見出し画像

ホン雑記 Vol.106「思い出ブロックチェーン」

テトリスにハマるといろんなものがテトリスに見えるように、ドラクエにハマると、あぁ「人生はロールプレイングゲーム!!」って本当だなぁと思うように、仮想通貨にハマると世の中の一部がそんなふうに見えてくる。


自称「ノスタルジャー」のオレは、何より思い出が大好きだ。まぁ、経験&思い出は誰にとってもだいじなものだろうが、特に思い出… つまり、過去を振り返るという「後ろ向きの憧れ力」にいたっては日本五指に入ると思っている。

投資を始めてから、金の亡者にならないように、事の両輪に目を向けている。
金目のものという片輪に対して、心の勉強もしようと心がけてきた。なんかダジャレになってしまった。

オレにとっては、もう片方は「心と言葉」と言ってもいい。その心がけのせいかは知らないが、投資活動は意外と金の亡者にはならず、金にできること、できないことの境目がハッキリと目に見えるようになってきた。


オレは友達が少ない。旧友はただのひとりだけだ。
今にして思えば、好きこのんでその人数にしてきたのだ。自分ひとりの創造的&想像的時間を取り上げられるよりも、ひとりの時間のほうが価値があると思っているのだろう。
とはいえ、飲み会の類も好きだ。好きだった。今は卒酒(>断酒>禁酒)したのでそういう会からも離れてしまいがちだが…。

それにオレは冷たい。
人が結婚してその祝儀で金を失いたくもないし、別れられてもホントにテンション下がるだろうし、他の冠婚葬祭にも何かと金がかかる。そんなら、ひとりがいいなぁ、となる。
とはいえ、最近興味の湧いてきている寄付に関しては、別に無理してやっているわけでもない。3つほどの私欲&利他の目的が絡み合って、寄付という行動を取っている感じだ。


ちょっと話がそれてきた。
そんな冷たいオレにとっての最高の価値とは「感動」だ。過去が化け物じみて好きなのも、脳内に浮かび上がらせるだけで、心を動かせるからだ。

金目&心の両輪に乗せた車で、感動を得に行っている(その割には異様にメンドくさがりなのが不思議だが)。
そのへんに気づいた時に、金にできることは限られてくるなぁと思い至った気もする。

打ち震えるような過去の思い出せない思い出を思い出せるなら(読みにくいわ)、金に糸目はつけないだろう。
って、金持ちみたいなセリフを吐いてしまった。


東大教授でもある福島智氏は、全盲聾者だ。
何も見えず、聞こえない。どこかのインタビューで見た彼の言葉がいまだに残っている。

「今までで一番つらかったことはなんですか」
あまりにも率直な質問者の問いかけに、心が耳をそばだてた。
見えないことや聞こえないこと自体、あるいはそれらができないことによるケガや病気などの恐怖、未来への不安などが瞬時にオレの脳裏をかすめた。
うろ覚えだが、福島氏はこんなことを言っていた。

「みんなでカードゲームなどをやっていて、みんなの反応が分からないこと。『お前アホとちゃうかー』とかができないこと。宇宙空間にポツンと放り出されたような気分になる」

もっとも苦しいものの正体は「孤」であろう。


今日もふと、思い出遊びに勤しんでいたら、急に友達がなんとも言えず愛しく思えてきた。同性にこんなことは思いたくもないし、感情的には片手間で付き合っておきたいが、ここのところヤツの価値は上がるばかりだ。

仮想通貨はブロックチェーンに記帳され、改竄がほぼほぼ不可能だと言われる。
オレと、小4から付き合いのあるソイツの脳にも、同じ記憶の断片が書き込まれている。親でも嫁でも知らない景色。

どちらかが「あれって、こうだったよな?」と言えば、「いやいや、こうだっただろう」と続き、それに対しての記憶が「あーあー、確かにそうだったわ」と問うたほうに残っていれば、ほぼほぼそれは事実であろう。

この友達は、もう作ることはできない。
今からの思い出を共有できる友達は作れても、オレの大好きなあの頃の記憶を定かにしてくれるヤツはいない。



やっぱり友達は多くてもいいのかもしれない。




サポート大歓迎です! そりゃそうか!😆 頂いた暁には、自分の音楽か『しもぶくりん』への「やる気スポンサー」としてなるべく(なるべく?)覚えておきます✋ 具体的には嫁のさらなるぜい肉に変わります。