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ホン雑記 Vol.638「無き善悪」

ついに、往年のあの名作ゲームを遊んでいる。遊べている。

ウソ。
あぁ、遊んでるのはホントだけど「あの」がウソ。ぜんっぜん興味なかった。

その名も「タクティクスオウガ リボーン」だ。リメイク作品である。


ウソ。ホントはちょっと興味あった。ってかウソばっかついてんなオマエいい加減にしろよ。
18歳の時に第1作の「伝説のオウガバトル」ってのが出て、ちょっと話題になったんだけど、なんか戦略シミュレーションって難しそうでやめた。

はっ!
いかん、もう長ぅなる予感があるで。飛ばしてこ。

えっとねー、そこで結構考えさせられたなーってストーリーが出て来たってわけなんだけどね。


一応敵っぽいタルタロスってヤツがいて。一応見方っぽいハミルトンってヤツがいて。ふたりともファーストネームがランスロットなんで名字で。

で、めっちゃザックリ言うと、タルタロスは「支配者必要うぇーい」側。ハミルトンは「民をだいじにいぇーい」側。
でねー、10代のオレならいざしらず、どっちのいうこともめっさわかるのよ。いや、性格悪いし厭世気味なオレからすると、どっちかっていうとタルタロスの意見のほうがしっくりくる。

「民は救世主を待つだけ。自分が救世主になろうとは考えもしない。そのくせいつの世も権利だけは主張してくる(「民」が子供を見る目と同じなんだなぁ)」

とかもそうだし、(ハミルトンの「皆我々ほど強くはないのだ」に対して)、

「それは違う。民は弱さを保っているのだ。『権威に文句を言う』ことが目的で、そのために弱者のままでいるのだ」(ここまで全部うろ覚え)

なんてめっちゃ刺さったわけ。まさにオレが思ってた通りのことやん、と。オレが言う「全員強者を目指せ」ってのはこういうことだよと。
特に日本人にこんなヤツ多いよなぁと思った。矢面に立たないくせに後ろから小石は投げてくるんだよ(オレも確か小4まではそっちだったけど。中1で激昂してそれだったら死んだほうがいいと思ってそっから思ったまま)。

で、ゲームに影響受けて「あぁ~。人のためなどウソなのか」と47にもなってスタンスがブレかけるのもいよいよダサいよなぁって思うんだけど、でも「やっぱタルタロスじゃね?」なんて思ってたら、ハミルトンがこう返した。

「体にも自浄作用があるように、心にもそれはある」

オレはオレの法則に従い、この考えをやっぱり軸にした。オレの法則とは「涙に訊け」だ。
そう、泣いてしまったのだ。あぁ、ハズか…って何が恥ずかしいことあるねーん!

ってか、このゲーム作った人スゲーわって思った。「民」側ではない思想・意志(言葉が足りない。魂とでも言うべきか)を認知してるんだと思った。これだけはどれだけ言葉で教えても、そうでない人には入らないからね。もはや違う生き物というか。坂本龍馬とか、孫正義みたいなもんを感じたな。
彼らとて100%ではないんだろうけど、ポジショントークの概念が抜け落ちてる。自我の範囲を、己の皮膚の内側じゃなくて国と同じにできるような人。(オレの情報不足で彼らが真にそうであるかないかとかは知らん。もののたとえだ)


それを聞いたタルタロスは「それを待つというのか?」と問う。つまりここだけはふたりの意見は合致してるんだな。
ハミルトンは、いまは確かに民にもそんなところはある、と思っているわけだし、タルタロスは、それが時間の問題である(それでは遅すぎる)、ということであり。

このほかにも、「前提」というものを何度も何度も驚愕とともに覆させられて、「たしかにこの状況ならこの時はこうするしかないのか」とか「あの時あいつはこんなことを思ってたのかーっ!」なんて気持ちにさせられる。

もう完全に勧善懲悪がないのだ。それに「一般的にはこうだろ」っていうフラグ的なものもない。「えっ」と思ったとこで普通に重要人物が死ぬ。華やかな散り方でも物語の最後でもなく、普通に死ぬ。でもリアルってそういうもんだしなぁ。



このゲームは「なぜ戦争が起こるのか(タモリが言ってた「愛があるから」に通ずるなぁ)」、そして「どうしたらそれを止められるのか」を、民であるオレに強烈に投げかけてくるし、いまの時代にリメイクした意味がわかるような気がちょっとだけした。




P.S.
まだChapter4の最初なので、知ってる人はネタバレコメント絶賛禁止中です。




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仲大輔
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