僕のメンターシリーズ1「丸尾孝俊(バリの兄貴)」
ども。超ひよっこブロガーのでぽろんです('ω')ノ
みなみなさまの手で立派な鶏に育て上げてください。
さて、今回は僕が影響を受けた、人生の師とも言える方の話を書いていこうかなと思います。最初からシリーズゆーてるので、これ続ける気なわけですねー。
あ、出て来た順に尊敬してますとかじゃなく、僕的に旬な人から出て来ますので。
シリーズ第1弾はバリの兄貴こと「丸尾孝俊」さん。
僕もここ半年ぐらいで知ったばっかりなんですが、最初見た時は割と拒絶反応がありました。すいません。
バリの兄貴と言うぐらいなんで、もちろんバリ島に居を構えてて、日本ではそこまで有名じゃないかもしれません。ところが、日本から兄貴に会いに若者や経営者や投資家たちが、過去数千人も海を渡っているんですね。
「それどんな人?」というのが最初の感想でした。僕がまったく知らない、芸能人でもない人に、それだけの数の人間が教えを請いに会いに行く。今までに聞いたことのないジャンルの人でした。
兄貴は1966年、大阪生まれ。わずか3歳の時に母親と生き別れ、父親と祖父に育てられるんですが、極貧生活から荒れた少年時代を送ります。中卒で看板屋の住み込みとして働き、その後トラック運送会社などを経て、20代後半でバリに移住。
そこでさまざまな事業を興こすも、1年後には資金が尽きて一文無しに。
そこで運命の大逆転が起き、不動産王として大成する…。
現地では彼を知らない人はいないほど有名な兄貴ですが、もちろん運の良さもあるんでしょうが、根本にあるのはまず「人」なんですね。
暴走族の総長をしてたこともあって、顔は泣く子もさらに泣き叫ぶほど怖いんですが、徹底的に人に寄り添う優しさが彼を成功に導きます。
兄貴にも金がすべてだと思い込んでいた時期がありました。そこから抜け出たのは最初の就職で、世の中の搾取の構造に気づいた時。それから自分で起業してさらに目が醒め、完全に考え方が変わったのがバリに渡ってから。
それまでに考えつくことはすべてやり、そのほとんどが失敗に終わります。やがて、人間が成長するのに一番必要なのがその「失敗」であると気づかされます。
今、外から日本を見ていると、外からだからこそ、気付くことや見えることがあると兄貴は言います。日本はおかしくなってしまったと。
昔の日本がまだバリにはある。
「ヒト・モノ・カネ」の優先順位がちゃんと守られていた時代が。今は真逆になってしまっていないか。だけど今ならまだ間に合う。
そう説く兄貴の教えを全部紹介することはできないので「金のなる木の育て方」という本から、僕のお気に入りの箇所をいくつか紹介していきます。
とにかく人に会え
「このままで終わりたくないんです。何をしたらいいですか?」
俺のところに日本から会いに来る若いもんの多くが同じことを言う。そいつらに言ってやれることはひとつしかない。
「とにかく人に会え。会って、会って、会いまくれ」
家にこもって誰にも会わず、自分のことをいくら頭で考えたって時間の無駄。自分を客観視するには、他人と関わる以外にない。
どんな人に会うべきか? どんな人でもいい。
会う価値のある相手かどうかと考える前に会ってみる。
素晴らしい人も、イヤなヤツもおるやろう。その誰も彼もが何かを教えてくれる。眠っていた感情が動く。
恵まれた環境に育ってたいした経験もないなら、雑多な人に会って、ぶつかって、人によって自分を変えてもらうしかない。
靴を履いてドアを開けて外に出ろ。今すぐに未知の誰かに会いに行け。
これは兄貴のYouTubeなんかを見ているとよく出て来る言葉です。とにかく人に揉まれなさいと。彼のヴィラ(高級コテージみたいなもの)で行われる勉強会では実に色んなタイプの人種がいるなぁ、と思わされます。
「遠慮」という壁をなくせ
そもそも「人様に迷惑をかけないように」なんて言ってるヤツに限って、実際には迷惑かけまくってる。自分だけが気づいてないんや。
大体、今まで誰にも迷惑かけたことがない、なんてことがあるか。死なんと成長できたのは、親や誰かが付きっきりで世話してくれたからや。
だから人に迷惑かけるのは当たり前、かけられるのも当たり前。それをお互い様と言う。迷惑をかけるのはちっとも悪いことやない。
まず遠慮をなくせ。遠くて慮(おもんぱか)る関係を、近くて気楽なものに変えるんや。図々しくなれ。
腹が減って金がなければ、なりふり構わず友達呼び出せ。飲みに行ったら、終電に乗り遅れて上司の家に泊まらせてもらえ。他人にもう一歩踏み込んでみろ。
