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ホン雑記 Vol.149「プラマイゼロのメガネがほしい」
たったいま、ネット上の何カ所かで「分かった気になっている」というような話題を見かけた時に、何も考えずに自分を分かっている側に入れてるのかも知れないと思った。
「ははっ。しょーがねーヤツだなー」なんて感じで。今まで考えたこともなかったけど、本っっっ当に何も考えずに自分を良い側に分別していた。
弱いことより悪いことより、言ってみればそういう頭の悪さが一番イヤだと思っているオレにとって、そういう分子が色濃く自分の中にあると気づいてしまうことは、なんともショッキングなニュースだ。
なんでだろ、ホントにたったいま、ホン雑記 Vol.149… なんて打っている時にいきなり降りてきた。「ん? オレ、アホなんちゃう?」って。
折に触れて目にしてきたこんな芸ごとの格言がある。
他人の芸を見てあいつは下手だなと思ったら そいつは自分と同じくらい
同じくらいだなと思ったらかなり上
うまいなぁと感じたら とてつもなく先へ行っているもんだ
落語家の、5代目・古今亭志ん生が残した金言だ。
これも目にするたびに「なるほどねー」だった。頭の中で一応の肯定はしてきたものの、なぜか自分はそこから外してしまっているのだな。考えもしてない。
これは、よほど自分を不必要に過小評価する人でない限り、当たっていると思う。
自分の弾き語り動画を撮り始めた時に、やっぱり想像以上にヘタだったからね。いまが一番マシだと思うけど、何年か前にショッピングモールの中で定期的にやってたライブの時はどれだけヒドかったんだろうと、めまいがしそうになった。
自分のライブは録画しなさい、なんて分かってたことなんだけど、どうも気が乗らずにやってこなかった。
いや、ホントは気が乗らない理由は明白だった。その「自分のヘタを知りたくない」感情は、自分自身を見るのが恥ずかしい… つまり、ともすれば謙虚さにすらとても似てるんで、客観視を避ける絶好の都合であったのだ。「あのぱるるだって自分の映像見るの嫌いだっていうんだから」と。AKBにまるで興味のないオレも、ぱるるだけは別だ。
5代目の言葉が当たってしまうのは、周りの反応のせいもあるだろう。この「自分」と同じぐらいの評価を、周りは自分にくれてしまうのだ。ライバルであったり、クサしてやろうと思ってるヤツ以外は。
30点ぐらいの上手さだなぁ、と思えば50点ぐらいのリアクションをしてしまう。
オレは底意地が悪いんで、実力がなく褒めるべきでないものはホントに褒めないが(子供に厳しいタモリさんのスタンスには大賛成!)、逆に「おぉ、これは!」と思った相手には、テンション上がって勝手に3割増ぐらいの褒め方をしている… 気がする。
いままで自分が褒めてきた相手が、ここを見ていたら複雑な心境になるのでは、と思ったりしないでもないが、自分が褒めてきた相手はやっぱりみんな賢いので(これはいま思い浮かべたらホントにそうだった)、このへんのことは上手いこと処理してくれるだろう。
だって知人のライブを見て「すごい良かったよ! また来るね!」なんてテンションは家に帰ったら2%ぐらいに落ちているではないか。といって、その時はおだててるわけでもなんでもなく、ホントにそう思ってるんだからしょうがない。恋だって同じようなもんじゃないか。違うか。
自分のアホさに気づくことはショックであると同時に、真実は逆方向へと向かい始める。自分でアホじゃないようにしようと思うわけだから。
すんごく良く言ってしまえば、ソクラテスの境地なのである。
って、すーぐ思っちゃうところがやっぱりアホ。
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