と。
下界の民どもには有効な手立てなんだろうけど、そんなもんが効かないオレにとってはホントに邪魔でしかない。お前らの意図(お金くださいという下劣極まりない)によってオレの意思が変わることはない。
保険屋を悪鬼のごとく追い返した時の怒りは思い出しても漸減することなく、このへんは首尾一貫していて自分で自分を褒めたいと思う。
極めつけは「日本ガイシホール」だった。あ、中部人ぐらいしか分からんのかこれは。「C.C.Lemonホール」と言えば分かりよいか。
1990年代以降、スポーツ・文化施設などに企業名を付けるのが流行っていったが、これにはホント、脱力・辟易・脱糞した。いや、最後のはちょっと盛った。フンだけにな。やかましわ。
このへんの身の毛よだつ感と、服屋に入って店員が近づいてくる時の拒否感は脳の同じ領域が反応しているのではないか。オレはそこのアンテナが一級品だ。要らんわそんなん。
それは、順当に正々堂々と遊んでいい空き地などないのだと少年が初めて知る時の虚脱感にも似ている。「なんだ、全部誰かのもんなのかよ」っていうね。
なぜワテらがおんどれらの商品名で呼ばなアカンねん。あー、身の毛よだつわー。よだ~つ~、よ~だ~つ~~~♪
オトナの売り手買い手は、そらそれでええか知らん。でもそれでええのんか? なんや違うんやおまへんか?
とにかくオレはその「二方よし」の発想が気に入らない。背に腹は代えられんのかもしれんけどさ。いやぁ、しかしシラけますで。
西野亮廣氏の「メイキング場面を売る」とか「スタッフになる券を売る」というのは最初「すんげー!」と思ったんだけど、よく考えたら人間のやりとりを根こそぎマネタイズするのって、どこかギクシャクしていくような気もする。
いやいや、まだまだ全然賛成範囲内よ? だけど全部マネタイズしていくとなんだか怖い。
デジタル化… いや、もう単純に、未来に向かえばどんどん価値というものがどこにあるのか可視化される度合いは顕著になってくる。それは個々人に降り掛かってくる超実力主義の誕生でもある。
小学生が仮想空間のゲームなんかで活躍する価値が、お父さんの稼ぎを遥かに超える時代が来る。
それはいままでにも「子役とその母親」なんかに見られたんだけど、それに輪をかけて子供が傀儡にすらならない時代が来る。あらゆることが非中央集権化していって、親が子供をマネージメントできなくなる。子供が先端の経済圏に暮らし、独自で大金を持てるような世界に…。
ホリエモンとかひろゆき氏の存在を見てると、なんかそういうの感じるんだな。すごい人なんだけど、何かこう、穴が開いてると言うかね。気のせいかな。
オレに広告はまったく効かない。
が、なぜかレジ横の棚の甘いものをカゴに入れる頻度が増してきた。
不思議だ。