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『おつむひらけば』Vol.1「念力の存在」

いーぃものを見っけた。

前にもFC2でブログを書いていたのを思い出し、もしかして残ってるのでは? と思ってログインしてみたら生きていた。Googleにはもう引っ掛からなくなってしまったが、管理画面のほうから入っていけた。懐かしい。

手抜… 10年以上前の自分が何を考えていたのか分かるんで、ちょっとここでも取り上げてみよう。あ、タイトルは当時のサイト名になります。


「念力の存在」

端的に言えば、思うことで物が動く力のことだろう。
なんでも手元に寄せられるし、ちょっとした武器にもなりそう。意のままに自分を動かせれば交通手段もいらなくなる。
というのは物語の話だけど、念力は存在する。

脳はその約1割の神経細胞を使って、意識のあるなしに係わらず、あらゆる活動を制御している。
ヒトでは約140億個あるこの細胞は(後に補正:この数はすべての脳細胞の10%に過ぎないといわれる。残りはグリア細胞という)、それぞれが情報源でありネットワークでもある。
ウィンクが簡単にできる人、小指だけ動かせる人などは、そのネットワークの中のいずれかが人より効率よく連携しているわけである。

このネットワークは、訓練、リハビリによってまったく違う形を作り上げる。
人差し指でしか出来なかったキータイピングが、キーを見ずに打てるようになっていくのもそういうこと。

この時、脳内でなにが変わったのかというと、情報源の質ではなくそれらをつなぐラインの数だ。
このラインの構造はシナプスと呼ばれ、日々の生活の中で増減している。

思ったことを、肉体を動かして訓練すれば、それに特化したシナプスはどんどん形成される。
その道の中級者程度になれば、イメージトレーニングも歴然とした効果があるという。

つまり、何もしなくても、頭で思っただけでもこのシナプスは増えていく。
思っただけで、実際に細胞の配列が変わったのだ。
微視的に見れば確実に念力は存在しているのである。

翼の無い人類がどの鳥より速く飛べることも、エラの無い人類がどの魚より速く移動できることも、最初はその極めて小さな物質界への想いの干渉が始まりなのだ。


書いた日付は2010/12/23になっていた。クリスマスイブイブに、なにをこまっしゃくれたことを書いとんねん、オレみたいなヤツがおるな、と思わされた。あまり成長していないのかもしれない。

その反面、素晴らしい発見をもうこの頃から続けているんだなぁ、と目頭が熱く…… いや、さすがにそれは泣き虫のオレでもない。今日は泣いてない。

でも、親バカ…… ならぬ、未来の自分バカだが、ホントにその通りだなぁと感心してしまった。そりゃぁ同一人物なので感心もするわな。


こうやって、当時よりは多少の俯瞰性を持って見てみると、なんかこの時から見えない何かと戦ってるんだなぁと思ってしまった。この記事に関しては、オカルト完全否定派に対してモノ申すような切り口だ。
かと言って、二言目には「ソウルメイト」「レイキ」などと言い出すようなかぶれ者も好かん。
たぶんこの頃のオレはもう、どこかのサイトで見てしまった「科学は神を扱わないんです」という科学者のひと言に呪われていて、「なんで? なんで扱わないの? 真実を探究するんでしょ? おかしくね?」と生き方が決まったのかもしれない。
いや、たぶんそのひと言を見ていなくても、昔からそんなところはある。



そんなオレは昨日ちょうど、ネットでビジュアライゼーション系の本を注文したところだった。

なんか、因果なものだなぁ。




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