ホン雑記 Vol.250「どこまで行っても」
今日も書くことがないなぁと、頭の大きなフケどもを剥がしている。
アトピー持ちのオレは、頭皮が一番ヤバい。ずっとケガしてるようなもんだ。いや、だいぶ言いすぎた。
この悪癖でいったいどれほどの時間を無駄にしているのだ、もう頭皮は剥がすまいと決めた次の日から剥いでいる。
剥ぐと言っても、別にヤバい感じではない。ずっと手のひらの皮をめくり続けてボロッボロという大変なクセを持った人がいるけど、オレのはそこまで大変じゃない。そもそも頭はボロッボロだからだ。安心していい。
ま、あくまで大きなフケという感じで、赤い部分はないのさ。あ、いま机の上に律義に乗せていってるのを見てみたらちょっと赤いのもある。言うてても分からんと思うんで写真を載せようと思う前にやめた。
実は1行目を書くちょっと前から、書くことは決まっている。あまりにもくだらないことだし、文字数も稼げそうにないんで、いらん所感をしたためてみた。とはいえ、いまから書くこともいらん所感なのだが。
あぁ、犬がうるさい。
とにかく今日は人一倍… いや、犬一倍うるさい。珍しく五月蝿いと書きたくなるほどに、うるさい。
以前にも触れた、家の前の小道を挟んだ外人宅のこのあたりで一番うるさい犬が、うるさい。
ウチの窓は開いている。閉めれば結構静かになるだろう。
でもこの状態で完璧な室温なので閉めたくない。とはいえ、この季節だと閉めたところでたいして温度も上昇しないとは思う。でも閉めたくない。
あぁ、こういうのを本当に頭が悪いというのだ。
そう、すでに無意識に戦っているのだ。「なぜオレのほうが行動を変えなアカンのだ」と。だから閉めに行きたくないのだ。でもうるさいと思ってるのはオレだ。アホだ。
オレは少し考えることにした。なんなんだこのしょうもない敵愾心は。
ポクポクポクポク… チーン。
なるほど。そうか。
ここに越して来た時に感じた「結構電車の音がするなぁ」は、いまではほとんど聞こえない。たまに認識することがあっても、もういまは「イヤなもの」とは思ってない。雨や風の音と同じカテゴリに入った感覚だ。
でも、バイクや犬や子供のグズり声は、そいつがあとから来たからだと思っている。「お前別にここにいなくてもいいよな」と。大変な排他的思考である。
言い方は非常に悪いが、オレにとっては不必要だと思っているのだ。オレもエラそうにメンタリストのことは言えんな。
もうちょっと掘り下げると、その対象自体が嫌いなのではないと気づく。そう、オレがイラついてるのはその管理者に対してだ。
逆に、子供がほたえてる(通じる?)のを子供以上の音量で、それも邪気たっぷりに抑えつけようとする親を見ると、瞬時に「おまえがうるさいねん、ハゲが」とすぐに思ってしまう。そんなオレはもう外に出るな。
電車が気にならなくなったことは、天の啓示だ。おおげさか。ま、でも啓示だとしてみよう。
すると、犬も子供もその親も、どこまで行っても管理者がいる。
それがどんな管理であっても、そいつを生んだ者やそこへ配置した者がいる。
そのまたそいつにも配置者がいる。
どこまで行っても配置者がいる。
ドンドンガバチョ、ドンガバチョ。
そうなのだ、それはもう自然現象なのだ。大自然より小さい、狭いものを自然と思えないのは、オレが自然から離れてるからだ。
オレの右手小指が、オレの左足薬指の形を気に入らないとイラだち続けているようなものだ。
そんなこんなで、ひょうたん島の歌詞なんかを調べるのに夢中になっていたら、犬が鳴きやんでいた…
と、打った瞬間、また吠えだした。
オチ付きかい。