雑記1165「世迷い言ですよ」
いまやってること。
・NHKでやってたヴィクトール・フランクルの番組6回分を録って繰り返して観てる。
・ヘレン・ケラーの自伝読んでる。
いろんなインプットをすると、まさしくニューロンの結合のように、その人なりの連絡の在りようが頭の中にできて、「このふたつを読んだ」という読み方、が存在するのだと思う。
フランクルが最も失意の底に叩き落された時、友人に「こんなに苦しいことが立て続けに起こるなら、この苦しみにはきっと意味があるはずだよね」とすがった。
ヘレンは壮絶な訓練の末に話すことだけじゃなく、音程の概念まで身につけていった。1日、いや数時間経てば、覚えた感覚が完全に無に帰す。100歩進んで99歩下がるようなうんざりする日々。
彼らはオレの2時間の鍵盤基礎練にとって恩師だ(もちろんサッポロ一番の酒井美穂子さんも)。
昨日、ヘレンの話法のみならぬ音程の概念の認識のことを知ったんだけど、その時に変な感覚になった。師というよりは、神という感覚。神ってるってんじゃなくて、真の神だ。
いやいや、ヤベーヤツじゃないから、オレ。大丈夫だから。たぶん。
おとといも挙げたオレの愛する偉大な人たちの共通点が「必死で生き抜いた人」ってことだった。
だけど、オレは誰より自由がほしくて、誰の言うことも聞きたくなくて、誰が相手でも思ったこと言っちゃって、で、ラクに安全にメンドくさくなく生きたいと思ってきた。
なんなんだこのギャップは。憧れる生き様と望む生活のこの恐ろしいまでの乖離は。こんなんだったら、オレはなんのために生きてるのだ。
そこで、こう思うようになってくる。もしかすると、我々が苦しみをイヤなものと捉えるのは、肉体や精神レベルの錯覚にすぎないんじゃないかって。苦しみの中には、何かとんでもないものが収められてるんじゃないかって。
ヘレンに音程の認識、そしてその習熟の狙いがあったことを知った時に、はっきりと一歩、彼女が近づいてきたのがわかった。その感覚の中ではいま彼女が生きて存在するかどうかは些末なことで、人は死んでからも他者を変えられるんだと思った。
いや、前から思ってたんだけど、より一層そう思った。
うーん、筆舌に尽くせんなこれは。とにかく、より一層なんだよ。
そしたらそれがフランクルの悲痛なんかと交じり合って、「あぁ、ハッキリと苦痛には意味がある」と、また認識した。認識よりもっと深い感じだ。
で、そのことも、前からわかってた。目に見えて意味はあるって。が、これもまたより一層入ってきた。うーん、言い表しようがない。
とにかく「はっ!!!」ってなったんだ。
さて、このことをわかりやすく言語化しようとすると、たぶんこういうことなんだろう。
「人が苦しみに相対したことが後世の者に伝わる時、その苦しみが破滅的であるほど神度は強まる」
もうおかしなことを平気で言い出していくけど、マジで召喚神だと思った。召喚獣ならぬ召喚神。その人を心の中に想起するだけで、実際に想起した側の苦悩が和らぐ。
これは、「もっと大変だった人がいるんだから」なんていう浅い慰めの類のものではなく、なんだかもっと深いところから来てる感覚。説明のしようもないが。
で、この感覚をどっかで見たと思ったら、笑わんでほしいんだけど、それが北斗の拳に描いてあったんだよ。
ラスボスのカイオウに一度敗れたケンシロウは、北斗の神殿にある聖塔に触れる。
そこには北斗神拳創始者の壮絶な悲話が書かれていて、触れた瞬間にかつての伝承者たちの人生を体験する。そして北斗宗家の秘拳を会得してカイオウを倒す。
こうやって書いてみると、武論尊ホントスゲーな。
いまは亡き者の悲しみを受け取ることによって強くなるって…。
フランクルはこう言っている。
「砂時計の砂が流れきった(人生が終わった)のちには、下部の砂はあたかも、凝固剤のようなもので永久に宇宙に保存される」
そして、
「人は死んだ時に初めて、世界に誕生する」
とも。
【今月のオリジナルソングさらし】
月末に新曲アップしてます。コメント大歓迎ちゅう😗
(先月分がまだ上げられてないんで、10/6にアップします)