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雑記1174「たとえ本でも偉人と共にいるとその成分が感染ってくるよ」

昨日は久々にオレの公園で日焼けしながら音程セットしてた。
歌のお稽古の基礎版みたいなヤツ。歌わんと1日でズレるでね~。

競泳用水着のヤツが公園で寝っ転がって歌ってんだから、ド変態だよね、ハタから見たら。ま、オレから見ても変態だけど。
いうても人はほとんど来ないし、遠間から発見されるから誰も近寄っては来ないんだけどね。


で、昨日もまた真理をビミョーに発見したぜぃ。
鍵盤弾きながらとか運転しながらだとそんなことはないんだけど、声オンリーでずーっとやってるとたまにそんなことがある。

今日は時間も無い(あるんだけど)んでパパッと言っちまおう。
それがですね、
「地味な特訓ほど真髄んとこの進歩率が高い」
ってことなんだね。このことを人の受け売りじゃなくて実感したことのある人間が、はたしてどれほどいるだろうか。
むむっ? もう自慢厨のニホヒがするぞ?

昨日それを悟ったんだよ。実感として。
ジョージ・レナード著『達人のサイエンス』って本があって、これがおよそ習熟ということに関してめたんこ役に立った。
たとえば、一般にスランプ…と思われているものの本当の意味、であるとかね。これを知るだけでも「もうやーめた」をだいぶ滅殺できる。

で、その本で上に挙げたようなこともわかってはいたんだけど(著者は合気道の先生でもある。どういうタイプの人がどういった成長曲線を描くのが肌でわかっているのだ)、昨日やっとそのことが歌ってて実感できた。

歌ってる最中に進歩したわけではない。習熟の要諦(脳のメカニズムと言ってもいい)はここにあったのかと、ハッキリと掴んだ感覚。それが勘違いじゃなく「合ってる」ってことも自動的にわかる。しらんけど。

そこに足を踏み入れると、なぜヤワラちゃんが練習相手に自分の足首を鎌で刈らせてたのか、室伏がヘンテコな筋トレ(筋トレというのも憚られる鍛錬だが)を考案したのが、ほんっっっとに入り口ながら多少はわかるのだ。

どんな特殊技能でもそうだけど、一見まったくすごいことをしてるように見えないんだけど、自分がやってみたらまったくできない…そういう運動の理が、微妙に見えるようになってきたと言ってもいい。
体操競技とかのまったく逆ってことだね。誰が見てもこれはできそうにないってわかるっていう運動の真逆。

こういう練習はホントにしんどい。誰が見てもすごそうって言ってもらえそうにないからだ。
が、羽生さんの言う才能の定義、
「何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。報われないかもしれないところで、同じ情熱、努力、モチベーションを持って継続しているのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思っている」
に照らしてみても、ただ意味もなく淡々とやるだけ、「質の悪い反復なんて却って妨げになるよ」なんていうクソみたいなアタマでっかちのトーシローのノイズがまったく耳に入らないような、まるでジャック・ハンマーみたいなヤツが天才のエリートだわな。

そこで最近よく思ってた金言「神は細部に宿る」も同時にもう一段階刺さって来た。
そうなんだ。ちょっとした細部に潜ってる時は自分でも地味な特訓だなぁと思うし、人から見たらそれはもうまっっっっっっったくわからんのよ。だって細部なんだから。
だから、わからんヤツは「なにやってんの?w」「どこに行こうとしてんの?w」「ぷげらっちょw」となる。
これ、相当イタいことをやっちまってるんだよねそういうヤツは。人は知らんことや理解できんことをオートマティックに嫌うんで、やられてるのはホントは絡んで来る側なんだけど、若いうちにそれを知る機会もなかなかないわな。お互いに。
才能の芽…と、ついでに命を摘まれずに育ってほしいなぁ。狭い道を行こうとしてる若者には。

って、別に笑われたことは一度もないんだけど、どうしてもそういう仮想敵が脳内に湧くよね。
そんなのが湧いてるようじゃまだまだ潜り足りないんだろうな。日に4時間程度じゃあさ。


まだ誰も知らない鍵盤奏法…それもカッコつけじゃなく演奏に効果的に使える新たな奏法を生み出そうと目論んでるヤツの話。





【今月のオリジナルソングさらし】

月末に新曲アップしてます。コメント大歓迎ちゅう😗




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仲大輔
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