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雑記1194「出会えて良かった」

あぁ。数ある師(勝手に想う)のうちのひとりが逝ってしまった。

初めて買った詩・エッセイ集が、谷川俊太郎の『愛のパンセ』だった。
中3の時だった。


これは詩集のベスト盤とでもいうような代物だったと思うけど、これがおもちゃ箱というのかお弁当箱というのか、とにかく、活字なのに色とりどりってイメージがピッタリの詩集だった。

浮気した恋人に充てる最後の手紙を書くのに、マリアが処女のまま身籠ったことを信じようとする恋人がマリア宛の手紙を書くとしたらきっとこうだろう…といった内容を書いてから本文を書きはじめる、という作中作の「二つの恋文」。

日本語に一人称がいくつもあることを使って、「僕」と「私」(うろ覚え。「俺」だったかもしれない)が対話する「谷川俊太郎に会う」。

詩ってのはこんなにいろんなやりようがあるのか、と驚かされたし、そのギミック的な方法は、オレに少なからず影響を与えてる気がする。

いつか書こうとしてる歌の構成のひとつに、内容はまだまったく決まってないんだけど、歌詞を全部かぎカッコでくるんじゃおうか、なんてのがある。それになんの意味があるのかはわからんけど、そのカッコがあることに意味がある、みたいな。なんていうかメタ的な感じ?
そういったちょっとひねった感じの表現が好きなのは、自分でも気づかないうちに彼の影響下にあるんじゃないのか、なんていま思った。なんたって最初に強く惹かれた活字群だったからね。

教科書にも載ってるらしい「生きる」は、金八先生で知った。教科書でも知ってたかもしれないけど、自分が初めて知ったと認識したのは金八だ。
これは谷川氏の解説というか考えをこないだ知ったところなんだけど、自分ではあまりいい詩だとは思ってないらしい。ところが、教科書に載ったとはいえ、それにしたって大反響で驚いたという。

それもこれも「未完成で綻びがあるからだろう」と彼は言う。「だから読んだ人が入って来てくれた」と。
たしかに「それはミニスカート、それはプラネタリウム、それはヨハン・シュトラウス、それはピカソ、それはアルプス」などと羅列して、生きることを言いきることは、子供たちの頭にもとっさに「自分だったら何を入れよう」と思わせる。工作のように、思わず作りたくなる。

こういうところが(狙ってないのかもしれんが)、愛深き人だなぁなんて思う。
オレなんかは逆に、読み手聴き手をほぼ信用してないんだろうし、「これ以外の解釈をされては非常に困る」なんて思いながら書いてるところがある。だから説明チックにならないことを結構心掛けてるはずだ(はず?)。

もう何十年も前、なんかの本で知った名言に「本当のリーダーとは、自分以外の者のリーダーシップを引き出す者だ」というのがある。そしてこれは、なんにでも使えるなぁと思う。「勇者とは、窮地においてみんなの勇気をみなぎらせる者だ」とかね。

とすると本当の詩人とは、オレみたいな「オレこそが作り手だ」などという浅はかな者ではなく、普段は詩作に興味のない人間に筆を執らせる者、ってことになる。

そうしてオレも書かされたんだろう。
歌を作ってた記憶が、中2の時は無いからだ。





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仲大輔
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