最近は、迷惑かけたらもうおしまい、みたいに思ってるヤツばっかりやけど、それは大間違い。人に迷惑かけ続けるのが人生や。
これはなかなか難しい人には難しいと思います。僕は割と上にも下にも図々しくお願いしたろ、と思うことが多いですが。
人間関係は究極、目上の側が作ってやるものかもしれませんが、自然な流れで言えば、目下の者が「教えて教えてー」って感じでいいと思うんですね。先輩が「こいつどこまで育ってるかな? じゃあここまで教えてやろうかな?」と気を配るのは、そりゃ現代の責任論で言えば正しいのかもしれませんが、やっぱり下の者が自分の興味から教えを乞うほうが自然だし、吸収力もまったく違うと思います。よっぽど図々しくない限りは可愛く見えるものですしね。
心の使い方を見直せ
「金儲けするにはどうしたらいいですか?」
「お金持ちになる方法を教えてください」
俺にそう聞いてくる人の数といったら途方もないが、
「そんなことを言ってる限りは無理や」と返すことにしている。
豊かさというのは、物質面だけじゃない。心や精神や感情の面でも豊かにならない限り、本物とは言えない。
そのカギを握るのは「人」や。すると、すぐにこんな質問が飛んでくる。
「やはり戦略的に、人脈を広げることが大事ですか?」
最近よく聞く「人脈」という言葉。脈のある人をたくさん集めとこうという魂胆かもしれんが、そんなことを考える奴が真に豊かなわけがない。
人付き合いに「戦略」なんか必要ない。そんなレベルの低いこと考えるヒマがあったら、ひとりでも友達増やせ。本当のことを言い合える友を何人持ってるか? それが豊かさのバロメーターになる。
昔から「ヒト・モノ・カネ」と言うように、カネの順番は一番最後。カネカネと騒ぐまえに、前のふたつがきちんとできているか。
できてないんなら金儲けを考えるのは100年早い。まず自分の周りを豊かにすることから始めることや。
これまた難しいですね。僕だけですかね? 自己分析するに、人一倍我田引水を地でいくヤツなので耳も心も痛いです。
あからさまに人から「お前我田引水マンか!」と怒られたことはないんですが、自分ではハッキリ分かりますからね。どうやらテイカーっぽいぞ、と。
なので、せめて行動だけは利他的にして、自分の卑怯な遺伝子を組み換えたろ、と思い続けてます。京アニに10万円寄付したり、他にもちょろっとやったりしてるんですが、ことあるごとに「あぁ~、あれ高かったな~」と思う自分がいる。そいつが出て来たら頭の中でブチ〇すんですが、これがなかなかしつこい。いい加減思うなよ、と思うんですけどね。
なので、おとといぐらいから「圧倒的に人の応援をする」を大きな目標のひとつに加えました。圧倒的にやったら、脳が彼我の境界線を認識できないんじゃないかという実験ですね。何を言ってるのか分かりにくいことは分かってるつもりです。
ただこれも、兄貴の「何か突き抜け感を持って事に当たれないのは、幸せにしたい人の数が足らんねん」という言葉に影響されてると思います。
人がやらないことをやれ
俺は自分でルールを決めたかった。
トラックの運転手を始めて何が良かったかって、なんでも自分で決めれた。眠くなったらパーキングに停めて寝ればいい。腹が減ったら食べたらいい。
今でもそのスタイルは変わらない。
そんな時、バリに旅行してビックリした。決められた常識や枠組みがまだ何もない。そして「どうしてお金もないのに彼らはこんなに豊かなんだ」と思った。
カネに追われてばかりいる日本での生活が心底アホらしなったんや。日本の生活を引き払って全財産を持ってバリで暮らし始め、何ができるのかを毎日考えた。
とくに名案もなくフラフラしていた時、こっちでできた友達の家族が難病に罹って手術代を貸した。返ってくることは期待してなかったが、そいつは「お金は返せないから、その代わりに」と土地の権利書をくれた。
見に行くと草ぼうぼうで、隣はお墓。雨が降れば辺り一面が洪水になるような場所だった。
「あかん、最悪や」
と思ったその土地を、ある日ホテル用地として買いたいという華僑がやって来た。その価格、なんと2億4000万円。
そこからは早かった。もちろんその金でまた土地を買った。
ただのラッキーだったとは思わない。最初に人助けをしたからだと思っている。当時、所持金がほぼなくなって困り果てていたのも良かったんだろう。
人類の中で最初にキノコを食べたヤツはすごいと思わんか?
