ホン雑記 Vol.780「気づかずにどれほどのこうフクを拾いこぼしてるのか」
オレは、ダヴィンチの生まれ変わりじゃね? とか、賢治の生まれ変わりじゃね? なんてことをよく思って生きてきた。ダヴィンチほど天才でもないし、賢治ほどけなげでもないんで、きっと勘違いなんだろう。
で、よく考えたら一番この人が似てるんじゃね? って人が昨日も出てきたドリアン助川氏だ。なのでオレは彼の生まれ変わり説を唱えていこうと思う。
…って、生きとるっちゅーねーん。まだ、生きてらしとるっちゅーねーん。
………。
でも、ま、ね。生きてても死んでても、それに何人だって、生まれ変わってオレの中に分子が入ってんだよ。そう思って生きてるとこある。とこあるってか、そうなってると思う。しらんけど。
いかん、関係ない話に290文字も使ってるわ。
んで、えーっとね、昨日書いたドリさんの本の中でのこれまた脱線話なんだけど、なぜか戦没学生の書簡集である『きけ わだつみのこえ』の話がでてきて、中でも上原良司さんという特攻隊員の遺書にやられたと書いてある。
これ、オレも実はやられてたんだよね。というかまぁ、オレはその書簡集を読んだわけじゃないんで、どっかしらで聞いたエピソードなんだろう。
「上原良司」で検索すると、候補に「ラブレター」と出てくる。彼の愛読した哲学書「クロオチェ」の中に、丸印でかこった文字をつなげて彼の想いがしたためられている。
きょうこちゃんは上原さんの幼なじみだった。けど皮肉なことに、突撃を命じられる彼よりも1年早く彼女は逝ってしまった。結核だったのだ。
このことと、最近よくここでも書く、色覚障害者が晴眼者のように見えるメガネをかけた時の得も言われぬ歓喜の様子とが重なった。
その歓喜の動画を観てオレは「接触不可視の法則」などと名付けてみた。それはすでに持っているものは認識できないということで、そのことを色の見えない色覚障害者が教えてくれた。「あなたたち、どれだけ素晴らしい世界を見てるかが見えてないですよ」と彼らを通して何かに言われている気がした。
この悲しいラブレターを昨日また見て、その動画を観た時と同じ感覚になった。
「あぁ、そうか。すでに至高の暮らしの上にいたのか」と。
うーん、伝わらんな。この文面から感じられる5倍ほどの感覚でそう思ったものだと思っていただきたい。
また同時に盛大にノロケるが、リアルでも映画の中でもウチほどの異常な夫婦仲を見たことがないんで、この刺さりかたったら尋常じゃなかったのだ。
あたりを見渡した時には、頂にいた気分だ。うーん、これ別にノロケ主体じゃないんだけど、この場所を望んだ者の悲願を知ることで、やっと自分がそこにいたことに気づいたのだ。
いや、本当のところは気づいてはいた。ずーーーーーっとそんなことばっかり考えてるんで。たぶんオトンが死んでからはずっとやってるんじゃないかな。いまあるこの地点がどれほどの恵みの場なのかってことを。それが薄れていったことは一度もない。あー、それだけはありがたや。
それでもだよ、やっぱり段違いにまた気づかされるんだな。こういう悲しい出来事を見せられると。
そして誰かに何かを返さねばならない、なんて気持ちにいつも強くさせられる。
いつまで気持ちのままでいるのやら。
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【今日の過去曲】
あとでそのうち出てくる「悲恋」という曲のカラオケバージョン。Youtubeには上げてなくて、上の記事内の再生ボタンからしか聴けません。いまんとこ。
記事内のタグにもあるけど、「ピカソ」の「シネマ'92」の影響を受けてます。受けてるってかパ…