雑記1185「いわしの群れの、群れに当たる人」
NHKの「no art, no life」を毎週録画してる。
5分だけの番組で、9割がた、知的な障害のある人の創作活動を映している。
たまに当たり回があるんだけど(毎回刺激されるんでほぼ当たりなんだけど)、昨日のは強烈だった。
たぶん同じ番組で知った、サッポロ一番しょうゆ味の袋の酒井美穂子さんに匹敵するほど、ドタマをハンマーでブッ叩かれた。
大内聖惺(まさと)という少年で、紙粘土で動物などを作る。
そしてすぐに壊す。気にいらなくても途中で壊すし、完成してもその場で壊す。
なんかもうこのへんでえぐられる。感動と同量ほどえぐられる。うっ、となる。自分の芸道の浅さが目についてしまう。
お母さんなどまわりの人は、本人に壊される前に写真に収める。本人は価値を感じていないんだろうか。あぁ、まったくもって歯が立たない、と思う。
音楽以外のものの価値が削られていって音楽人生が人生とどんどん近づいて来てるオレは、そのことで自慢がちょっとずつ誇りに替わっていってるんだけど、それをプチッとやられる感覚。
だけどワクワクもする。音楽人の中ではエセではないほうだと思ってるオレだけど、上には上がいるなぁと思わされる。
以前、障害者支援施設「やまなみ工房」の施設長である山下完和(まさと(あら。奇しくも))さんが言ってた言葉がやたら頭に残っている。
「ここの入居者の人たちは、創り上げたものよりも、創っている時間そのものをだいじにしているように見える」
その時は「はーっ。そうかー」ぐらいだったんだけど、今回の聖惺君を見てその言葉が染みまくった。そういうことだったのかと。山下さんが普段目にして気づいたことに、テレビ画面を通して鉢合わせた気がした。
一緒に見てた嫁も、「今回のはすごいね」って言ってた。オレもそう思った。
で、ふたりのこの是の感覚は、モノになってる…もっと言えば「売れる」って感じたんだと思う。それは「これを作れる人の数は少ないだろうけど、すごいと思う人はたくさんいるだろう」ということで、穿ってみればそれは換金のことを考えてるってことになる。
それは別に永ちゃん風に言う「お金のお金」じゃなくて、最も普遍的なもので価値を数値化するというだけの話。換金を瞬時に思うのは別にいやらしいことでもない。
マイケル・ジャクソンだって大谷翔平だって、どうしたって、やれる人の少ないこと&それをすごいと思う人の数が多いこと、を手にした人にはお金がついてきちゃう。
なんだけどね、わかってんだけどね、本人がそれを平気で壊せるってのは、もうまったく叶わんし美しいなぁと思ったんだ。
オレの曲を一番だいじなのは間違いなくオレだからね。この真逆が、なんともダサいなぁと思ってしまう。
いや、ホントはダサいことじゃないんだけどね。子を一番愛してるのは親だろうから、自分で作ったものを自分が一番だいじにしてるってのは全然いいんだ。
なんだけどね、わかってんだけどね、それにしても浅さを突きつけられてちょっとヘコむんだな。それ以上に歓喜してるんだけど。
番組の最後、さらに仰天した。
聖惺君は「このままにしてたらもったいないでしょ」と言ったのだ。
「えっ」ってなった。
その言葉は、最近気づきはじめた「凡人から知的障害と言われる類の人は、より神に近いのではないか」という、別に感動好きで頭がおかしくなったわけではないし、ええ話したいわけでもない、オレが見つけた現実の傾向が、(おそらくは)真理なんであろうと確信させてくれた。
これはオレが「なんで神は他の生物を食べるとエネルギーになるなんていうヒドいシステムを作ったんだろう」と長年へこみ悩んで、それがなんとなくわかった、という経験をしてるんで(いうても脳内だけの経験だが)、そこと結びついて確信に至れたのだ。
で、それをいちいち説明できもしないんで(他のことの根っこの理由までしゃべらんといかんくなるでな)はしょるんだけど、そういうことを考えたことのあるオレからしたら「残しておくほうがもったいない」の意味がスッと入って来た。
だけどそれを概念としてわかるだけじゃなく、生身の感覚としてやってる彼はバケモノだなと思ったのだ。
神どうこうがメンドキモい人にわかりやすく言うなら、彼は「誰よりも全体に近い」のだと言おう。
普通はなかなかあの歳で…なんてまた思うんだけど、これもなんとも浅い普通の脳が思いそうなことよのぉ。歳って、ねぇ。
思春期からずっと凡夫どもを見下してたオレだけど、はじっこのほうに彼らみたいな人が少数いるなら、オレみたいなもんは標準偏差のベルのド真ん中あたりにいるほどの凡夫なんだろうと思った。
そして、彼らみたいな人はオレみたいな凡夫を相手にもしない。
【今月のオリジナルソングさらし】
月末に新曲アップしてます。コメント大歓迎ちゅう😗