もしかしたら毒があるかもしれないのに。
俺もまた、キノコ食べた最初のひとりだったんだ。
これ今までの流れから言って、この話を聞いてお金を貸そう貸そうと思ってるヤツには神様はほほ笑まないんでしょうね、当然。
神様ってのがいないとしても、ファーストペンギンのように、その行動を取るヤツの他の行動、それに普段の考え方や感覚などといった、「芯」の部分が絡みあって結果が出てると思うんで、そこだけ掻い摘んでマネしてもダメなんでしょうね。その芯とは、やっぱり「利他愛」なんでしょうか。
「もし自分が神様だったら」と考えろ
もし自分が神様だったら、どんな人を応援したいと思うか。俺はいつもそう考える。そして自分も神様に応援されるような人間になりたいと思う。
人と交わらずに迷いばかりの心で暮らしてると、何を信じていいのか分からなくなる。信じれるものがなくて、結局カネを信じてしまう人がなんと多い事だろう。
カネなんて信じたらあかん。カネ自体は何もしてくれない。
じゃあ、何を信じたらいい? 宗教か? 神か?
そうではなくて、「人」を信じなさい。
腹が減って死にそうだった時、毎日のように質素な夕飯を分けてくれた近所のおばちゃん。
万引きした俺を怒らずに、店の手伝いをさせてくれたテキ屋のオヤジさん。
ワルかった俺が補導されるたび、自分の少ない小遣いでいつもカツ丼をおごってくれた刑事さん。あの人たちがいなかったら、今の俺はない。
まず最初から人を疑うことをやめることや。
どんな人の中にも、たとえ世間では悪や邪道と言われ、後ろ指さされる人の中にも、必ず「良心」がある。その良心を信じて、良心に向かって話しかける。いい人だとか、悪い人だとか小さな自分のふるいにかけず、誰に対しても同じようにふるまえ。
俺のじいちゃんはいつもこう言っていた。
「人を見たら神様やと思え。どんな人の中にも良心がある。良心っていうのは、人の心にいる神様のことや」
もしも自分が神様だったら…
自分はどんな人を応援したいと思うだろう。自分だって、神様が応援したいと思うような人を応援したいと思わんか?
金持ちになりたいなら、カネのことを考えるのは最後でいい。まずはたくさんの人が味方してくれる自分になることや。ヒトがついてくる人間には、間違いなく最後にカネもついてくる。
ふとした時に、というかほぼほぼ利己主義に走りそうな自分に、ダメ押しのように釘をさしてくれる言葉です。
そしてやっぱりなんか目に見えない力ってあるんでしょうね。
僕がすごいと思ったことのあるビジネスの成功者で、神なんていないとハッキリ言ってる人はただのひとりもいません。で、そういう人は自然と感謝の念を持ってるんですね。
最後に、「おわりに」の中から一部抜粋して載せておきます。
ではまた('ω')ノ
最近、20代の若者にこう聞かれた。
「これからの時代、どうしたら豊かに、幸せになれますか? 豊かさと幸せは、どう違うんですか?」
日本からのたくさんの来訪者と話をするうちに、どうして彼らが俺のところにこうしてやってくるのか、だんだん分かってきた。
迷っているから。不安だから。
信じられる答えを探しているんだろう。
戦後の日本人が必死に目指してきた「豊かさ」は、どうやら本当の「幸せ」を生み出さなかった。今こそ、価値観を見直すチャンスだと俺は思う。
ごっつい秘密を教えようか?
「金のなる木」は、一人ひとりが自分の中に育てる木だ。
俺の金のなる木も最初は小さな苗だった。それが今では巨木にまでなった。
たくさんの人が水をやり、日に当ててくれたからこそ、すくすくと育ってきた。自分ひとりでは決して育てられなかったその木は、育んだ人との縁によって途方もない富をもたらしてくれた。
豊かさとは、「人」だ。
人のことを思えば思うほど、人生は豊かになっていく。
カネを信じたらあかん。人を信じるんだ。