雑記1089「ごめんなさいよりありがとうを」
昨日、知覧での内容は書かないと言ったけど、4年も前にこんな記事を書いてたんで、その一部を紹介して終わる。
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最後にご紹介するのは、とある男性の手紙からの抜粋文です。
1945年4月、鹿児島の知覧飛行場から飛び立った23歳の若者が、結婚を間近に控えた婚約者に遺した手紙です。
穴澤利夫大尉(戦死後特進)は特攻前に、婚約者の智恵子さんからマフラーを贈られます。
「神聖な帽子や剣にはなりたくないが、替われるものならあの白いマフラーのように、いつも離れられない存在になりたい」
そういう彼女の一途な想いに応え、彼はそのマフラーを彼女の身代わりとして、首に巻いて出撃します。
僕はこの手紙を読むたびに「なんにもいらない」といつも心から思います。
彼がこれほど欲しかったものはもう、全部持っているじゃないかって。
読みたい本も、見たい絵も、聴きたい音楽も、観たい映画も、味わいたいご馳走も、大事な人との暮らしも。
彼が人生の最後に望むような夢をもう全部手にしていて、それでも何かが足りない足りないと日々もがいている。自分は馬鹿なんじゃないかと、毎回手紙を読むたび思います。
そして彼を「今」、なんとか助けられないのかというおかしな感覚に毎回とらわれます。こんなことがあってはならない、そういう想いからでしょうか。
日々の生活の中で自分の欲求に蓋がされることはないけど、この方たちの命の土壌の上に生かされていることは忘れたくないと思います。
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あい。もんのすごい手抜き記事ですまそん。この時はまだ敬語で書いてたのね。
いやね、知覧に行く前からそうなんだけど、特攻隊員の中でもこの穴澤さんだけはやたらに惹かれていて(もちろんそのあとすぐ全隊員に想いを馳せるんだが)、それは彼が類まれな詩人であるためなんだろうな。
するともうですね、知覧に行く前からもう何度も何度も頭の中にこの方が浮かんでいて、特に「自分、これじゃあかんよなぁ」なんて思う時にはまぁひとしおで、だからなんかもうね、書けないんだよ。
うん、それをメンドくさいと言うのだと言われればそれまでなんだけど(それまでなんかい)、まぁちょっと大変なんでやめとく。
じゃー、過去記事の抜粋もすんなよとお思いでしょうが、それはまぁせっかく書いたんで載せさせてつかぁさいよ。
あ、やっぱりもう少しだけ。
鹿児島から帰ってきてから、アルピニストの野口健氏のブログを見た。もちろん知覧特攻平和会館に行った感想についてだ。素晴らしい視点だった。
そのブログを読む前から、オレはことあるごとに「もうしわけない」と特攻隊員に思って来た。
バッドなニュースを見るたびに、それも巨悪というよりは軽率な浅薄な類のニュースを見るたびに、そして自分の不甲斐なさを思い知らされるたびに、彼らに対して「もうしわけない」と、思って来た。毎回思い出すわけじゃないけど。
もちろんその謝意は「あなたたちがあんな目に遭ってまで手にした平和なのに…」ということなんだけど、野口さんは「私は謝らない」と書いていた。謝ってしまうのは、それは日本を諦めてしまうことだ。それこそ命を捨ててまで祖国を守ろうとした彼らに対する裏切り行為だ。だから私は決して謝らない、と。
そしてその変わりに、自分には何が出来るのかもう一度本気で考えたいと決意したとあった。
やっぱりいろんな人の想いの馳せ方を知るべきだなぁと思った。
ホントに野口さんの言う通りだ。英霊たちの意識がもしいまもどこかにあるなら、彼らは子孫のひとりであるオレ(彼らに子はなくともだ)が毎度毎度、自分たちを思い出して「もうしわけない」と思ってることを良しとするだろうか。そんなわけないと思うんだよね。罪悪感に苛まれてでも、やっぱり笑って生きなきゃいけない。
と、いま書いたことでまた新たによりいっそう思っている。やっぱりなんでも書いたほうがいいな。
今回想いを馳せ足りなかった罪悪感は(だから持たなくてもいいってのに)、今後の日常で考え続ける宿題にするためと、足りないならいつかまた行ったら? って思う土壌にすることにしよう。
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【今週の過去分オリジナルソング】